「遠野ふるさと村」には江戸時代から明治時代に作られた6軒の「南部曲り家」を移築して昔の村を再現していました。
曲り家「大工どん」のすぐ裏にある「川前別家」です。
遠野市土淵町にあった江戸末期(安政年間)築の曲り家だそうです。
曲がった柱や桁梁等が多く使われ、腕の良い大工さんが建てたと言われています。
曲り家「大野どん」です。
地元の大野集落の上層農家の家だったそうです。
この家は、NHKの朝ドラ「どんと晴れ」で柾樹の父が住む家で使われたそうです。
■説明板があったので転記します。
炉端の家「大野どん」
明治初期築
集落の上層農家の曲り家
奥座敷・表座敷・中の間・茶の間・寝部屋・常居(居間)・台所土間・小厩・厩 すべて昔そのままのつくりになっている。
縁側でお年寄りが民具作りをされていました。
上にぶら下がっている細長い籠や、柄ザルが陳列されていました。
何に使うのでしょうか。
炭を積んだ馬車が曲り家の軒下に置かれてありました。
この家の横に炭焼き小屋もありました。
江戸時代末期に造られた曲り家「肝煎りの家」です。
「肝煎」とは「 庄屋」のことだそうで、「遠野ふるさと村」では最大の曲り家です。
向って左に厩(うまや)があり、人だかりが出来ています。
この馬もNHKの朝ドラ「どんと晴れ」に出演したそうです。
「小昼(こびる)の家」がありました。
「味噌にぎり」「やきもち」「かねなり※」「串団子」などの軽食があるようです。
又、遠野市は、どぶろく特区で、ここで「どぶろく」を製造しているそうです。
この建物は江戸時代中期の1762年(宝暦12)に造られた「曲り家」でない「直家(すごや)」で、納屋、土蔵、厩は別棟になっているようです。
「直家(すごや)」は、この地方では苗字帯刀を許された家の形だったそうで、遠野市上郷町赤川集落の旧菊池善右エ門家だったそうです。
※「かねなり」は、米の粉を練って小判の形にし、くるみ醤油を付けて焼いた遠野名物だそうです。
「肝煎りの家」の横にある土蔵です。
壁を保護するためでしょうか、変った板壁が作られていました。
江戸時代の曲り家「弥十郎どん」です。
とても感じのよい曲り家でした。
■説明板があったので転記します。
そばの家「弥十郎どん」
文化9年(1812年)築
典型的な上層農家
人目にふれるところは天井が高く
家人の住むところは低くして2階をつくり、隠し部屋として仕切り板を工夫する等、武家屋敷以上に防備した
※そばつくりの体験ができます(予約必要)
屋根の部分を拡大した写真です。
模様が付いて格調の高い屋根です。
なぜかカラスまでカッコよく見えます。
明治時代中期に造られた曲り家「水乃口(みなくち)」です。
「草木染め体験」や、展示ギャラリーでは草木染め、陶芸、木工などの作品を展示しているようです。
向って左側や、中央にも玄関があり、家の間取りをかなり改造したものと思われます。
何となく住みやすそうな家でした。
曲り家「大工どん」のすぐ裏にある「川前別家」です。
遠野市土淵町にあった江戸末期(安政年間)築の曲り家だそうです。
曲がった柱や桁梁等が多く使われ、腕の良い大工さんが建てたと言われています。
曲り家「大野どん」です。
地元の大野集落の上層農家の家だったそうです。
この家は、NHKの朝ドラ「どんと晴れ」で柾樹の父が住む家で使われたそうです。
■説明板があったので転記します。
炉端の家「大野どん」
明治初期築
集落の上層農家の曲り家
奥座敷・表座敷・中の間・茶の間・寝部屋・常居(居間)・台所土間・小厩・厩 すべて昔そのままのつくりになっている。
縁側でお年寄りが民具作りをされていました。
上にぶら下がっている細長い籠や、柄ザルが陳列されていました。
何に使うのでしょうか。
炭を積んだ馬車が曲り家の軒下に置かれてありました。
この家の横に炭焼き小屋もありました。
江戸時代末期に造られた曲り家「肝煎りの家」です。
「肝煎」とは「 庄屋」のことだそうで、「遠野ふるさと村」では最大の曲り家です。
向って左に厩(うまや)があり、人だかりが出来ています。
この馬もNHKの朝ドラ「どんと晴れ」に出演したそうです。
「小昼(こびる)の家」がありました。
「味噌にぎり」「やきもち」「かねなり※」「串団子」などの軽食があるようです。
又、遠野市は、どぶろく特区で、ここで「どぶろく」を製造しているそうです。
この建物は江戸時代中期の1762年(宝暦12)に造られた「曲り家」でない「直家(すごや)」で、納屋、土蔵、厩は別棟になっているようです。
「直家(すごや)」は、この地方では苗字帯刀を許された家の形だったそうで、遠野市上郷町赤川集落の旧菊池善右エ門家だったそうです。
※「かねなり」は、米の粉を練って小判の形にし、くるみ醤油を付けて焼いた遠野名物だそうです。
「肝煎りの家」の横にある土蔵です。
壁を保護するためでしょうか、変った板壁が作られていました。
江戸時代の曲り家「弥十郎どん」です。
とても感じのよい曲り家でした。
■説明板があったので転記します。
そばの家「弥十郎どん」
文化9年(1812年)築
典型的な上層農家
人目にふれるところは天井が高く
家人の住むところは低くして2階をつくり、隠し部屋として仕切り板を工夫する等、武家屋敷以上に防備した
※そばつくりの体験ができます(予約必要)
屋根の部分を拡大した写真です。
模様が付いて格調の高い屋根です。
なぜかカラスまでカッコよく見えます。
明治時代中期に造られた曲り家「水乃口(みなくち)」です。
「草木染め体験」や、展示ギャラリーでは草木染め、陶芸、木工などの作品を展示しているようです。
向って左側や、中央にも玄関があり、家の間取りをかなり改造したものと思われます。
何となく住みやすそうな家でした。