たろの日記ページ,gooブログ版

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役者という芸術

2008-11-04 21:22:23 | 音楽・アート
電車の中のTVを見ていたら田村正和がCMをやっていました。電車の中なので音声は出ませんが,どんな声でどんな風にしゃべっているかが想像できます。すごいな,と思いました。
田村正和というと,最近はどんな役をやっても髪型も演技も同じようなものです。俳優というと演じる人だから,どんな役でも演じるのがいい役者の様に一見おもいますが,田村正和を見てると,他の演技をするとはとても思えません(笑)。そういえば,なくなった丹波哲郎も「演技するうちは一流じゃない」というようなことをいってました。普通にそこにいるのが求められるようになって一流みたいな話でした。
そういう意味でいうと田村正和も演技せずそこでいつもの様にしてるだけでいいわけで,一流なんだろうなと思いました。
田村正和というと実は30年位前からTVで見ていました。昔は時代劇に良く出ていました。田村兄弟の仲で一番二枚目役でした。昔はもっといろんな演技をしていたような感じでしたが,まぁ印象はあまり変わらないので,大きな方向性は変わってない気がします。
まぁでも例えばこういう個性派の役者の場合,新人のときはどうしていたのだろう?。新人のときから「わたしはこういう役しか出来ない」とかいっていたらたぶん使ってもらえません。まぁ田村兄弟は親も有名人なのでそれなりに最初からスターだったのかもしれませんが,やっぱり最初からそうだと敬遠されると思います。それに本人も最初から受けるスタイルに確信があるとも思えないので,やっぱり若い頃はいろいろと試行錯誤をしたのではないでしょうか?。でも,あるスタイルが受けて,そうしてスタイルを作っていったのかな?と思いました。
こういうのは音楽や絵画とかはそうで,若い頃はいろんなスタイルを吸収し,試していくのですが,どこからかは自分のスタイルを作ることが重要になります。誰が聞いても観てもわかるようになることが一流になるということでしょう。それはわかるのですが,他人になるべき役者もそうなのか?…そうなんだなぁと,田村正和を観て思いました。
となるとなんにでもなりきれるという北島マヤはまだ一流とはいえないのか…などと思ったりも;-p。
コメント
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