うっかり書き忘れてしまいましたが、一昨晩、中州にございます、水炊きの『真(まこと)屋』さんにお邪魔してまいりました。生まれて初めての水炊きだったのですが、旨味たっぷりのスープに、柔らかい鶏肉(大っきいのがゴロゴロ!)、堪能いたしました。合わせてお刺身やゴマ鯖(ハンドルネーム<博多のオヤジ>さんが教えて下さいました)も食べることができましたし、シメの雑炊まで、お腹いっぱい大満足でした。芋焼酎<ひとり歩き>も美味しかったです。
さて、昨日は『大津絵道成寺』についてお話しさせて頂き、山城屋(藤十郎)さんが早変わりで五役を踊り分けることはご承知の通りかと存じます。その早変わりの中で、一カ所<吹き替え>を使って、お客さまの目を欺くところがございます。
具体的に「ここの場面です」と書いてしまってはネタばらしですし、これからご覧になる方の興味をそいでは失礼になりますので、あえて書くことはいたしませんが、この<吹き替え>というもの、考えてみれば不思議な存在です。
早変わりをする役者の時間稼ぎのため、あるいは物語上、同じ役者が演じる二つ以上の役が同時に舞台に登場しなくてはいけないときに、当人の代わりに舞台に出る<吹き替え>は、基本的に本人と身長、体格が似通った人を選びます。弟子や一門に限らず、一座する役者の中でぴったりな人がいれば、よそのお家の人も選ばれることは多々ございます。
衣裳、カツラは本人が着るものと全く同じ。化粧もなるべく本人に似るようにいたします。そのうえで、舞台上ではさも本人が演じているように振る舞いながら、なるべく客席に顔を見せないように動かねばなりません。
実は私も、過去二回、<吹き替え>を勤めさせて頂いたことがございます。一度目は、平成十三年五月松竹座『怪談敷島譚』の「夢の場」で、高麗屋(染五郎)さんが、遊女敷島とその恋人十三郎の二役を早変わりで踊り分けるという舞踊のシーンがございまして、その十三郎の吹き替えを勤めさせて頂きました。もう一人、敷島の吹き替えもおりまして、つまりは、高麗屋さんが敷島になっている時は私が十三郎で相手となり、十三郎になったときには敷島の吹き替えと踊る、というわけです。また、時には敷島、十三郎ともに吹き替えで踊り、お客様に(どっちが本物?)と惑わせるところもございました。
もう一つは、やはり平成十三年九月歌舞伎座『一谷嫩軍記』の「陣門の場」で、師匠の勤める平敦盛の吹き替え。これは、師匠が熊谷直実の一子小次郎と、平敦盛を二役で演じるためのものなんですが、まず師匠は熊谷直実の一子小次郎で登場、上手に引っ込むと、二役の平敦盛に早ごしらえです。その間に、播磨屋(吉右衛門)さんの熊谷が小次郎を追って上手に入り、やがて小次郎を小脇に抱えて出てきて花道を引っ込むと、それを追うように、白馬にまたがった凛々しき敦盛が去ってゆきます。熊谷に抱えられる小次郎が、私というわけです。…それでは小次郎の吹き替えなんじゃない? とお思いになるかもしれません。実は物語では、この熊谷とともに去っていった小次郎こそ、実は平敦盛の変装した姿で、白馬に乗った敦盛が、身替わりとなった小次郎だったことが後日判るわけです。つまり私が演じた役こそが本当の平敦盛で、実は、お客様は誰も本当の平敦盛の顔を見ていないのですよ。見ているのは敦盛のふりをした小次郎です。
『怪談敷島譚』では、約束事の通り、客席に顔をみせないように踊っておりましたのが、いかにも吹き替え然として見えたらしく、客席からザワザワや失笑がおきてしまったので、相談の上、ある日から横顔くらいまで見えるようにしてみたら、ピタリとザワザワがなくなり、ホッとしたこともありました。どうしても後ろ向きのまんまで踊ると不自然になってしまいますものね。ぎりぎりのラインを守りつつ、本人です! と思わせるような踊り方、動き方は本当に難しかったです。
その点『陣門』の方は、ただ花道を引っ込むだけですから、技術的にはどうということはございませんが、顔は見えなくても、動きに、あくまで後白河院の御胤としての品をくずさないよう(足もやや内輪にいたします)、そしてただ一カ所の演技である、花道七三での、心を残して振り返るところに、心を込めることを気をつけましたが、あくまで播磨屋さんの動きに合わせながらの芝居。足を引っ張ることのないように、ひたすらついてゆくのがなんとも緊張いたしましたが、こちらは重い鎧を着た上で、中腰の格好のまま長い花道を小走りに行くので、足がパンパンになりました。
『お染の七役』『怪談乳房榎』などでも見られる<吹き替え>、今度ご覧になる機会がございましたら、筋書きにも名前が乗らない、「顔が見えない」代役の演技にも、ご注目下さいませ。
写真は舞台下手にある掃除用具。大道具の方たちが、いつも綺麗な舞台を用意して下さってます。
さて、昨日は『大津絵道成寺』についてお話しさせて頂き、山城屋(藤十郎)さんが早変わりで五役を踊り分けることはご承知の通りかと存じます。その早変わりの中で、一カ所<吹き替え>を使って、お客さまの目を欺くところがございます。
具体的に「ここの場面です」と書いてしまってはネタばらしですし、これからご覧になる方の興味をそいでは失礼になりますので、あえて書くことはいたしませんが、この<吹き替え>というもの、考えてみれば不思議な存在です。
早変わりをする役者の時間稼ぎのため、あるいは物語上、同じ役者が演じる二つ以上の役が同時に舞台に登場しなくてはいけないときに、当人の代わりに舞台に出る<吹き替え>は、基本的に本人と身長、体格が似通った人を選びます。弟子や一門に限らず、一座する役者の中でぴったりな人がいれば、よそのお家の人も選ばれることは多々ございます。
衣裳、カツラは本人が着るものと全く同じ。化粧もなるべく本人に似るようにいたします。そのうえで、舞台上ではさも本人が演じているように振る舞いながら、なるべく客席に顔を見せないように動かねばなりません。
実は私も、過去二回、<吹き替え>を勤めさせて頂いたことがございます。一度目は、平成十三年五月松竹座『怪談敷島譚』の「夢の場」で、高麗屋(染五郎)さんが、遊女敷島とその恋人十三郎の二役を早変わりで踊り分けるという舞踊のシーンがございまして、その十三郎の吹き替えを勤めさせて頂きました。もう一人、敷島の吹き替えもおりまして、つまりは、高麗屋さんが敷島になっている時は私が十三郎で相手となり、十三郎になったときには敷島の吹き替えと踊る、というわけです。また、時には敷島、十三郎ともに吹き替えで踊り、お客様に(どっちが本物?)と惑わせるところもございました。
もう一つは、やはり平成十三年九月歌舞伎座『一谷嫩軍記』の「陣門の場」で、師匠の勤める平敦盛の吹き替え。これは、師匠が熊谷直実の一子小次郎と、平敦盛を二役で演じるためのものなんですが、まず師匠は熊谷直実の一子小次郎で登場、上手に引っ込むと、二役の平敦盛に早ごしらえです。その間に、播磨屋(吉右衛門)さんの熊谷が小次郎を追って上手に入り、やがて小次郎を小脇に抱えて出てきて花道を引っ込むと、それを追うように、白馬にまたがった凛々しき敦盛が去ってゆきます。熊谷に抱えられる小次郎が、私というわけです。…それでは小次郎の吹き替えなんじゃない? とお思いになるかもしれません。実は物語では、この熊谷とともに去っていった小次郎こそ、実は平敦盛の変装した姿で、白馬に乗った敦盛が、身替わりとなった小次郎だったことが後日判るわけです。つまり私が演じた役こそが本当の平敦盛で、実は、お客様は誰も本当の平敦盛の顔を見ていないのですよ。見ているのは敦盛のふりをした小次郎です。
『怪談敷島譚』では、約束事の通り、客席に顔をみせないように踊っておりましたのが、いかにも吹き替え然として見えたらしく、客席からザワザワや失笑がおきてしまったので、相談の上、ある日から横顔くらいまで見えるようにしてみたら、ピタリとザワザワがなくなり、ホッとしたこともありました。どうしても後ろ向きのまんまで踊ると不自然になってしまいますものね。ぎりぎりのラインを守りつつ、本人です! と思わせるような踊り方、動き方は本当に難しかったです。
その点『陣門』の方は、ただ花道を引っ込むだけですから、技術的にはどうということはございませんが、顔は見えなくても、動きに、あくまで後白河院の御胤としての品をくずさないよう(足もやや内輪にいたします)、そしてただ一カ所の演技である、花道七三での、心を残して振り返るところに、心を込めることを気をつけましたが、あくまで播磨屋さんの動きに合わせながらの芝居。足を引っ張ることのないように、ひたすらついてゆくのがなんとも緊張いたしましたが、こちらは重い鎧を着た上で、中腰の格好のまま長い花道を小走りに行くので、足がパンパンになりました。
『お染の七役』『怪談乳房榎』などでも見られる<吹き替え>、今度ご覧になる機会がございましたら、筋書きにも名前が乗らない、「顔が見えない」代役の演技にも、ご注目下さいませ。
写真は舞台下手にある掃除用具。大道具の方たちが、いつも綺麗な舞台を用意して下さってます。