昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

「遠野ふるさと村」の南部曲り家「大工どん」

2008年03月13日 | 東北地方の旅

「遠野ふるさと村」の最初の曲り家に着きました。
すぐ横に倉があります。
倉の横の軒下が、格子状に木材で囲われており、初めて見るものです。
この地方の人には分かるのかも知れませんが、雪対策にでも使われるのでしょうか。



倉の正面の軒下も木材で囲われています。
この倉の入口にの「山里の暮らし館」の看板がありました。
昔ながらの山里の民具を展示しているようでしたが、建物の周囲にの囲いに気を取られて通り過ぎていました。



南部曲り家が見えてきました。
見るのが初めてですが、民家としてはかなり大きな家です。

■入口に説明板があったので転記します。
「南部曲り家の特徴」
飛騨の合掌造りと並んで日本を代表する茅葺き民家
茅葺き民家には直家(すぐや)と曲り家が多くみられた。

人の住居空間と厩が鍵型(L字型)に曲がっていて居間台所から常に馬の様子を見ることができ馬が一つ屋根の下で家族の一員として大切に扱われていた。
曲り家は例外なく正面を南向きで建てられ厩のある曲り部分は冬の季節風を除ける役割を果たした。



秋の日差しが当たる南向きの縁側にわら細工の鶴や、民芸品などが並べて置いてありました。
縁側近くにいたおばさんが、製造直売しているのでしょうか。

■この家「大工どん」の説明板を転記します。
おもてなしの家「大工どん」
292.4㎡ 明治中期築
上流階級の民家(この曲り家は大工の棟梁の住居だった)
作りは母家・厩・土間となっており、土間には厩に馬を飼っていた時のままの「馬釜」が据えられています。



わらぶき屋根の民家にはめずらしい二階建てで、屋根の切り込みがおもしろいデザインになっています。
窓に格子があり、昔にしてはセキュリティーを考えた造りのようです。



縁側の奥が、表座敷で、かなり広い部屋があります。
さすが大工どんの家です。



建物の間取り図と、説明書きが掲示されていました。

家の全景は、かなり立派な建物ですが、よく見ると正面玄関がありません。
これも特徴なのでしょうか。

■説明書きを転記します。
遠野の曲り家と間取り 2002.01.21
遠野の曲り家は、一般に南部曲り家と称されている。
1600年代の遠野地方の民家は直家(すごや)であったが、馬産の隆盛とともに曲りの部分を補充し、それが定着したのが南部曲り家である。1700年代になってほほこの構造になったと推定されている。
建築様式は寄せ棟造り(突出部分の一部は入母屋造り)で茅葺き平屋建てで、屋根もL型に葺き、突出部を厩として利用し、厩として利用し、厩と住居の接合部に台所を配して、居ながらに馬のようすを観察できるようになっている。
土台を用いるようになったのは一般的に明治時代以降のことで、それまでは地面に置いた石の上に直接柱を建てる「カノコ(鹿の子)建て」という方式で建てられた。
壁は寒さを防ぐため、柱や貫などを塗りつぶした大壁が原則になっているが、これは激しい冬を過ごしてきた遠野の人々の暮らしの知恵から生まれたものである。
人と馬が一緒に住めるように設計された建築様式や、厩の入り口に貼られる絵馬やお蒼前(そうぜん)様の守札からも、馬のすこやかな成長を祈った遠野の人々の馬に寄せるこまやかな愛情がうかがわれ、遠野の曲り家の大きな特徴になっている。



家に上り、見物をさせて頂きました。
ここは、表座敷の北側で、襖絵や、床の間が非常に立派でした。



床の間の飾りです。
中央に「おしらさま」、向って左にわら細工の馬があり、右に素朴な木彫りのカッパが置かれています。



茶の間の奥にある部屋「常居(じょうい)」に大きな囲炉裏がありました。
こんな大きな囲炉裏を見ると、大家族だった昔の生活がイメージされます。



大きな釜がありました。
給食の台所の釜を思い出します。

■案内板があったので転記します。
「馬釜」
冬は特に寒さがきびしいので餌を与えたりあたためたりして馬に温かい食事を与えた
豆腐や味噌をつくる豆を煮たり蕗などの山菜を湯がいたり蚕のまゆをほぐして糸つむぎをしたり麻を蒸して繊維をと

るなどに使った。
燃料に生木を用いて煙を出し茅葺き屋根に虫がつかないようにいぶして長期間保存に役立てた。
煙は厩の上を通って外にでるため冬のきびしい寒さから馬を守ることができた。



獅子踊りの装束や、わら細工の馬がたくさん置かれていました。

■この写真の右手に2.5m以上もあるような男の藁人形があり、説明板がありました。
この人形にはとてもデカイ男性のシンボルが付いていて、観光客のおばさんにとても人気でした。
「雨風祭のワラ人形」
雨風祭は、二百十日前の8月下旬に行われる行事です。等身大のワラ人形を、男女2体作り「二百十日雨風祭まつるよ。おおきたのはてまで送るよ。」と唱えて、村境まで持っていき、人形を納めます。
二百十日ごろは台風が襲来します。被害から農産物を守るための厄除け行事です。遠野の各地で、雨風祭の行事が見られましたが、現在では、ワラ人形を省略して、旗だけを村境にさしているところもあります。
似たような行事に「虫祭」(旧暦6月)と「春風祭」(旧暦2月)があります。
このワラ人形は、雨風祭の人形をモデルに作ったものです。高さが、3メートルでこのような大きいワラ人形は、全国でも珍しいものです。