10月12日 16:40頃、三好市東祖谷の「東祖谷歴史民俗資料館」を出て、大枝地区にある「鉾神社」を目指しました。
日が傾きはじめ、高い山に挟まれた東祖谷には早々と夕暮れが迫ってきました。
三好市東祖谷の大枝地区にある鉾神社の地図です。
地図の上に見える「鉾神社」は、国道439号線と平行して流れる祖谷川の対岸、A地点から約4Kmの山中にあります。
急カーブや、上り坂がうんざりするほど続く道を進んで行くと、「鉾神社」は、想像を超える高い場所にありました。
正面の広場から撮った「鉾神社」です。
この神社にある杉の大木があり、その根元に平家の落ち武者、平国盛が平家伝来の鉾を埋めたと言う伝説に魅かれて来ました。
神社には、大木が生い茂り、神秘的なイメージが漂っているようです。
この地方独特の自然石が積まれた階段の両側に、少し風化が進んだ狛犬が座っています。
神社の正面に向かってすぐ左隣に青いトタンに覆われた茅葺き屋根の農家がありました。
神社境内の端にも杉の大木が並んでおり、この集落の長い歴史が感じられるようです。
神社は、他に観光客も見えず、さびしい見物でした。
神社正面の石段の様子です。
驚くほど長い板状の自然石が、使われています。
素朴な神社の拝殿です。
すぐ横にイチョウの大木がありました。
しばらくすると、この辺りは黄色い落ち葉で覆われるものと思われます。
雨戸が閉まっていますが、お祭りにはここでどんな光景が見られるのか興味のあるところです。
拝殿の後ろに少し古くなった本殿が見えます。
床が低く、拝殿と同様、質素な建物です。
神社建物の正面に向って左側に大きな杉の大木と、小さな祠がありました。
太い杉の根っこがクネクネと伸びています。
まるで巨大な蛸の足が絡み合っているように見えます。
この杉の大木が、「鉾杉」かと勘違いしていました。
上段の杉の大木と、拝殿の間にあった石積みです。
何の施設かまったくわかりません。
一見、火を焚く神事でもする場所かと思いましたが、火の痕跡はないようです。
神社正面に向って右側の道路です。
突当りに平家の末裔と言われる「喜多家」が見えます。
■「東祖谷歴史民俗資料館」に展示されていた「鉾杉」と、武家屋敷「喜多家」のの説明文です。
「鉾杉」は、平家の末裔とされる「喜多家」のすぐ横にあったようです。
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天然記念物 鉾杉
昭和29.1.29日指定
樹周11m、樹冠20.5m、樹高35mの樹勢旺盛、樹姿整然とした樹令800年余のスギの巨木で、県内一の大きさを誇っています。
屋島の合戦に敗れ、この地に逃れてきた平国盛が、平家の守り神である鉾を祀ったといわれる"鉾神社"の境内にあり、平和を願ってこの杉を植えたという伝説を有することから「国盛杉」とも呼ばれており、武家屋敷「喜多家」のすぐ横にあります。
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道路から二段階の石垣の上に堂々とした武家屋敷「喜多家」が見えます。
藁葺[かやぶき]屋根の建物ですが、祖谷地方では最も大きな屋敷だそうです。
この屋敷のすぐ横に「鉾杉」があったようです。
見学の終了する17:00近くになっていたのであきらめて帰途につきました。
祖谷川を挟んだ対岸の山に夕日が当たっています。
標高約840mの鉾神社から見える山々は、いずれも1,000mを超えるものです。
手前の緩やかな斜面に刈取られた萱(かや)の山が、見られますが、茅葺き屋根の修復に使われるものと思われます。
この付近の民家の大半は、茅葺屋根をトタンで覆っています。
茅葺屋根の全面的な修復には大量の干した萱が必要だそうです。
毎年、少しずつ干した萱を蓄積して「喜多家」の修復に備えているのでしょうか。
日が傾きはじめ、高い山に挟まれた東祖谷には早々と夕暮れが迫ってきました。
三好市東祖谷の大枝地区にある鉾神社の地図です。
地図の上に見える「鉾神社」は、国道439号線と平行して流れる祖谷川の対岸、A地点から約4Kmの山中にあります。
急カーブや、上り坂がうんざりするほど続く道を進んで行くと、「鉾神社」は、想像を超える高い場所にありました。
正面の広場から撮った「鉾神社」です。
この神社にある杉の大木があり、その根元に平家の落ち武者、平国盛が平家伝来の鉾を埋めたと言う伝説に魅かれて来ました。
神社には、大木が生い茂り、神秘的なイメージが漂っているようです。
この地方独特の自然石が積まれた階段の両側に、少し風化が進んだ狛犬が座っています。
神社の正面に向かってすぐ左隣に青いトタンに覆われた茅葺き屋根の農家がありました。
神社境内の端にも杉の大木が並んでおり、この集落の長い歴史が感じられるようです。
神社は、他に観光客も見えず、さびしい見物でした。
神社正面の石段の様子です。
驚くほど長い板状の自然石が、使われています。
素朴な神社の拝殿です。
すぐ横にイチョウの大木がありました。
しばらくすると、この辺りは黄色い落ち葉で覆われるものと思われます。
雨戸が閉まっていますが、お祭りにはここでどんな光景が見られるのか興味のあるところです。
拝殿の後ろに少し古くなった本殿が見えます。
床が低く、拝殿と同様、質素な建物です。
神社建物の正面に向って左側に大きな杉の大木と、小さな祠がありました。
太い杉の根っこがクネクネと伸びています。
まるで巨大な蛸の足が絡み合っているように見えます。
この杉の大木が、「鉾杉」かと勘違いしていました。
上段の杉の大木と、拝殿の間にあった石積みです。
何の施設かまったくわかりません。
一見、火を焚く神事でもする場所かと思いましたが、火の痕跡はないようです。
神社正面に向って右側の道路です。
突当りに平家の末裔と言われる「喜多家」が見えます。
■「東祖谷歴史民俗資料館」に展示されていた「鉾杉」と、武家屋敷「喜多家」のの説明文です。
「鉾杉」は、平家の末裔とされる「喜多家」のすぐ横にあったようです。
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天然記念物 鉾杉
昭和29.1.29日指定
樹周11m、樹冠20.5m、樹高35mの樹勢旺盛、樹姿整然とした樹令800年余のスギの巨木で、県内一の大きさを誇っています。
屋島の合戦に敗れ、この地に逃れてきた平国盛が、平家の守り神である鉾を祀ったといわれる"鉾神社"の境内にあり、平和を願ってこの杉を植えたという伝説を有することから「国盛杉」とも呼ばれており、武家屋敷「喜多家」のすぐ横にあります。
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道路から二段階の石垣の上に堂々とした武家屋敷「喜多家」が見えます。
藁葺[かやぶき]屋根の建物ですが、祖谷地方では最も大きな屋敷だそうです。
この屋敷のすぐ横に「鉾杉」があったようです。
見学の終了する17:00近くになっていたのであきらめて帰途につきました。
祖谷川を挟んだ対岸の山に夕日が当たっています。
標高約840mの鉾神社から見える山々は、いずれも1,000mを超えるものです。
手前の緩やかな斜面に刈取られた萱(かや)の山が、見られますが、茅葺き屋根の修復に使われるものと思われます。
この付近の民家の大半は、茅葺屋根をトタンで覆っています。
茅葺屋根の全面的な修復には大量の干した萱が必要だそうです。
毎年、少しずつ干した萱を蓄積して「喜多家」の修復に備えているのでしょうか。
コメントありがとうございます。
三角に積まれた萱を「こえぐろ」と教えて頂き、ネット検索してみました。
萱を利用して種や、苗を保温したり、敷きワラにしたりと、実によく考えられた伝統農法の一つと知ることが出来ました。
又、神事の施設と思われた神社の石積みが「地神さん」とは意外でした。
離島や、山間部には古い文化が残っていると聞きますが、社殿のなかった古代祭祀の施設形式かも知れませんね。
とても興味深いコメントを頂き、感謝しています。