森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

駒ケ岳伝説

2020-06-21 | 日記


 今はもう語り継ぐ人もいなくなりましたが、古い者には七月が近づくと想い浮かぶ
 お話があります。

 五百年前といえば、室町時代が終盤に入ったころです。
 道南の松前の大館(現、字神明)に砦をもつ豪族、相原周防守季胤(すえたね)は
 城中に疫病が蔓延し、また海難も多発して困り果てていました。
 すると、ひとりの老占者が現れて「これは海神の怒りなのじゃ 矢越の岬に人身御
 供をせよ さもなければ災難は収まるまい」と告げたのです。
 これを信じた季胤は、なんとアイヌ娘二十人をとらえて矢越岬沖(現、白神岬)へ
 連行し、残酷にも生贄として海中へ突き落としたのです。
 
 

 もちろんアイヌたちは黙ってはいませんでした。
 一斉蜂起して大館の砦を十重二十重にとり囲み、激しく攻撃したのです。
 形勢不利を悟った季胤は、かろうじて二人の姫とともに大沼まで逃げ延びました。
 しかし、せまる追撃に二人の姫は湖水に身を投げてしまいました。
 湖島まで追いつめられた季胤は「もはやこれまで」と最後に愛馬の鞍を外してそび
 える駒ケ岳に向かって放しました。
 そして自身も姫たちのあとを追って入水して果てたのです。
 それは永正十年(1513)七月三日のことでした。
 
 それからというもの、毎年七月三日には物悲しい駒のいななきが駒ケ岳山麓から周
 辺のコタンに聞こえてくるようになりました。



 室町の後期は十年も続いた応仁の乱が終わったとはいえ、人々は疲弊し人心は荒み
 さらに天候不順による飢饉が襲いかかり、疫病が蔓延して、日本中で一揆が多発し
 た時代です。そして戦国時代の動乱へ突入していきます。
 西洋ではアメリカ大陸が発見されて大航海時代を迎え、各国の植民地競争と激しい
 搾取、奴隷売買の幕開けです。
 
 五百年たった今はどうでしょう。
 地球規模の気象異常、コロナの蔓延、政治腐敗、人種差別、飢餓、なくならない戦
 争。
 あの時と同じですね。
 人は変わらない、いや変われないのかもしれません。