昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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奇岩が続く海岸 熊野の「鬼ヶ城」 ①千畳敷

2009年05月10日 | 近畿地方の旅
三重旅行の最初の観光スポットは、変化に富んだ奇岩が延々と続く海岸「鬼ヶ城」です。

奈良県からの大半が、国道169号で、熊野市に入り国道309号、国道42号線を走り、海岸線に出ました。



熊野市の市街地のすぐ東側にある「鬼ヶ城トンネル」の東口の写真です。

国道42号から海岸側の「鬼ヶ城」へ分岐する道があり、金棒を持った赤鬼の人形が立っています。

ここから200~300mで「鬼ヶ城」の有料駐車場(500円)に着きます。



「鬼ヶ城」の広い駐車場から海岸に出る道の入口で、ここにも金棒を持つ鬼が立っています。

おとぎ話の桃太郎の絵本で見たような赤鬼・青鬼で、道を進んだ両側に土産物店が並んでいました。



土産物店を過ぎ、海が見える場所から下りの石段の道になります。

下を見ると木製の案内板と、黒い石碑が建っていました。

写真の左上部分に横から撮った石碑の写真を貼り付けていますが、二本のツノがあり、鬼の形に見えます。

又、熊野市は、碁石でも知られる「那智黒石」の産地で、この黒い記念碑の石材にも使われているものと思われます。

■案内板と、石碑の文を転記します。
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熊野の鬼ケ城(木製の案内板より)
昔から南紀州の奇景として名高い鬼ヶ城は、石英粗面岩からなり、岬の崖が一段の高さ2~4mkの数段かになる階段状をなし、数回にわたる急激な地盤の隆起のあとを残しています。
各段毎に海蝕洞窟があり、いずれの洞窟も入口の上段が鋭くとがり天井部には蜂の巣状の風食痕があり、床面は平らな棚となっています。

井上靖の詩 (黒い石碑より)
昔 熊野の鬼たちはここに集り棲んだ。
彼等は風に髪を飛ばし渦を啖い 夜はすもすがら岩を揺すぶる波濤の音の中に眠った。
月明の夜より雷鳴の夜を好んだ。
ニ本の角は稲妻の中で生き生きとした。
ー鬼ヶ城にてー
 井上 靖

この詩は井上靖氏が親友 竹本辰男氏に贈られた作品である。
平成二十一年二月
建立 熊野市・・・・
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「鬼ヶ城」にあった案内板の地図です。

向って右の「くまの特産品館」から左の神社まで名前が付けられた15ヵ所の奇岩が案内されています。

海岸の現場にも奇岩の名称プレートがありましたが、「どの岩か?」「なぜその名がつけられたか?」歩いて見ただけでは分からないものがありました。

■案内板の地図に添えられた案内文を転記します。
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鬼ヶ城伝説
鬼ケ城は、海風蝕と数回の大地震で隆起した凝灰岩の大岩壁。東口から西口の弁天神社まで約1kmの間に大小無数の洞窟が階段状に並んだ奇岩奇勝で知られる名勝である。その昔、桓武天皇(737~806)の頃、この地に隠れて、熊野の海を荒らし廻り、鬼と恐れられた海賊多娥丸を、天皇の命を受けた坂上田村麻呂(751~811)が征伐した。その伝説に基づいて鬼の岩屋と呼ばれたが、後に鬼ケ城といわれるようになった。

鬼ヶ城めぐり
鬼ヶ城は洞窟や奇岩にユニークな呼び名がついている。広々とした千畳敷から奥の木戸、猿戻り、鬼の風呂桶、犬戻り、神楽岩、木喰岩、鰐岩、潮吹、飛渡り、鬼の見張場、水谷、鬼の洗濯場、波切不動、蜂の巣などと続いている。それぞれに特徴のある洞窟や、絶壁などが連なり、見飽きることのない名勝である。
風が強く、少し海が荒れた日の鬼ヶ城は、猛々しく激しい極めて男性的な表情を見せてくれる。
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この案内板は、千畳敷から奥の木戸を過ぎた辺りにありました。



海岸に沿った岩場の道を進むと岩に穴をあけた「千畳敷」の入口が見えて来ます。

案内板に「数回にわたる急激な地盤の隆起のあと・・・」とありましたが、大昔の海岸線は、右上の岩山の上辺りにあったのでしょうか?

なだらかな斜面と、浸食された部分を見ると、数回の地盤隆起の説明が、なんとなく分かったような気になります。



「千畳敷」の入口の裏側は、こんな岩の穴になっています。

以外に岩の厚みもあり、人工的に掘られたトンネルのようです。



「千畳敷」の中央付近から入口方向を見た様子です。

入口のトンネルをくぐると、岩の広場が開けていました。

上に突き出た岩山の先端は、地盤が隆起する以前の海水面で、そこから下の岩のダイナミックな変化が、地殻変動を物語っているようです。



「千畳敷」の中央付近から奥の方向を見た様子です。

奥行きの長さもかなりのものです。

■「鬼ヶ城」の西端にある案内板に「千畳敷」の説明があり、転記します。
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石英粗面岩が海蝕されてできた大洞窟で、前方に5段の段丘がある。
大地震ごとに隆起したもので高さ15m、広さ約1,500㎡あり、上段・下段に分かれている。
昔、多蛾丸の住みかであったと言われている。
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広さ1,500㎡は、約900畳で、「千畳敷」の名は、まんざら誇張でもないようです。

「多蛾丸」は、鬼(海賊とも言われている)の首魁の名で、平安時代の初め頃、征夷大将軍坂上田村麻呂によって討伐された伝説があるようです。



上段の写真の左部分をズームで撮ったものです。

「千畳敷」の奥には一段高いステージのような場所があり、上がる階段が作られています。

ゆったりと下の海を眺める人が座っていますが、上の岩を見ると今にも落ちてきそうな感じがします。



上段の写真の上の岩部分をズームで撮った写真です。

今にも落下してきそうな岩の部分の様子です。

注意書きも見当たらないことから落下の危険性は低いのでしょうが、やっぱりこわい場面です。



「千畳敷」の下で釣りをする人がいました。

下の岩場にも平らな場所が出来ています。

足元の岩の表面は、穴だらけです。



ステージに上がり、一番奥の方に進んだ場所から西側を見た景色です。

V字形の岩の間を抜ける「奥の木戸」の石段が見えます。

天気が良く、弱い風も吹き、快適な海岸の散策でした。

次回は、この後の名称の付いた数々の岩場を紹介します。