梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之博多日記16・『ある日の出来事・沢山たくさん考えたこと』

2006年02月13日 | 芝居
とうとう三百回目の記事となります! 三日坊主の私が、ここまで続けてこられたのも、皆様のご声援のおかげです。明日はちょうど<中日>ですし、この節目を機に、心新たに取り組んでまいります。

節目、ということで、今日は私にとっての<ターニングポイント>をお話しさせて頂きたいと思います。別段大げさな話ではありませんが、自分にとって忘れられない、そして私に大きな変化をもたらした出来事です。
平成十二年十一月。歌舞伎座の吉例顔見世興行で、『ひらかな盛衰記』が上演されました。このお芝居は、後半に、主人公樋口兼光と、大勢の船頭による大立ち回りがございまして、私も出演しておりました。
この立ち回りで、私は<返り立ち>をさせて頂くことになっておりました。立ち回りの一番最初、<テンンテレツクの合方>とともに、上手から船頭が次々と出てきては、<返り立ち>をすることで、浜辺の場面にふさわしい、<押し寄せる波>の見立てともなる演出ですが、この時、その後の立ち回りでの得物となる櫂(かい。オール)を持ったままで返らなくてはならないというのが、難易度を上げておりました。
そのころは私も、<返り立ち>をさせて頂くことがままございましたが、長い櫂を持ったままのトンボは初体験。この演目の上演が決まった九月こそ、トンボ道場でひと月稽古をいたしましたが、十月は名古屋御園座。道場がございませんので、稽古ができない日々を送ったままでの、歌舞伎座での舞台稽古、そして初日。無我夢中でやって、とりあえず無事に終わってホッとしてはいたのですが…。
二日目、緊張とともに舞台へ出て、ポンと返って着地した感触がおかしい。鈍い痛みが左足に走りました。(ひねっちゃったかな?)とその瞬間は思いましたが、いったん舞台に引っ込んでから、どんどん痛みがましてきました。これはひょっとすると…! とは思えども、まだ出番がございます。痛む足を引きずるように舞台に出て、とにかく仕事を済まして、出番が終わったのですが、後半は気持ちが悪くなるくらいの痛み、脂汗が出て身体が震えました。
幕が閉まってからすぐさま歌舞伎座裏の救急病院へ。レントゲンを撮った結果が<左足腓骨骨折>。たまたまその日に外科の先生がいらっしゃらなかったので、数日の入院が決まりました。そして同時に、生まれて初めての<休演>も。
それからは、病院を通じて、興行会社である松竹株式会社の方々や楽屋、もちろん師匠への連絡など、ベットに寝たままの私の周りでは、ばたばたと事が進んでゆきましたが、私自身は、公演にご迷惑をかけてしまった申し訳なさ、明日からどうしてよいのかという不安、師匠のことや兄弟子がたへのこと、共演していた人たちへのことを考えて、ちょっとパニックというか混乱状態になってしまいました。
とはいえ今はひたすら寝ているしかないのですから、外科の先生が来る日までは、親に持ってきたもらった本を読んだりして一日を過ごしたのですが、劇場に近い病院だったので、師匠や兄弟子方、先輩、仲間たちがお見舞いにきてくれたのが何よりも嬉しかった。どんなに心細い私の励ましになってくださったかわかりません。
結局、三日目から千穐楽までの<休演>、そして翌十二月はお休み(師匠は京都南座に出演でしたが)ということになり、二ヶ月近く、歌舞伎から離れるという、初めての経験をしたのです。
外科の先生の診療とギプスでの固定が済んで、自宅に帰ってからの約ふた月。この日々が私にとってとても大切な時間となりました。じっとしていてはクヨクヨ考え込んでしまうと思ったので、とりあえず何かをしなくてはと思い、机に向かってできることを、というわけで、筆ペンでの<かな書道>(市販のお手本書を見ながらの)や、<江戸仮名>の読み方を勉強したりいたしました。そして、十二月のはじめにはギプスが外れ、歩くことが可能になりましたので、今度はいままで観たことがない舞台を、ということで、新劇、商業演劇、そしてお能や狂言の舞台を、初めて生で観ることができ、さまざまな発見、驚きがございました。

そんな日々の中で、私の心に変化が生まれました。今までは、『歌舞伎』というものしか頭の中になくて、寝ても覚めても、そればっかり考えて、というか、私にとってソレしかないという状態だったのが、視野が広がると申したらよいのでしょうか、沢山の演劇ジャンルの一つとしての『歌舞伎』というふうに捉えられるようになったのです。それと同時に、最初はパニックとともに、人生最悪の大失態(極端なハナシですが、当時は本気でそう思い詰めていたのです)とまで考えていた今回の怪我を、これも一つの経験、というふうに思えるようになりました。もちろん、周りの方々におかけしたご迷惑は、お詫びしてもしきれないくらいなのですが、なんだか今まで必要以上に背負い込んでいた荷物が減って、ふっと身体が軽くなったような感覚がひしひしと感じられ、日に日に精神的にラクになっていったことは、今でもよく覚えております。
私のような若輩が申すのは、大変不遜だということは百も承知で申し上げますが、一途であることは大切だけれど、決して思い詰めてはいけないし、料簡を狭くしては絶対苦しむことになる。つらい出来事があっても、広くておおらかなココロがあれば、素直に正面から受け止められるし、きっといい結果を生むと思います。

私にとって、骨折によるふた月の休業期間は、神様が下さった精神の休暇だと思っています。その後もいろんな出来事があり、出会いがあり、私はその度に悩んだり苦しんだりいたしましたが、そんな時は、いつもこの日々で得たキモチを思い返し、「人は(自分は)必ず変われる」と信じてきました。どれだけ変われるかはわかりません。でも、新しい自分へ、より良き人間へと変われることを信じることなくしては、なにも進歩は生まれないのではないでしょうか。

なんだか大仰な文章になってしまいました。大ダンビラを振り回しても、蚊一匹切れぬようでは大言壮語、山師の口車ですから、とにかく今は日々のお役を精進するだけです!