昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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滋賀旅行のスタート「近江神宮」へ参拝

2009年01月18日 | 近畿地方の旅
昨年11月1~2日に行った滋賀旅行の記録です。

滋賀旅行は、イザナギ・イザナミを祀る「多賀大社」、復元された「安土城」の天守閣、近江八幡の水郷めぐり、比叡山延暦寺など訪れたいスポットが多くあります。

又、琵琶湖周辺の紅葉が見頃で、「源氏物語千年紀」のイベントも開催されていることから、思いたちました。

最初に訪れたのは「近江神宮」です。

飛鳥時代の667年から672年までの約5年間、この大津は天智天皇の都となっていました。

この「近江神宮」に参拝し、滋賀旅行のスタートとしました。



近江神宮の境内にある木製の鳥居です。

近江神宮は、琵琶湖に近い場所にあり、道路に面した石の鳥居から長い参道を進んで行きます。

この木製の鳥居は、石段を上がり切った場所にあり、簡素な美を感じます。

ETCの早朝割引のため朝3:50分頃に福山東インターを通過、7:00には大津市の「近江神宮」に到着しました。

よく晴れた11月初めの朝の空気は、すがすがしく、静かな境内を進んで行きました。



最初の階段を上がり、鳥居をくぐった突き当りに立派な歌碑が並んでいました。

向って右の一番大きな石碑から

さゝなみの しかの山路の春にまよひひとり眺めし花さかりかな 保田與重郎

人間の知恵のはじめよひそひそと秘色の水に刻まあたらし 春日真木子

漏刻の音とこしへに初日影 桂樟蹊子

楼門に湖脈打てる望の月 伊藤香舟女

この地にゆかりのある歌を選び、石碑を建立しているものと思われます。



上段の歌碑の横に塀のように石柱が並んだ場所がありました。

たくさんの石柱にはそれぞれに歌が刻まれています。

よく知りませんが、現代の歌人の歌碑のようです。

天智天皇の歌碑もあるようですが、分かりませんでした。



楼門に上がる石段の下に立派な「手水舎」に並んで由緒が書かれた案内板がありました。

■板に筆文字が書かれた「由緒」を転記します。
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由 緒
御祭神 天智天皇 天の御名 天命開別大神(あめのみことひらかすわけのおおかみ)
御祭神は、第三十八代の天皇であるが、はじめ中大兄皇子と申上げ、今を去る約千三百年の昔、大化改新の大業を完遂遊ばされ、我が国古代に於ける立国の体制を確立せられ、雄大な建国の理想を実現せられた中興の英主であらせられる。
神界に坐しては、天命開別大神と称えられ、万物の運命開拓のことを司宰し給う宝位につかれ、吾等が運命の開顕をはじめ、明治維新の大業も、現代の目覚ましい文化的飛躍も、その冥助によるところと敬慕して、「世直しの大神」「開運の大神」と信仰されている。
又、小倉百人一首の「秋の田」の御製で昔から国民に親しまれ、「学問の神」「知恵の神」と崇められると共に、御在世の時、初めて漏刻台を置き、時刻を国民に周知せしめられた御事蹟により、時計関係の祖神と仰がれている。
当神宮は、その御聖徳を敬仰する県民数度の請願が発端となり、官幣大社として昭和十五年十一月七日御鎮座になり、爾来、例祭は毎年四月廿日、勅使御参向のもとに厳修されて今日に至る。
近江神宮
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朝日が当たる石段の上に美しい朱色の楼門が輝いて見えます。

二階建ての大きな門です。



楼門をくぐり、右手に進んだ辺りから撮った境内の様子です。

境内は、掃き清められていますが、参拝者はまだ見えません。

楼門の向こうの建物は、「時計博物館」のようでしたが、時間が早く入場できませんでした。



楼門をくぐると正面に「外拝殿」があります。

「外拝殿」の脇には、大きなしだれ桜の木があります。

春の花盛りには素晴らしい景色になるものと思われます。



石段の下から「外拝殿」を見上げた景色です。

「外拝殿」は、左右に長い廊下のような建物になっていました。



「外拝殿」に入り、正面に進むと立派な「内拝殿」が見えます。

ここから参拝させて頂きました。



少し斜めから見た「内拝殿」です。

一番後ろに「神殿」が見えます。

「外拝殿」と、「内拝殿」は、左右の回廊で繋がっていましたが、一般人の通行は出来ないようです。

蘇我入鹿の暗殺、「大化の改新」、「白村江の戦い」などで、歴史に残る天智天皇もこの地で崩御されたようです。

しかし、、その直後に発生した「壬申の乱」で、第一皇子の大友皇子がこの地の戦いで敗れてしまいます。

これらの大事件が相次いだことを考えれば、天智天皇が、激動の時代に生きたことが分かります。



「外拝殿」の向かって右隣に少し小さな階段と、門がありました。

境内社がお祀りされているようです。

■奥に見える小さな鳥居の下にあった説明板を転記します。
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「栖松遥拝殿」[せいしょうようはいでん]
この社は、大正天皇の聖旨に依り有栖川宮の祭祀を継承された高松宮宣仁親王が、御成婚ののち東京高輪の宮邸内に御創建、妃殿下ともども日々礼拝しておられた御霊屋[みたまや]であります。
両殿下薨去後、高松宮とご縁の深い当近江神宮境内へお移しすることとなり、今般原寸通りの復元移築工事が完了、栖松遥拝殿と名付けられました。命名の由来は、有栖川宮の「栖」と高松宮の「松」の一字づつを拝戴し、栖むところ松の緑の如く清らかにの寓意をこめて、亡き宮様方の御遺徳を永く偲ばんが為であります。ご参拝の皆様方には併せて皇室の御繁栄と国運の隆昌・開運安寧とをご祈念下さい。
 平成十九年一月吉日 近江神宮
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栖松遥拝殿[せいしょうようはいでん]の様子です。

写真の手前に見たことのない施設があります。

長方形の箱のような物の中央に五段の金属の輪がついた小さな塔が建っています。

水が湧き出ていることから「手水舎」のようです。

狛犬が片方だけに座り、とても特徴のある社でした。


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