昔に出会う旅

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ドイツ・スイス旅行 3 ライン川クルーズ(1) リューデスハイムからアスマンスハウゼン

2013年07月11日 | 海外旅行
南ドイツ・スイス旅行2日目11:00頃、リューデスハイムの町の自由散策を終え、いよいよ世界遺産「ライン渓谷中流上部」のクルーズへ出発です。



目印の折りたたみ傘を高く掲げ、「KDライン社」の旗がたなびく桟橋を乗船して行く添乗員Yさんです。

船体には「BOPPARD」と書かれていますが、これが船名でしょうか。

乗船すると、さっそくランチの席がある1階客室へ案内されました。

写真下は、記念に持ち帰ったライン川クルーズの乗船券です。



「KDライン社」のサイトから拝借したライン川クルーズの下りの時刻表です。

乗船・下船の場所、時刻に赤いアンダーラインを付けています。

南から北に流れるライン川を地図で描いたように時刻表も下から上に進んで行くように表現されています。

「Rudesheim[リューデスハイム]」を11:15出発し、「St.Goarhausen[ザンクトゴアハウゼン]」に13:05到着する1時間50分のクルーズです。

この便の終着地(時刻表の青い丸印)は、船体に書かれた文字と同じ「BOPPARD[ボッパルト]」で、終着地を船名としたようです。

終点ボッパルトへの到着時刻は13:50、上りの時刻表にボッパルト発14:00~リューデスハイム着18:15の便があることからこの船はすぐに折り返し、毎日1往復しているものと思われます。

又、リューデスハイム・ボッパルト間の下りの航行時間は、2時間35分で、上りの航行時間は4時間15分と、川をさかのぼるには約1.6倍以上の時間を要するようで、ゆったりとしたライン下りでしたが、上りではもっとのんびりしているようです。



添乗員Yさんから配布されたライン川クルーズの資料です。

この資料も地図と同様に北を上として、ライン川を下から上に進んで行くよう書かれています。

お城や、教会などの可愛いらしいイラストからYさんのやさしい人柄が伝わってくるようです。

資料の冒頭に「ドイツ人は父なる川と呼ぶ」とあります。

ドイツでは、一般河川に女性名詞に付ける定冠詞「die[ディー]」が付けられますが、ライン川だけには男性名詞に付ける定冠詞「der[デア]」が付けられ、「Der Rhein[デア・ライン]」と呼ばれるそうです。

この名称からも、ドイツ人がライン川によせる特別な想いをうかがうことが出来ます。



ライン川の地図です。

「ライン河紀行」 (吾郷慶一著、岩波書店出版)に掲載された二つの地図を組合せ、国別に着色したものです。

今回のライン川クルーズは、地図の中央付近に赤い四角で囲んだエリアで、全長約1,320Kmのライン川の内、わずか約30Km足らずのライン川のハイライトとされる部分でした。

「ライン河紀行」によると、ライン川の源流は、スイスアルプスにある「前方ライン」「後方ライン」の二ヶ所(地図右上の詳細地図参照)とされ、「前方ライン」は、この旅行で氷河特急からバスに乗り継いだ町「アンデルマット」付近の「トゥーマ湖」を源泉とするそうです。

又、その後にバスで越えたフルカ峠を分水嶺とし、東側はライン川水系から北海へ、西はローヌ川水系となって地中海に注いでいるそうです。

この地図には南ドイツを源とするドナウ川と、ライン川の支流マイン川とを結んだ「ライン・マイン・ドナウ運河」が描かれています。

1992年、この運河の完成により、北海から黒海、更には地中海へと水運が結ばれ、このライン川もヨーロッパ大陸を横断する壮大な運河の一部であったことに改めて感心します。

古代ローマ帝国は、ライン川西岸、ドナウ川南岸を支配し、二つの川を東岸に住むゲルマン民族からの防衛ラインとしていたようです。

二つの川の間をつなぐ防衛ラインとして、マイン川と、ドナウ川を結ぶ長城「リメス・ゲルマニク」を築いていたそうで、この運河の構想もローマ帝国時代の知恵が活かされたのかも知れません。

古代ローマ帝国が長城まで築いて守ろうとしたのは、ライン川や、ドナウ川の流域の肥沃な土地の産物や、川を利用した交易ルートだったものと思われ、現代もその重要性は続いているようです。



乗船した直後、船から見たリューデスハイム駅の風景です。

ちょうど列車が停車した場面ですが、すてきな車両でした。

左上スミの稜線には下記に紹介する「ニーダーヴァルト記念碑」が小さく見えています。



クルーズ船は、リューデスハイムを出港、すぐ右手のブドウ畑が広がる斜面の上に「ニーダーヴァルト記念碑」が見えてきました。(写真左下は望遠で撮った記念碑)

「ニーダーヴァルト記念碑」は、プロイセン王国(ドイツ北東部)を中心として、ドイツ諸邦が結束してフランスと戦った普仏戦争(1870年7月~1871年5月)に勝利し、ドイツ帝国を建国した記念碑です。

フランスを降し、ドイツ帝国の皇帝となったヴィルヘルム1世(プロイセン王国)が1871年9月にこの地を訪れて建設が始まったとされ、ライン川西岸を見下ろす巨大な「ゲルマニア像」は、ドイツを統一した当時のドイツ帝国のみなぎる自信が表現されているようです。

なぜこの場所が選ばれたのかよく分りませんが、古代ローマ帝国とは逆にライン川を重要な防衛ラインとして、東岸を死守しようとするプロイセン王国の発想によるものかも知れません。

鉄血宰相と言われた「ビスマルク」がヴィルヘルム1世の信任を得てプロイセン王国の宰相から新たに建国したドイツ帝国の宰相となって活躍した時代、日本も明治維新で新たな建国の時代を迎え、国造りのお手本としたドイツを訪れてみると親しみが湧いてきます。



船は、リューデスハイムを出て約15分で、対岸のビンゲンに着きました。

リューデスハイムの対岸とは言え、正確にはやや下流に位置しており、船の操縦も時々に変化する川の流れを計算して行われるものと思われます。

地図で見るライン川は、大きくは南から北へ流れていますが、マインツからここビンゲンまでは東から西へ流れ、再び北へ流れを変えています。

ビンゲンの町の西(下流側)ではナーエ川がライン川に合流し、その下流の「ねずみの塔」が築かれた中洲もナーエ川から流出した土砂で形成されたものと思われます。



ライン川沿いにビンゲンの教会の塔がそびえ、後方の小高い丘にはクロップ城がそびえています。

丘に建つ塔からは、東から北へと大きく流れを変えたライン川を広く見渡し、支流ナーエ川流域までも監視出来るものと思われ、クロップ城の場所に紀元前のローマ帝国が築いていた要塞「ビンギウム」が町の名「ビンゲン」の名の由来であることからもここが要害の地であったことがうかがわれます。

現在のクロップ城の建物の詳細は不明ですが、市役所や、歴史博物館として利用されているとされ、長い歴史の中で破壊と、再建が繰り返されてきた建物と思われます。



クルーズ船の前方に中州に建つ「ねずみの塔」と、右手の斜面に「ラインシュタイン城」が見えてきました。

ライン川が大きく北へ流れを変えるのは、あの辺りです。



「ビンゲン」の下流の中州に建つ「ねずみの塔[モイゼトルム]」です。

添乗員さんの資料では「昔、マインツの大司教が通行税を課していた税関所。その大司教がねずみに食い殺されたという伝説の地。」とあり、航行する船は、ここで通行税を徴収されていたものと思われます。

この中州は、後方のライン川西岸に近く、主として東岸に向いたこちらの建物の面から船の通行を監視していたものと思われます。

左の高い塔で見張り、隣のやや低い塔の上は弓や、鉄砲など戦闘に使われる施設だったのでしょうか。

壁から突き出た出窓からも180度の視界が確保され、屋内からも監視できたようです。

写真左上の紋章は、出窓のすぐ下の壁にあったもので、王冠をかぶった黒鷲の特徴は、プロイセン王国の紋章によく似ています。

プロイセン王国を中核としたドイツ帝国時代建国時代のものだったのでしょうか。

クルーズ船を降りたザンクトゴアハウゼンからライン川沿いを引返すバスの中で、添乗員Yさんから聞いたねずみに食い殺された大司教の話は、いまでも思い浮かびます。

神聖ローマ帝国の時代(962~1806年)、皇帝は7人の有力領主(選帝侯)による選挙で決められたとされ、マインツ大司教はその一人だそうです。

この一帯はマインツ大司教の支配下にあり、その時代からの城も多いようです。



急斜面にそびえるのは廃墟となった「エーレン城」です。

斜面に露出した岩場の上に石垣を築き、その上に築かれた城で、後方に二つの塔がそびえ、前方は窓のある建物です。

ぶどう畑の急峻さにも驚きますが、命綱でも結んで収穫作業などをするのでしょうか。

添乗員Yさんの資料では「マインツ大司教のもと、税関所として建設。普仏戦争でフランス軍が破壊。」とあり、対岸近くの中州に建つ「ねずみの塔」は、この城の付属施設だったのかも知れません。

又、普仏戦争で、フランス軍にこの城を破壊されたと言うことは、ライン川の防衛ラインが突破されたことになり(大砲による破壊かも知れませんが・・・)、「ニーダーヴァルト記念碑」がこの少し上流に造られたことと関連があったのかも知れません。



船は、2番目の寄港地「アスマンスハウゼン[Assmannshausen]」に近づきました。

KDライン社の桟橋はこのすぐ下流でしたが、この桟橋の後方に素敵な建物が並んでいました。

左の可愛らしい木組みの家には特に目を引かれます。

ラインクルーズはまだまだ続きます。