昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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イタリア旅行No.38 ヴァチカン市国「システィーナ礼拝堂」

2011年05月07日 | 海外旅行
【東北地方太平洋沖地震で被災された方々に心からお見舞い申し上げます。】


11/15 イタリア旅行7日目、 ヴァチカン美術館の見学を終え、ミケランジェロの大作「最後の審判」「天井画」などのある「システィーナ礼拝堂」へ向いました。



「サン・ピエトロ広場」から見た「サン・ピエトロ大聖堂」です。

「サン・ピエトロ大聖堂」のすぐ右手の屋根(赤い星印)が「システィーナ礼拝堂」で、切妻の屋根の端に避雷針のようなものが見られます。

「システィーナ礼拝堂」は、シクストゥス4世(在位:1471~1484年)により1481年に作られた東西に長いシンプルな長方形の建物です。

又、「システィーナ礼拝堂」は、ローマ教皇を選出する選挙「コンクラーヴェ」が行われる場所でも有名です。

ここから見える新教皇の決定を知らせる白い煙には世界が注目します。



ヴァチカン市国の地図です。(向かって右が北)

赤丸印の場所が、「システィーナ礼拝堂」で、向って右の「ビーガの間」から「地図のギャラリー」まで続く長い廊下の展示室を歩いてやっとたどり着きました。



ヴァチカン市国で最初に見学した「ピーニャの中庭」で「システィーナ礼拝堂」の解説を聞いている風景です。

「システィーナ礼拝堂」の中では写真撮影や、ガイドが禁止されており、入国直後に案内される広い「ピーニャの中庭」にこのような解説場所が約10ヶ所設置されていました。

3枚の解説パネルの中央でサングラスをかけている女性は、現地ガイドさんです。



「ピーニャの中庭」にあった「システィーナ礼拝堂」解説パネルの一つで、三枚セットの中央にあるものです。

左上の写真は、西側から東側を見た礼拝堂の風景で、正面には「最後の審判」があります。

右上の写真は、礼拝堂の南北の壁面の様子で、上部にアーチのある窓、その下には初期ルネサンスの画家による「モーセ伝」(南壁)、「キリスト伝」(北壁)が描かれています。

このパネルにある12枚の絵は、「モーセ伝」が左列上から下、中央列の上から二番目まで6枚、「キリスト伝」が中央列三番目(キリストの洗礼)から右列下(最後の晩餐)まで6枚と、二人の生涯の有名な場面です。

実は、かつて「最後の審判」が描かれる前の東壁には「モーセ伝」、「キリスト伝」の一番目の絵「モーセの発見」「キリストの降誕」があったそうです。

■参考
【モーセ伝】南壁
(モーセの発見)(東壁にあった)
1.モーセの旅 ペルジーノ作
2.モーセの生涯の出来事 ボッティチェッリ作
3.紅海渡渉 ビアジオ・ディ・ダントーニオ作
4.十戒の石板の授受 コシモ・ロッセッリ作
5.コラー、ダタン、アビラムの天罰 ボッティチェッリ作
6.モーセの遺言 シニョレッリ作
7.モーセの遺体をめぐる論議(西壁面にあり) マッテオ・ダ・レッチェ作

【キリスト伝】北壁
(キリストの降誕)(東壁にあった)
1.キリストの洗礼 ペルジーノ作
2.キリストの誘惑 ボッティチェッリ作
3.最初の使徒たちのお召し ギルランダーイオ作
4.山上の垂訓 ロッセッリ作
5.天国の鍵の授与 ペルジーノ作
6.最後の晩餐 ロッセッリ作
7.復活(西壁面にあり)ヘンドリック・ファン・デン・グレック作 



「システィーナ礼拝堂」の西側から東側を見た風景です。(中央パネル左上)

正面の壁一面に「最後の審判」が描かれ、その下に祭壇があります。

部屋の大きさは、長さ40.23m、幅13.41m、高さ20.70mで、左右の壁にアーチのある窓がそれぞれ6ヶ所あります。

入場は、祭壇に向って右のドアから入りましたが、本来の出入り口は西側にあるドアだそうです。

この写真では窓が開放されて部屋が明るく見えますが、実際は薄暗い感じの部屋でした。

「システィーナ礼拝堂」の床一面には色大理石の美しい模様が見られます。

左右の壁には「モーセ伝」「キリスト伝」の絵が続いています。



南壁に描かれた絵の一例で、「モーセ伝」の「紅海渡渉」(ビアジオ・ディ・ダントーニオ作)です。

エジプト軍に追われたイスラエルの民は、モーセの祈りで紅海の海水が二つに分かれ、道が出来て紅海を渡った後、追って来たエジプト軍が元に戻った海水に溺れている劇的な場面です。



北壁に描かれた絵の一例で、「キリスト伝」の「最後の晩餐」(ロッセッリ作)です。

黒い服でテーブルの中央付近に座るのがキリストでしょうか、レオナルド・ダ・ヴィンチの構図とはだいぶ違っています。

上段には、「オリーブ山のキリスト」「キリストの逮捕」「礫刑」が措かれています。



「ピーニャの中庭」にある「システィーナ礼拝堂」解説パネル3枚の向かって右にある天井画(ミケランジェロ作)の写真です。

天井画は、ミケランジェロが40代の1508年から1512年の4年間で製作されたもので、中央に並ぶ9つの長方形の画には天地創造からノアの方舟など壁面のモーセ伝、キリスト伝以前の旧約聖書の世界が描かれているようです。



天井画の中央列、天地が創造された後の第4画面「アダムの創造」です。

ミケランジェロは、左手のアダムに生命が吹き込まれた場面を神が指先を伸ばした姿で表現しています。

右下の写真は、アダムの部分を例とした絵の修復状況を説明するものと思われます。

1982年~1994年、「日本テレビ放送網株式会社」の費用支援で天井画の本格的な修復工事が行われた時のものと思われます。

その左は、天井画の修復作業の様子と思われ、天井の下に階段状の足場が組まれていたようです。



「ピーニャの中庭」にある「システィーナ礼拝堂」解説パネル3枚の向かって左にある「最後の審判」(ミケランジェロ作)の写真です。

この壮大なフレスコ画が完成したのは1541年、ミケランジェロが66才になった時で、天井画を描いた約20年前と比べても衰えない驚くような力強さを感じます。

新約聖書の「ヨハネの黙示録」には世界の終末と、その直前に最後の審判があると予言されています。

様々な解釈があるようですが、世界の終末が近づく時、キリストが再臨し、過去の死者を含む全ての人が裁きを受けて永遠の命を授けられて天国へ行く者と、地獄へ落される者に分けられるようです。

その時、死者だった者は肉体が復活し甦るとされ、この絵の向って左下には復活して天使に導かれ天国に召される人の姿が見られます。



上段のパネルの下部左の二つの写真がある辺りの部分です。

向って左上に最後の裁きを行うキリスト、その左隣に聖母マリアが描かれています。

キリストの右下にはローマの守護聖人「聖バルトロマイ」が人間の皮を持ってキリストを見上げています。


生きたまま皮を剝されて殉教したとされる「聖バルトロマイ」の持つ人間の皮の顔は、ミケランジェロの自画像と言われているようです。

既に肉体が復活した「聖バルトロマイ」に持たせたミケランジェロの皮は、罪深く再生出来ない自分自身を表現したのでしょうか。



「最後の審判」の向かって右下隅に描かれているミノス像です。

ミノスは、ギリシア神話に登場するクレタ島の王で、冥界で死者を裁くとされています。

大蛇に巻きつかれ、股間に咬みつかれたミノスの顔は、製作中にこの絵を酷評した当時の教皇パウルス3世の式部長官「ビアジョ・ダ・チェゼナ」の顔に似せたと言われているようです。

祭壇の背景に約400人もの全裸が描かれた絵の異常さを指摘した常識的な「ビアジョ・ダ・チェゼナ」に理解出来ますが、負けず嫌いな天才「ミケランジェロ」が思い浮かんできます。

よく見ると、この忌わしいミノスの股間の下に「システィーナ礼拝堂」を見学する私たちが通るドアがありました。

ミケランジェロの恨みが、とんだトバッチリになっていたようです。


参考文献
「ヴァチカン・ガイド 美術館と市国」石鍋真澄監修
「地球の歩き方 南イタリアとマルタ」地球の歩き方編集室著


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