梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之博多日記28・『ある日の思い出・恥ずかしかったこと』

2006年02月25日 | 芝居
平成十五年六月、国立劇場の鑑賞教室での『与話情浮名横櫛』は、「木更津海岸見染め」「赤間別荘」「源氏店」の三場構成でした。お富と与三郎の出会いと受難、そして再会までをわかりやすくお見せいたしましたので、学生さんたちにも理解しやすかったのではないでしょうか。
この月私は、「赤間別荘」の場の<赤間の子分>役で出演しておりました。お富の情夫赤間源左衛門(幸右衛門さん)の手下として、間男をした与三郎を捕らえてなぶりものにするというお役です。
お富と与三郎の浮気の現場が、十字屋(桂三)さん演ずる海松杭の松によって押さえられ、逃げようとした与三郎を、私が『待ちゃアがれ』と遮り、もみ合った末に『逃げるんじゃねえ』と突き飛ばす。そこを赤間源左衛門が押さえつけ、刀で体中を痛めつける(これが『源氏店』でのセリフ「三十四カ所の刀傷」となるわけですね)ところで幕となるのですが、短い時間とはいえ、師匠と五分と五分でやり合うというめったにないお役で、緊張しながらも、毎日楽しく勤めさせていただいておりました。ところが……。
ある日のこと、逃げようとする師匠の動きを見計らって舞台下手から登場、逃しはやらじと着流しの裾を格好をつけて端折りあげ、通せんぼをしてセリフを言おうとしたら、(……何て言うんだっけ……!)
そうなんです、突然頭の中が真っ白になってしまったんです! もう大パニック、とにかく何かは言わなくてはいけないんですが、さて「待ちゃアがれ」だか、次の「逃げるんじゃねえ」だか、無意識の世界で混乱混線昏倒困惑、思わず口から出たのが、『まギャルんポ☆℃※〆?!』
その瞬間体中の血液が逆流するのを体感しましたが、それでも芝居は続くのです。なんとか平静を装い揉み合う芝居をし、ようやく落ち着いて『逃げるんじゃねえ』と初めて日本語を発して師匠を突き飛ばし、その後はいつも通りの芝居をすることができたのですが…。幕切れまで、恥ずかしさと情けなさでいっぱい、一刻も早くこの場から消え去りたい気持ちでした。この場が済んでからは、師匠は花道揚幕での<早ごしらえ>だったのですが、自分の拵えを落としてから急いで駆けつけ、折りをみて『先ほどは申し訳ございませんでした』とお詫び申し上げましたが、無事お許し頂くことができまして、ホッと胸を撫で下ろしたという顛末でした。

おそらくその日の私は、完璧に<惰性>に陥っていたのでございましょう。全く不徳の致すところ、そして役を演じる上での気構えの未熟さゆえ。それ以来、二度とこのようなことがないよう気をつけておりますが、舞台では本当にいろいろなことがおこります。周りの方々にご迷惑をおかけしないよう、常に気を引き締めること、何があっても慌てない心を養うことは、一生の課題ですね!

写真は、昨年の公文協巡業での「木更津海岸見染め」の場の松の木です。運搬の便宜を考えて、折りたたみ式になっております。