11/10 イタリア旅行2日目、ヴェネツィアのゴンドラ観光の続きです。
ゴンドラで小運河を航行中、気になる広場がありました。

前回掲載の、「トリトン」の飾りを付けた二艇のゴンドラがあった広場です。
二人のゴンドリエーレ達が客待ちをする広場の中心には歴史を感じさせる風格のある銅像が立っていました。

広場の中央に立つ銅像と、足元で翼を広げる獅子像です。
ヴェネツィアの守護聖人サン・マルコの象徴とされる翼の獅子像を足元に従える銅像の人物はいったい誰で、この広場はどこにあったのでしょうか。
この謎を考え始めた時、ゴンドラが通ったコースや、この広場などの場所もまったく分かっていなかったことに気付きました。
早速、ゴンドラのスタート地点から探してみました。

サン・マルコ広場から比較的近い場所にあり、スタート地点の手前にあったホテルと、運河に浮かぶゴンドラです。
ゴンドラは、次の航行に備えて運河が広くなったこの場所でUターンしていたのでしょうか。
建物の壁にある「Best Western」「HOTEL CAVALLETTO」の文字が場所を知る手掛かりです。
googlの検索と、地図で調べてみました。

googlの地図右下角にサン・マルコ広場があり、運河が広くなった岸辺に「HOTEL CAVALLETTO」を見つけました。
上の画面は、地図上のホテル名をクリックした時のもので、上段のホテルの写真と似た写真が出て来ます。
ホテルの対岸の道を進むと、その先の橋の向こうがゴンドラ乗場と分かった訳です。

次に、ゴンドラ乗場の少し先にあった運河脇のこのお店の写真が手掛かりです。
店先の赤いテントに「Ivo RISTORANTE」の文字が見え、「Ivo」と名付けられたレストランのようです。
googlのヴェネツィアの地図で「HOTEL CAVALLETTO」の近くにあると思われる「Ivo」を探してみました。

googlの地図を拡大し、運河沿いの登録スポットをチェックして行くとすぐに「Ivo」が見つかりました。
赤いテントのある店先の写真も登録されていました。
googlの地図にはホテルや、レストランがたくさん登録されており、デジカメで撮影しておくと撮影時刻も記録され、場所確認の可能性が高くなるようです。
googlの地図では日本語の表示や、スポットの説明文の翻訳まで出来て、イタリア語の分からない私でも地図上の場所を確認出来ました。
googlの地図は、建物の様子が見える航空写真にも切り替えられ、海外の様々な情報が簡単に得られることを実感しました。

ゴンドラの乗船場所を赤い丸印で、往復の航行ルートを赤い矢印で、googlの地図に描いてみました。
「HOTEL CAVALLETTO」「Ivo RISTORANTE」の位置を記した緑の丸印と、「リアルト橋」から推測したものです。
又、ルート上の赤い星印の場所に「マニン広場」が見つかり、そこにある銅像がイタリア独立の英雄とされる「ダニエーレ・マニン」のものでした。
約千年続いたとされるヴェネツィア共和国は、1797年にナポレオン率いるフランス軍により制圧され、崩壊したそうです。
その後オーストリア帝国の支配も受けたヴェネツィアは、1848年3月から翌年8月までの短期間、「ダニエーレ・マニン」が指揮する勢力により共和国が再興されたようです。

「1875年、ダニエレ・マニンの銅像の除幕式」と説明された写真を偶然見つけたました。
まさに135年前の「マニン広場」で、銅像の周りに大勢の人々が立っています。(冒頭の広場の写真と同じ場所)
この写真は、ヴェネツィアの歴史の本「図説ヴェネツィア 水の都 歴史散歩」(ルカ・コルフェライ著、中山悦子訳、河出書房新社)に掲載されていたものを拝借させて頂きました。
(写真が多く、簡潔にまとめられ、ヴェネツィアの歴史を知るにはてもよい本でした)
写真の説明文では「ヴェネツィアは、すでにイタリア王国の一部になっており、独立運動の英雄たちを祝した(1875年)。写真提供Filippi Editore」とあります。
1861年、イタリア王国が誕生、1866年ヴェネツィアも、イタリア王国に統合され、フランスや、オーストリアの支配から脱却することとなりました。
「ダニエーレ・マニン」によるヴェネツィア共和国の短期的な再興から約17年後のことだったようです。
「ダニエーレ・マニン」は、祖国の独立を見ることなく1857年に他界しましたが、独立運動の英雄としてヴェネツィアに銅像が作られ、盛大な除幕式となったようです。
写真の銅像の背後にある建物は、「ダニエーレ・マニン」の生家だそうで、現在では近代的な銀行の建物になっています。
イタリアの歴史をほとんど知らない私も、この広場の銅像に興味を持ったことで、少し歴史を知ることが出来ました。

11:30頃、ゴンドラ観光を終えてサンマルコ広場に戻ってみると、朝より水位が上がり、広場は湖(サン・マル湖??)のようになっていました。
高潮「アクア・アルタ」の影響は、この後もまだ続いていました。

サン・マルコ寺院のそばに立つ長い鐘楼が水面に映っています。
水の中に残っているのは土産物店の屋台ですが、お店の人はどこかで休憩中だったのでしょうか。
こんな美しい景色を見せてくれる「アクア・アルタ」は、今やヴェネツィアの風物詩になっているようです。
ツアーは、これからヴェネツィアン・グラスのお店に行き、その後が昼食の予定でした。
12:45頃、ヴェネツィアン・グラスのお店を出て、食事に向かった時の高潮の様子は次回とします。
ゴンドラで小運河を航行中、気になる広場がありました。

前回掲載の、「トリトン」の飾りを付けた二艇のゴンドラがあった広場です。
二人のゴンドリエーレ達が客待ちをする広場の中心には歴史を感じさせる風格のある銅像が立っていました。

広場の中央に立つ銅像と、足元で翼を広げる獅子像です。
ヴェネツィアの守護聖人サン・マルコの象徴とされる翼の獅子像を足元に従える銅像の人物はいったい誰で、この広場はどこにあったのでしょうか。
この謎を考え始めた時、ゴンドラが通ったコースや、この広場などの場所もまったく分かっていなかったことに気付きました。
早速、ゴンドラのスタート地点から探してみました。

サン・マルコ広場から比較的近い場所にあり、スタート地点の手前にあったホテルと、運河に浮かぶゴンドラです。
ゴンドラは、次の航行に備えて運河が広くなったこの場所でUターンしていたのでしょうか。
建物の壁にある「Best Western」「HOTEL CAVALLETTO」の文字が場所を知る手掛かりです。
googlの検索と、地図で調べてみました。

googlの地図右下角にサン・マルコ広場があり、運河が広くなった岸辺に「HOTEL CAVALLETTO」を見つけました。
上の画面は、地図上のホテル名をクリックした時のもので、上段のホテルの写真と似た写真が出て来ます。
ホテルの対岸の道を進むと、その先の橋の向こうがゴンドラ乗場と分かった訳です。

次に、ゴンドラ乗場の少し先にあった運河脇のこのお店の写真が手掛かりです。
店先の赤いテントに「Ivo RISTORANTE」の文字が見え、「Ivo」と名付けられたレストランのようです。
googlのヴェネツィアの地図で「HOTEL CAVALLETTO」の近くにあると思われる「Ivo」を探してみました。

googlの地図を拡大し、運河沿いの登録スポットをチェックして行くとすぐに「Ivo」が見つかりました。
赤いテントのある店先の写真も登録されていました。
googlの地図にはホテルや、レストランがたくさん登録されており、デジカメで撮影しておくと撮影時刻も記録され、場所確認の可能性が高くなるようです。
googlの地図では日本語の表示や、スポットの説明文の翻訳まで出来て、イタリア語の分からない私でも地図上の場所を確認出来ました。
googlの地図は、建物の様子が見える航空写真にも切り替えられ、海外の様々な情報が簡単に得られることを実感しました。

ゴンドラの乗船場所を赤い丸印で、往復の航行ルートを赤い矢印で、googlの地図に描いてみました。
「HOTEL CAVALLETTO」「Ivo RISTORANTE」の位置を記した緑の丸印と、「リアルト橋」から推測したものです。
又、ルート上の赤い星印の場所に「マニン広場」が見つかり、そこにある銅像がイタリア独立の英雄とされる「ダニエーレ・マニン」のものでした。
約千年続いたとされるヴェネツィア共和国は、1797年にナポレオン率いるフランス軍により制圧され、崩壊したそうです。
その後オーストリア帝国の支配も受けたヴェネツィアは、1848年3月から翌年8月までの短期間、「ダニエーレ・マニン」が指揮する勢力により共和国が再興されたようです。

「1875年、ダニエレ・マニンの銅像の除幕式」と説明された写真を偶然見つけたました。
まさに135年前の「マニン広場」で、銅像の周りに大勢の人々が立っています。(冒頭の広場の写真と同じ場所)
この写真は、ヴェネツィアの歴史の本「図説ヴェネツィア 水の都 歴史散歩」(ルカ・コルフェライ著、中山悦子訳、河出書房新社)に掲載されていたものを拝借させて頂きました。
(写真が多く、簡潔にまとめられ、ヴェネツィアの歴史を知るにはてもよい本でした)
写真の説明文では「ヴェネツィアは、すでにイタリア王国の一部になっており、独立運動の英雄たちを祝した(1875年)。写真提供Filippi Editore」とあります。
1861年、イタリア王国が誕生、1866年ヴェネツィアも、イタリア王国に統合され、フランスや、オーストリアの支配から脱却することとなりました。
「ダニエーレ・マニン」によるヴェネツィア共和国の短期的な再興から約17年後のことだったようです。
「ダニエーレ・マニン」は、祖国の独立を見ることなく1857年に他界しましたが、独立運動の英雄としてヴェネツィアに銅像が作られ、盛大な除幕式となったようです。
写真の銅像の背後にある建物は、「ダニエーレ・マニン」の生家だそうで、現在では近代的な銀行の建物になっています。
イタリアの歴史をほとんど知らない私も、この広場の銅像に興味を持ったことで、少し歴史を知ることが出来ました。

11:30頃、ゴンドラ観光を終えてサンマルコ広場に戻ってみると、朝より水位が上がり、広場は湖(サン・マル湖??)のようになっていました。
高潮「アクア・アルタ」の影響は、この後もまだ続いていました。

サン・マルコ寺院のそばに立つ長い鐘楼が水面に映っています。
水の中に残っているのは土産物店の屋台ですが、お店の人はどこかで休憩中だったのでしょうか。
こんな美しい景色を見せてくれる「アクア・アルタ」は、今やヴェネツィアの風物詩になっているようです。
ツアーは、これからヴェネツィアン・グラスのお店に行き、その後が昼食の予定でした。
12:45頃、ヴェネツィアン・グラスのお店を出て、食事に向かった時の高潮の様子は次回とします。
Google map私も見てみます。
アクアアルタすごいですね。本当まるで湖みたい。
続き楽しみにしています。
ご覧頂き、ありがとうございます。
初めて見る素敵な景色に、ただ夢中になって歩いていたためか、内容の薄い記事で恐縮です。
コメントありがとうございます。
ドン行列車のようにマイペースで、楽しみながら書いています。
もしかして、まりんさんは、ツアーでご一緒した愛媛の方ですか?
やっぱり、当りでしたか。
イタリアの歴史が面白く、ブログの更新が停滞気味になっています。
ブログをご紹介下さるとのこと、大歓迎です。
よろしくお願いします。