梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之博多日記8・『大津絵道成寺』

2006年02月05日 | 芝居
今日は『大津絵道成寺』について。
この舞踊、『京鹿子娘道成寺』を巧みにパロディした<道成寺もの>であり、しかも早変わり満載の<変化もの>でもある、たいへん見所のある演目でございます。
山城屋(藤十郎)さんが早変わりでお勤めになる、白拍子花子、ではない「藤娘」をメインとして、「鷹匠」「座頭」「船頭」に後シテの「鬼の念仏」の鬼、そして他の登場人物「外方」「釣り鐘弁慶」の弁慶、「矢の根の五郎」、私が勤める「槍奴」まで、ほとんどの役が<大津絵>の代表的モチーフとなっているのがミソで、この役役で『京鹿子~』の見せ場を再現(しかも巧みにアレンジして)するというのが、なんとも洒落気分横溢で面白いですね。ことに、『京鹿子~』でのクドキの部分と、そっくり同じ曲を使いながら、合方に『藤音頭』を嵌め込んでしまうなんて、心憎い演出ではございませんか?

さて私が勤めております「槍奴」では、以前申しましたように<トウ尽くし>がございまして、これが一番頭を悩ませる難題でございます。『京鹿子~』でも、後シテがつく時は、鱗四天がやはり<トウ尽くし>をいたしまして、そちらの方は台詞のアレンジは一切各人の自由なのですが、こと『大津絵道成寺』の場合に限っては、台詞の中に、大津絵の発祥地でもある近江ゆかりの、<近江八景>を読み込まなくてはいけない、というシバリがございまして、これがなかなかやっかいなのです。
ご承知の通り、「三井寺の晩鐘」「矢橋の帰帆」「比良の暮雪」「瀬田の夕映」「唐崎の夜雨」「堅田の落雁」「粟津の晴嵐」「石山の秋月」からなる<近江八景>。少なくとも、地名だけは台詞の中に入れなくてはなりません。
例えば、私が勤めております七番目の「槍奴」の台詞は、台本には、
『固いが自慢の親父の頭 石山寺の秋の月と 洒落て転んで脳震トウ』
となっており、一昨日まではその通りに申しておりましたが、正直な話これではお客様にはウケない。そこで、私の考えで、昨日からはこういうふうに変えてみました。
『石山寺の月を観て 夜更かししたら風邪ひいた つらいときには葛根トウ』
お客様にとっておなじみの固有名詞が出てくると、笑いや拍手を頂戴できるというわけで、事実この台詞で、やっと温かい拍手を頂きました。
何とも苦しい、とお思いになるかもしれませんが、それはこちらも重々承知しております。しかしながら、とにかくお客様の気分を一転させ、ほっと和ませるための台詞ですので、お寒いことになっては芝居のテンションすら下げかねません。とにかく、品を悪くすることさえなければ、各人のセンスに任されているので、これからも色々考えて、新鮮なネタで勝負してゆきたいものです。
他の人たちは、「今日は博多でオールナイト」「ソフトバンクホークス、ファイト!」など、ご当地もので攻めたりもしておりますが、九州は、方言も「~と」で終わったり、名物に「おきゅうと」があったりと、いろいろ遊べる余地はありそうです。しかしながら、最前も申しました<近江八景>のシバリ。これがありますので、どう台詞をつくってゆくか。出番直前まで、頭を悩ませている次第です。

「槍奴」の衣裳は、昨年末の「雀踊りの奴」と同じく、<捻(ねじ)切り>という形に裾を端折った着付けです。ただし衣裳の生地が、木綿から繻子に変わり、厚みを持たせるために綿を入れておりますので、だいぶ重いです。化粧は<むきみ>という隈をとり、鼻の横から耳たぶの下にかけて、<鎌髭(かまひげ)>を青く書きます。江戸初期の奴さんのトレードマークだったようです。
写真は得物の<毛槍>。大名行列で、奴が担いでいた道具です。これがなかなか重いのですよ。『大津絵道成寺』の幕切れでは、十人の奴で、この毛槍を使って<富士山>の形を作っています。