たろの日記ページ,gooブログ版

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寄付を集めるための物語

2010-09-19 20:42:06 | 社会
WIREDにあった寄付は統計的な数字より,特定の人の事情を説明したほうが集まるという話。当たり前じゃん,というのが感想。

内容はある災害で人が何人死んだとか,被害総額がどれくらいだとかそういう数字を並べるよりも,だれか特定の被害者でもいいので取りあげて,その人の家族の話とか,生活っぷりとかをドラマ仕立てで報道したほうが寄付があつまる…というようなことらしい。

「慈善行為というものが、つまるところは人間の同情心に根ざしたものであり、論理的かつ実利的な計算に基づくものではないから」と書いてあるが,その通り。実際は困った人を助けるという風潮が形成されれば,自分が困ったときも助けてもらえる可能性が上がるという論理的な思考から慈善行動をすることは可能だし,そういうこともあるのだけど,そうじゃなくて単純にその人の「状況」に同情して寄付をすることの方が多いんだと思います。

記事は論理的な人の方はその人の状況を知っても寄付額が上がらないと書いてるけど,論理的な人ってどうやったらわかるんだろうという気はする。それよりその人の状況を知ると寄付額が上がるというのは,要は,人は他人よりも知り合いの方が,家族の方が,より同情と助け船は大きくなるということだと思う。これは人を助けるときに優先順位をつけることであり,それは身近な人,つまり遺伝子の近いの方を助けるという進化論には合理的な行動だと思うけど。

さて,それはそれでいいとして,ちょっと悩ましいのが,こういう人間の性質からいうと,時々見かける「ある困っている人」について,TVとかのメディアで人となりから取りあげて,お涙を頂戴するというのは,個人的にはあまり好きじゃないのだけど,困ってる人からすると,戦略的に有効である場合が多いということになる。だからメディアが視聴率を稼ぐために煽るのと困った人というのは利害が一致してる。かつ,メディアを観て寄付をする人も,それですっきりするのだから,みんなが利害が一致していて,いい事尽くめじゃないか,という気も一見する。

でも,なんかこういうのって割り切れないんですよね。何故割り切れないかというと,多分上にある論理的な思考で考えると,本当に困っている人は他にいるんじゃないか?というのが頭に過ぎってしまうからかな。それとも論理的な思考自体を止められていることに,なにかしら不安感を得るから?だろうか。

まぁよく分からないけど,そもそも人はほとんどが「物語」を元に行動してるもんだと思う。だから別にもとの気の内容には,そんなに驚くべきことはないと思いました。
コメント
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