森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

遺跡の宝庫

2023-05-21 | 日記


 相変わらず降ったり止んだりの、ハッキリしないお天気が続いています。
 しかしこの雨のおかげで、植物は緑を深め花たちは次々と開花して
 いきます。
 野の花は全般に小ぶりで色も地味なものが多いため、車で走って
 いたのでは見落としてしまいます。
 の~んびり歩いていると、そこらじゅうが花畑になっていることに
 気づきます。
 たまに陽が差そうものなら、虫たちが花を目がけてブンブン飛び出して
 きます。



 この辺りは縄文遺跡の宝庫のような土地なので、縄文人たちもこれと
 同じ景色を見ていたのでしょうね。
 縄文時代は1万6千年前に土器を作る人々が現れて始まりました。
 土器ができたおかげで、煮炊きや貯蔵ができるようになって
 新しい生活様式が生まれたのですが、鍋以外の道具は相変わらず
 石器や骨の道具をつかっていたようです。
 土器がないといっても火は使えたのですから、貝の殻や朴葉などを
 使って加熱することはできたでしょうし、もちろん焼くことは自由に
 できたでしょう。
 水を汲んだり溜めたりするには、とても便利だったんでしょうね。
 
 しかしこの土器を作れる人々が、どこから来たのかわかっていません。
 石器人が火を使っているうちに土を焼くことを覚えて、縄文人に
 なったのか、はたまた弥生時代が始まった時のように、大陸から
 大挙して押し寄せた渡来人が水稲栽培や金属器を持ち込んで弥生人
 になったようなことなのでしょうか。
 


 我々が子どものころは、日本には縄文時代以前には人が住んで
 いなかったとされていました。
 それが少しずつ日本も文明開化されて、日本列島にも縄文以前の
 旧石器時代があったのだ、となっていきました。
 現にこの森の北方にある今金のピリカ遺跡、南方の尻内の湯の里遺跡
 からは、ともに2万年前の旧石器時代のものが出土しています。
 
 そんなわけで、日本にも旧石器時代はあった、そして列島には
 3万5千年前から人は住んでいたということになっていました。
 ところが近年、遠野の金取遺跡から約9万年前の石器が、出雲の砂原
 遺跡からは約12万年前の石器がでたのです。
 
 こうなるともはや、日本人のルーツがどうのこうのと論じるのは
 無意味になって、この12万年前の人々がはたしてホモサピエンス
 なのかどうかということになってきます。
 アフリカで生まれたホモサピエンスは、5万年前に世界中に散らばって
 日本にも到着したことになっているのですから。
 
 新しい発見がおきる度に、既成概念が覆って歴史が更新されていくのは
 楽しいことです。
 ただ、偉い先生たちにとっては、のんびりあぐらをかいてはいられない
 時代でしょう。
 
 今日も朝から雨降りです。
 いっときでも止んでくれると、鳥たちの合唱が聴けるのですが。