昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

尾道市鳴滝山の散策 ①熊野神社

2010年03月07日 | 山陽地方の旅
3月はじめ、尾道市吉和町の「鳴滝山」一帯を散策しました。

ここには「鳴滝山展望台」や、「鳴滝城」があります。

02月14日掲載の 因島村上水軍の菩提寺「金蓮寺」の記事で、「宮地妙光」と、子息大炊助資弘が願主となって金蓮寺を建立したことを書いています。

「宮地妙光」が、ここ「鳴滝城」の城主の嫡男で、「鳴滝城」が落城して因島に逃れ、再興した物語があることを知り、鳴滝山周辺の散策を思いついたものです。



「鳴滝山」の展望台から尾道水道を見下ろした景色です。

時々晴れの日で、少し霞んでいましたが絶景を楽しむことができました。

左手にそびえる山は「鳴滝城山」(山の名称は国土地理院の地図より)です。

「鳴滝城山」からもすばらしい眺めでした。

この一帯から東西には福山市から三原市、沖には四国の山並みまで見渡せ、瀬戸内海の眺望の中では最高ランクの展望台だと思います。



国道2号線から「鳴滝山」方面への地図です。

「鳴滝山」への道は、2号線パイパス吉和インターから北の側道を少し西に進み、北に進んで行きます。

地図の赤い矢印に沿って進むと「鳴滝山」や「鳴滝城跡」があります。



「鳴滝山」一帯の地図です。

当日、歩いた範囲を地図に記しています。

歩いた順は、9:26「P1」駐車→9:32「熊野神社」参拝→山道を北へ→9:50「P2」駐車場付近で車道に合流→10:13「鳴滝山展望台」→10:50「P2」→車道を下る→11:10「鳴滝城跡」登り口→11:25「鳴滝城跡」頂上11:45→11:55「P1」



道路脇の案内標識に従って「鳴滝山」へ向って行くと右手に「瀬戸内海国立公園 鳴滝山登山道 駐車場」と書かれた看板が見えてきます。(上の地図「P1」)

その下に「熊野神社」と墨で書かれた案内板も見えます。



右手は駐車場で、中央の上り坂の道が「熊野神社」を経由して「鳴滝山」へ進む道です。

左手の道は、「鳴滝山」へ進む車道ですが、左手の山には「鳴滝城跡」があり、登り口はすぐ先です。



坂道を歩いて行くと「熊野神社」がありました。

先は神様に参拝、ご挨拶です。

短い石段を登り切った所にイノシシ対策と思われる柵があり、ジクザグに進むと境内に入ります。

他にも境内に入る道がありましたが、柵で完全にふさがれていました。


■拝殿に登る石段の脇に「熊野神社」の案内板がありました。
==================================================================================
熊野神社
応永9年(1402)鳴滝山城の守神として鎮座されたと伝えられ、熊野三社神のほか、伊邪那美命が祀られている。
また同社に、僧覚峰が筑紫から紀州大峰山に神命をおび赴く途次、この沖合で船が動かなくなり、神のお告げをうけ、山上に勧請したといわれている。
==================================================================================



二つ目の石段を登ると「熊野神社」の拝殿がありました。

ここで拝礼です。



拝殿の壁に「熊野神社・西光寺旧蹟」の修造寄付者芳名が掲示されていました。

平成13年11月竣工とされ、神仏を合わせて建物を改修されたものと思われます。

掲示された寄付者芳名に、かっての城主「宮地」姓が数名書かれていました。



拝殿の裏の小さな本殿です。

拝殿と、本殿が離れてた素朴な建物です。



本殿の横に小さな祠[ほこら]がありました。

5つの連続した祠と、単独の祠が並んでいますが、その間に非常にちいさなコンクリート製の祠もありました。

どんな神様が祀られているのでしょうか?



拝殿を背に下段の鳥居方向を見た様子です。

鳥居をくぐって石段を降り、右手に進むと「鳴滝山」です。



「熊野神社」の鳥居から左手に進むとお堂があり、その横に石仏が並んでいます。

地図には「熊野神社」の隣に「西光寺」と表示されています。

■拝殿に登る石段の脇に「西光寺旧蹟」の案内板がありました。
==================================================================================
西光寺旧蹟
鳴滝山二代目城主宮地広義が嘉暦3年(1328)建立した。
この寺は頂上にあって当時72坊をそなえ近くの鉢が峯、弥次池を行場とする山伏たちの吹きならす法螺貝の音が、山や谷をゆすったものとみられ、応永30年(1423)鳴滝城の奇襲の際寺も灰燼にきし建てかえられた。
==================================================================================

参拝を済ませ、神社の前の山道を「鳴滝山展望台」をめざして登って行きました。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。