加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

トワイライトエクスプレスの上り列車のラストラン

2015年03月13日 | 日々雑感
3月13日 トワイライトエキスプレスの上り列車を撮り鉄して来ました。
札幌駅を昨日14時05分に発車し明けて金沢駅に8時49分に到着し、8時51分には大阪に向けてラストランとして出発しました。
昨日とは違う撮影ポインで待っていると近くの踏切の警報音が鳴り、遠くから電気機関車のヘッドライトが見えてきました。
撮り鉄の姿は私以外はいないので絶好?と思われる場所を探して待ち構えて撮影を開始しました。
この撮影ポイントが後で最悪の場所と分かったのは撮影後でした。
昨日と同じくデジカメを連写に設定しシャッターを押し続けます。
上り線を疾走するトワイライトエクスプレスは青い車体がデジカメのディスプレイ画面一杯となりそして列車を追随するように撮影し列車の姿は画面から無くなりました。

連写したラストランの上り列車です。














枯草があることが分からなかったので画像にしっかり映り込んでしまいました。”失敗”
札幌駅を出発して22時間、1,500㎞を走破して12時55分に大阪駅に到着となっています。
平成元年から26年間本当にお疲れ様と列車に声を掛けました。


コメント

トワイライトエクスプレスの下り列車のラストラン

2015年03月12日 | 日々雑感
3月12日トワイライトエクスプレスがラストランとなりました。
大阪駅には3000人を超える人が最後の列車を見るために集まり、11時50分のトワイライトエクスプレスを見送ったそうです。
私の家の2階からはJRの列車が見ることが出来るのですが、今回のトワイライトエクスプレスが最終列車になるとのことで近くの踏切まで出かけラストランの写真を撮りに行きました。
金沢駅到着は15時37分なので20分ごろから撮影ポインとを探して列車の通過を待ちます。
踏切が「カン、カン」と鳴動し、暫らくすると「ピー!」と電気機関車特有な疳高い音で警笛が聞こえました。
そして電気機関車のライトが近づくと車体も段々と大きさを増してきます。
デジカメを連写に設定していたので「カシャッ、カシャッ・・・」とシャッターの音が小刻みになるのですが、列車の通過音にかき消され気が付けば列車の展望室が通過していきました。
本当に一瞬の時間のような気がしました。














札幌駅を今日の14時05分に発車した列車は翌13日の午前8時49分に金沢駅に到着し、8時51分に発車となっています。
私の近くには9時頃になると思われるので、最後のラストランを「撮り鉄」しようと思っています。


コメント

平成27年 凧・絆プロジェクト10

2015年03月11日 | 3・11 凧絆プロジェクト
今日の午後2時46分に合わせて私の作った50枚の連凧を揚げる予定でしたが、昨日からの大荒れの天気が今日も続いて雪混じりの突風が吹き荒れています。
10㍍を超えた風が吹き荒れています。とても凧を揚げられる状態ではないので、3月5日試し揚げをした時と先日の日曜日の凧揚げに映した連凧の写真を貼りました。


(3月5日の試し揚げ)

(3月8日慰霊の凧揚げ)

新聞報道では
「大震災の発生から4年を迎えますが、岩手、宮城、福島の被災3県で2,584名の方が行方不明のとなっています。
被災地では住宅再建のための工事が盛んに行われていますが、まだ被災3県で80,372名の方がプレハブの仮設住宅で暮らしている。」と報道されています。
『もう5年目になるのですね!、まだ4年しか経っていない!』と聞こえてきますが、でも復旧はまだ先のようですが皆で支えあっていきたいものです。

大震災の記憶が年々風化していっているのではないかと危惧しているのは私だけでしょうか?、報道関係で取材されても新聞に載らないこともあります。
また、震災の翌年は各地の凧の会も慰霊のための凧を揚げていたのですが最近は新聞紙面で見ることも少なくなりました。
私達の出来ることは小さなことですが毎年10枚づつ連凧として繋いで震災の記憶が風化しないよう心がけていくことだと思います。 ― 合掌 ―


コメント

平成27年 凧・絆プロジェクト9

2015年03月10日 | 3・11 凧絆プロジェクト
3月9日(月) 先日「東日本大震災」の慰霊の凧揚げを行ったことが新聞に載りました。


今までは2月中ごろには震災慰霊についての取り組みについて新聞社から問合せがありましたが、今年は報道関係から「東日本大震災」の慰霊の凧揚げに関しての問合せがありませんでした。
「北陸新幹線開業」に向けての開業イベントの取材で盛り上がっているから?
JRからIRいしかわ鉄道に業務が変わるのでその取材があるから?
震災からもう4年も経ったのだから?
あの震災からまだ4年しか経っていないのに被害に遭われた方々の復興は今も進行形なのでしょう。

今回の震災慰霊の凧揚げは学童保育が主体で私達が凧揚げのお手伝いをするので、取材依頼も学童保育で行ってもらいました。
学童保育の児童が連凧1枚に書いた励ましの言葉を東北の方角に向け読み上げましたが、被災地の方々に熱い思いがきっと届いたと思います。


コメント

平成27年 凧・絆プロジェクト8

2015年03月08日 | 3・11 凧絆プロジェクト
3月8日 朝から厚い雲に覆われ吹く風も寒い朝です。
午前9時の状況はYahooの天気予報では東北東5~6メートルで曇りとなっていますが、地元のお天気テレビの徳光海岸の現況は東北東の風、風速0.8メートルとなっていました。
現地に着き徳光海岸の風は1~2メートルと凧揚げにはもう少し欲しい状況でした。
2012年から始まり今年で4回目となる凧揚げですが、過去3回の凧揚げは雨や雪、強風と散々な天気でした。
それに比べると今年は曇ってはいますが、風も穏やかで凧揚げには今までにない良い天気だと思います。
それに金沢から多くの方が参加されると聞き内心ウキウキした気分になります。

金沢の学童保育の「げんきクラブ」の指導者や児童と保護者が次々に海岸に顔を見せ始めると風も段々と強くなりました。

児童と保護者が集まり、東北の方に向かって整列し指導者から「子供たちと話し合い、自分たちが今できることを始めて、震災を忘れないようにするために子供たちに凧に描いたメッセージを読んでもらいます」と挨拶があり、児童一人一人が東北の方に向かって自分のメッセージを読み上げました。

その後、この震災で亡くなられた方々に対して全員で黙とうを行いました。

「げんきクラブ」の児童と保護者が東北の方々の復興と慰霊の願いを込めて作り、昨年9月14日に内灘海岸で揚げた凧です。
児童と保護者で総勢25名が連凧を持って並びいざ揚げようという段に、のっそりと報道関係者が現れ取材が始まり一時中断、取材が終わり頃にもう1社が現れ取材となった。

風も強くなってきたので連凧を揚げることにしました。
私の笛の合図で全員が手を離すと連凧は東北の方角から吹いている風に乗りゆっくり揚がって一直線になりました。

全員が拍手で喜びを表現していました。


学童保育の連凧が揚がり、今度は私の作った50枚の連凧を揚げました。この時分になると風も5~6メートルで連凧には強い風でした。


しばらく凧揚げに興じていましたが、昼に近くなり風も強くなったので降ろすことにしました。
揚げた時と反対に手元から順次児童と保護者が連凧につながり強い風であったが事故もなく無事回収でき、3.11復興慰霊の凧揚げは終了しました。
コメント