梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之博多日記16・『ある日の出来事・沢山たくさん考えたこと』

2006年02月13日 | 芝居
とうとう三百回目の記事となります! 三日坊主の私が、ここまで続けてこられたのも、皆様のご声援のおかげです。明日はちょうど<中日>ですし、この節目を機に、心新たに取り組んでまいります。

節目、ということで、今日は私にとっての<ターニングポイント>をお話しさせて頂きたいと思います。別段大げさな話ではありませんが、自分にとって忘れられない、そして私に大きな変化をもたらした出来事です。
平成十二年十一月。歌舞伎座の吉例顔見世興行で、『ひらかな盛衰記』が上演されました。このお芝居は、後半に、主人公樋口兼光と、大勢の船頭による大立ち回りがございまして、私も出演しておりました。
この立ち回りで、私は<返り立ち>をさせて頂くことになっておりました。立ち回りの一番最初、<テンンテレツクの合方>とともに、上手から船頭が次々と出てきては、<返り立ち>をすることで、浜辺の場面にふさわしい、<押し寄せる波>の見立てともなる演出ですが、この時、その後の立ち回りでの得物となる櫂(かい。オール)を持ったままで返らなくてはならないというのが、難易度を上げておりました。
そのころは私も、<返り立ち>をさせて頂くことがままございましたが、長い櫂を持ったままのトンボは初体験。この演目の上演が決まった九月こそ、トンボ道場でひと月稽古をいたしましたが、十月は名古屋御園座。道場がございませんので、稽古ができない日々を送ったままでの、歌舞伎座での舞台稽古、そして初日。無我夢中でやって、とりあえず無事に終わってホッとしてはいたのですが…。
二日目、緊張とともに舞台へ出て、ポンと返って着地した感触がおかしい。鈍い痛みが左足に走りました。(ひねっちゃったかな?)とその瞬間は思いましたが、いったん舞台に引っ込んでから、どんどん痛みがましてきました。これはひょっとすると…! とは思えども、まだ出番がございます。痛む足を引きずるように舞台に出て、とにかく仕事を済まして、出番が終わったのですが、後半は気持ちが悪くなるくらいの痛み、脂汗が出て身体が震えました。
幕が閉まってからすぐさま歌舞伎座裏の救急病院へ。レントゲンを撮った結果が<左足腓骨骨折>。たまたまその日に外科の先生がいらっしゃらなかったので、数日の入院が決まりました。そして同時に、生まれて初めての<休演>も。
それからは、病院を通じて、興行会社である松竹株式会社の方々や楽屋、もちろん師匠への連絡など、ベットに寝たままの私の周りでは、ばたばたと事が進んでゆきましたが、私自身は、公演にご迷惑をかけてしまった申し訳なさ、明日からどうしてよいのかという不安、師匠のことや兄弟子がたへのこと、共演していた人たちへのことを考えて、ちょっとパニックというか混乱状態になってしまいました。
とはいえ今はひたすら寝ているしかないのですから、外科の先生が来る日までは、親に持ってきたもらった本を読んだりして一日を過ごしたのですが、劇場に近い病院だったので、師匠や兄弟子方、先輩、仲間たちがお見舞いにきてくれたのが何よりも嬉しかった。どんなに心細い私の励ましになってくださったかわかりません。
結局、三日目から千穐楽までの<休演>、そして翌十二月はお休み(師匠は京都南座に出演でしたが)ということになり、二ヶ月近く、歌舞伎から離れるという、初めての経験をしたのです。
外科の先生の診療とギプスでの固定が済んで、自宅に帰ってからの約ふた月。この日々が私にとってとても大切な時間となりました。じっとしていてはクヨクヨ考え込んでしまうと思ったので、とりあえず何かをしなくてはと思い、机に向かってできることを、というわけで、筆ペンでの<かな書道>(市販のお手本書を見ながらの)や、<江戸仮名>の読み方を勉強したりいたしました。そして、十二月のはじめにはギプスが外れ、歩くことが可能になりましたので、今度はいままで観たことがない舞台を、ということで、新劇、商業演劇、そしてお能や狂言の舞台を、初めて生で観ることができ、さまざまな発見、驚きがございました。

そんな日々の中で、私の心に変化が生まれました。今までは、『歌舞伎』というものしか頭の中になくて、寝ても覚めても、そればっかり考えて、というか、私にとってソレしかないという状態だったのが、視野が広がると申したらよいのでしょうか、沢山の演劇ジャンルの一つとしての『歌舞伎』というふうに捉えられるようになったのです。それと同時に、最初はパニックとともに、人生最悪の大失態(極端なハナシですが、当時は本気でそう思い詰めていたのです)とまで考えていた今回の怪我を、これも一つの経験、というふうに思えるようになりました。もちろん、周りの方々におかけしたご迷惑は、お詫びしてもしきれないくらいなのですが、なんだか今まで必要以上に背負い込んでいた荷物が減って、ふっと身体が軽くなったような感覚がひしひしと感じられ、日に日に精神的にラクになっていったことは、今でもよく覚えております。
私のような若輩が申すのは、大変不遜だということは百も承知で申し上げますが、一途であることは大切だけれど、決して思い詰めてはいけないし、料簡を狭くしては絶対苦しむことになる。つらい出来事があっても、広くておおらかなココロがあれば、素直に正面から受け止められるし、きっといい結果を生むと思います。

私にとって、骨折によるふた月の休業期間は、神様が下さった精神の休暇だと思っています。その後もいろんな出来事があり、出会いがあり、私はその度に悩んだり苦しんだりいたしましたが、そんな時は、いつもこの日々で得たキモチを思い返し、「人は(自分は)必ず変われる」と信じてきました。どれだけ変われるかはわかりません。でも、新しい自分へ、より良き人間へと変われることを信じることなくしては、なにも進歩は生まれないのではないでしょうか。

なんだか大仰な文章になってしまいました。大ダンビラを振り回しても、蚊一匹切れぬようでは大言壮語、山師の口車ですから、とにかく今は日々のお役を精進するだけです!


梅之博多日記15・『その場の空気を』

2006年02月12日 | 芝居
今月の博多座では、『伽羅先代萩』と『毛抜』に、それぞれ<腰元>が登場いたします。どちらも鴇色の着付、黒繻子の帯を矢の字に締め、文金というカツラをかぶるという、全く同じ格好です。舞台上ですることも、後ろに控えて座っている、とか、ふすまの開け閉てをするとかいうもので、個々にセリフを言う、色々と芝居をするということはございません。
この二演目両方に出演している女形の後輩と話をしたときに、『伽羅先代萩』の方が『毛抜』よりもはるかにくたびれる、申しておりました。『伽羅先代萩』は時代物の大曲。陰謀うごめく御殿での一触即発のただならぬ場面なので、ただ座っているだけでも、神経が張りつめるというか、芝居の雰囲気を壊さぬように気持ちを保つのが大変なんだそうです。その点では、おおらかさが第一の十八番もの『毛抜』は、そこまで深刻になることはないので、気持ちの上では楽とのこと。
もちろん、その人が『毛抜』で手を抜いているというわけではございません。ようは、芝居の雰囲気によって、私たちが勤めるような役でも、自ずと気構えが変わってくるというわけですね。主役の方々がピンと張りつめた、イキのつんだ芝居をしているとき、後ろに控える我々が、気を緩めてしまっていては、お芝居をぶち壊しかねませんし、逆にこちらが余計な芝居をしてしまっては、邪魔になってしまいます。本当に、兼ね合いというものは難しいですね。
私もまだまだ修行中の身ですので、そういう気構えの面でのお叱りやご注意をうけることも沢山です。ですので舞台を拝見していて、「あの女形さんの裾のさばき方は自然で目立たないな~」とか「あの座り方は真似したいな~」と、ついつい自分がその役をするときのことを考えてしまいます。
何も役を勤めるときに限らず、後見や黒衣でも同様で、先輩方の仕事ぶりを拝見していても、その演目にふさわしい雰囲気を持ちながら、決して目立たない動きをなさっていらっしゃる。こういう境地に早く自分も近づきたいものです。

立役で神経が張りつめるといえば、『仮名手本忠臣蔵・判官切腹の場』の<諸士>役でしょうか。主君の死に際を見届けたいという一心さを作り上げるために、舞台上で用事をする役以外の諸士は、この場の幕が開いてから、大星由良之助が駆けつけてくるまで、下手の襖の裏にじっと控えていなくてはなりません(お客様からは見えなくても!)そして由良之助の登場とともに一気に本舞台に入りハッと平伏、判官がこと切れるまで一切顔を上げません。終始沈鬱な雰囲気、面持ちでいなくてはならない、というか自ずからそうなるので、確かに気骨は折れます。ですが、この雰囲気が出なくてはこの芝居が成り立たないわけで、先人方が作り上げてきた、ある種儀式的な<切腹場>の演出は、すごいと思います。
それから、私個人としましては、『熊谷陣屋』の<軍兵>で、義経の後ろに控えていたときのことですが、首実検になり、熊谷直実が敦盛の首をグッと義経に突きつけてから、義経が『敦盛の首に相違ない』と言うまでのごくごく短い時間の、熊谷をなさっていらっしゃった俳優さんの迫力! 思わずこちらのイキも止まりました。

主役の方々がなさるお芝居の雰囲気をきちんと感じ取り、それにこちらの気持ちを合わせてゆくこと。きっと立ち回りだってそういうことが大事なんだと思います。これからも、そういう<目に見えないモノ>を感じ取る力をつけることができるよう、精進してまいります。もちろん、どんなお芝居のどんな役でも、<緊張感>は必ず持っていなくてはなりませんが!

…写真の花は、楽屋口に咲いていました。

梅之博多日記14・『膝の下には…?』

2006年02月11日 | 芝居
昨晩は、付き人さん、床山さんと、博多駅前通り沿いの九州郷土料理『蕨』さんへお邪魔しました。新鮮なお刺身をはじめ、定番の<がめ煮>や<辛子レンコン>、みつせ鶏の<つくね>に<たたき>、<魚ロッケ(魚のすり身と野菜を混ぜて揚げたもの)>などを味わいながら、豊富な種類の芋焼酎を楽しみました。昨日は「鉄幹」と「磨千貫」を初体験。それから、生まれてはじめてイソギンチャクを食べました!唐揚げだったのですが、牡蠣に似たお味で、ちょっとプリットした食感です。興味本位で注文したのですけれど、その美味しさにビックリしてしまいました。

さて、八日の記事『肉を着る』への、あおい様からのコメントに、「膝小僧の下につける布製のものはなんの意味があるのか」というご質問がございました。今日はこのご質問にお答えいたしましょう。
今月私も『大津絵道成寺』の<槍奴>でつけているのですが(写真参照)、この物体は、<三里(さんり)当て>と申しておりまして、衣裳の扱いでございます。
皆様もご存知かとは思いますが、膝下にある<三里のツボ>。ここを押したり、あるいはお灸を据えると、足の疲れがとれると言われております。
江戸時代、移動に馬をつかえないような身分の低い武士や召使いは、徒(カチ)で主人の後につき、長い道のりを行くわけですが、日々の仕事の疲れを癒すために、<三里のツボ>にお灸を据えることは日常のことだったそうです。ところが、お灸というものは常に据えていると、そのツボのところだけ皮膚の色が変わってしまいます。低い身分ながらも伊達を競う彼らたちは、この灸痕を隠すために、キレで覆って隠してしまうファッションを考えた。これが<三里当て>のはじまりでございます。
当然、舞台で見るものは、形や大きさなどやや誇張されているわけですが、歌舞伎の舞台でも、世話物、時代物を問わず、奴、中間、足軽など、低い身分の役柄でこの<三里当て>をいたします。ただし時代物では、比較的高位の役でも、衣裳が様式性の強い着方になる時などはつけることがございます(『俊寛』の丹左衛門、瀬尾太郎など)。
形としては、写真のように丸いかたちのものと、三角形のものの二通りがございます。役柄、演目に応じて、それぞれを使い分けます。半分に折ったときに、ヒラヒラしてしまうのを防ぐために、写真のようにマジックテープで留めてしまうことがしばしばです。
…ごく限られた役の時しかしないものですから、時々うっかり付け忘れてしまいそうになるのがコワいです。本当に付けないで舞台に出てしまった人もおりました。もちろん<ソバ>の対象です。
付ける居所も、意味を知っていればなんということもないんですが、外すぎたり内すぎたりしては間が抜けてしまうものです。

ちょっとしたアイテムにも、色んな意味があるのが面白いですね。

梅之博多日記13・『勉強させて頂きます!』

2006年02月10日 | 芝居
『女伊達』を終えて、そろそろ一時間たつところです。
今日も無事に、そして元気よく勤めることができました。イキを合わせることは相変わらず難しいことですが、だんだんと慣れてきたかな、という感じです。いつも終演後に舞台を録ったビデオを見て、みんなで反省しているのですが、「ここがよくない」「明日はこうしたら」というような、ダメのだしあいだけではなく、ちょっと面白かった失敗や、おかしな出来事のリプレイに、一同爆笑することもしばしばです。決して深刻な雰囲気にならずに、明るい気持ちのまま明日への改善を考えることができるのは、とても有り難いことだと思います。
今日はたまたま、初日近辺の映像を見てみることになりました。つい十日前のことなんですが、やっぱり全員のイキも動きもバラバラで、完成度は全然低いものでした。毎日毎日の繰り返しの中では気がつかなかったことですが、しっかり着実に前進していたことにホッとすると同時に、これからも気を緩めずに、さらなる進歩を精進いたします。

さて、三月はお休みを頂くことは以前お伝えいたしましたが、三月八日、一日だけ舞台に出ることになりました。
といいますのは、今研修中の第十八期歌舞伎俳優研修生の、二回目の研修発表会がこの日にございまして、彼らは実技の発表として『修禅寺物語』を上演するのですが、全部の役数よりも研修生の人数が少ないので、主要な役は研修生が、脇役は卒業生が出演するというかたちになりまして、今回私が、<修禅寺の僧>のお役を勉強させて頂くことになったのです。
どちらかというと<老け>に近いお役ですので、どこまでなりきれるか不安ではございますが、以前から勉強してみたかったお役ですので、本当に有り難いことだと思っております。このような機会をくださった国立劇場養成課様、出演をお認め下さった師匠に感謝の気持ちでいっぱいです。ご指導は紀伊国屋(田之助)さんでございますので、万事を伺って一生懸命勤めて、研修生の晴れの舞台のお手伝いをさせて頂きます。

過去にこのような舞台に出させて頂いたことが一度ございます。十六期生の卒業発表会の、立ち回りの発表演目『小金吾の立ち回り』の小金吾役です。いわずとしれた『義経千本桜・小金吾討死の場』を改訂し、立ち回りを見せるために演出しなおしたもので、猪熊大之進も出てきませんから、小金吾も死にません。捕り手に囲まれて、キマッたまま幕になります。
研修発表会ではよく上演される演目で、指導は尾上松太郎さんです。私の卒業発表会のときもこの演目で、そのときは市川新七さんが小金吾役で出演して下さいましたが、今度は自分が勉強させて頂くこととなり、はじめて「からまれる」方の立ち回りを体験することができたわけですが、立ち回りのシンは動きすぎてはいけないということや、トンボを返す間の取り方、刀の扱い、手負いの役の動きや台詞まわしまで、沢山のことを学ぶことができました。
目の前で研修生の捕り手が<返り立ち>をしたり、あるいは花道で自分が<返り越し>されたり、「どんたっぽの合方」という下座に合わせたゆったりとした動きから「忠弥の合方」のスピーディーでスリル満点の早斬りまで、見得もたくさんさせて頂きましたし、なんだかしだいにこっちが興奮してしまって…。研修生全員が、私のキッカケで一斉に<三徳>を返り、打ち上げの見得とともに幕が閉まったときは、十六期生と一緒に、無事にやり遂げることができた喜びを分かち合い、感無量でした。
一回ぽっきりの舞台ですので、無論反省点も残りましたが、こういう機会でないと演じることができない役を経験することは、本当に色々なことを気づかせくれます。

来月の<修禅寺の僧>も、また新たな挑戦というわけで、真摯に、真剣に、十八期生と一緒にいい舞台をつくってゆきたいと思っております。
…少なくとも、「研修生より下手!」 なんて思われないように…。

梅之博多日記12・『自炊断念!?』

2006年02月09日 | 芝居
更新が遅くなりましたが、仲間と薬院駅そばの焼き鳥『かわ屋』さんへ行ってまいりました。本当は、◯の中に“か”で「かわ」と読ませるのですけれど、その名の通り皮が名物で、程よくのった脂、プリプリした食感がたまりません。くどくない味付けなんで、結構な本数を食べることができます。もちろん、そのほかの部位も美味しいんですよ。予約をしないと入れないくらいの人気店で、土地の人たちの喧噪の中で、お酒を飲みながらの談論風発。楽しくもまた刺激的な一夜でした。

さて、実は明日から、お呼ばれやら仲間での集まりやらで、外食が続くことになりました。お誘い頂けることは有り難いのですが、当初の自炊計画はなかなか達成できません。朝と昼の食事に、腕を振るいましょうか。とりあえず今日の空き時間に、大根とひき肉の煮物を作ったので、それとなにかもう一品作って、明日のおかずといたしましょう。
もちろん『博多日記』では、食べ歩きだけでなく、お芝居の話も続けますよ。しばらくは『女伊達』終了後の時間での更新となりそうです。四月歌舞伎座のご案内や、最近決まった三月のお仕事のことも、お知らせしたいと思っています。
それでは今日はこのへんで。

梅之博多日記11・『肉を着る』

2006年02月08日 | 芝居
今日はいいテンポで『女伊達』の立ち回りを勤めることができまして、気持ちがよかったです! とはいえ全員のイキを合わせる、周りを見る、という点では反省も残りました。自分だけ頑張ってもしょうがないわけで、これからは冷静に状況を見ることを課題にしてまいります。

さて、今月私が勤めております「若い者」と「槍奴」。かたや浴衣の尻端折り、かたや綿入り着付けの<捻(ねじ)切り>という端折り方で、双方ともに足が大分露出しているのですが、「若い者」では、ナマ足、といったら可笑しいでしょうか、素肌を見せて(剃毛までして!)いるわけですが、「槍奴」では、肌色の<着肉(きにく)>をはいた状態でございます。
<着肉>、あるいは単に<肉>とも呼んでおりますが、足にはく、あるいは上半身に着ることで、白粉を塗ったように見せる、あるいは演目によっては、入れ墨を描いたようにも見せる、伸縮性の布で作られたものでございます。形状は、足用ならばスットキングと同型、上半身ならば二の腕や背中、場合によっては胸や腹までを覆うように作られますが、あくまで基本的な場合でございまして、その形状は演目や役によって、様々に変化いたします。中には、二の腕だけにつける筒状の物や、半ズボン状のものもございます。
色も役によって変わります。白色から赤銅色まで、肌色、と一言でいっても歌舞伎の場合は様々ですからね。妖怪変化や鬼などの時は青や赤になることもございます。それから相撲取りなどのガタイの大きい役のときには、綿を入れて厚みを出し、立派に見せることもいたしますし、わざわざすね毛や胸毛を描いたものもあるんですよ。
それから十八番物などでの荒事のお芝居での、隈取りをとった役の時では、やはり隈を描いた<着肉>をはいたり、着たりいたしますことは、皆様もよくご存知でございましょう。

我々名題下俳優がよくお世話になるのが、俗に<肉パン>と呼んでいる、男性のトランクス状の<着肉>です。これはごく普通の肌色になっておりまして、多くは褌をはく役で使います。自分自身の下着の上に衣裳の褌をしては、自分の下着が見えてしまいますので、まず下着の上に<肉パン>をはき、その上に、衣裳の褌をするわけです。今月の「若い者」も、浅葱色の褌(サガリ、と申すことが多いですが)をしますので、<肉パン>をはいております。

<着肉>は、それ専門に作製、管理する職業がございまして、私たちは<着肉さん>と申しておりますが、実は長年の大ベテランの職人さんが、なかなか後継者に恵まれていらっしゃらないそうで、現在では、部分的に衣裳会社と分担するようになっております。手足の五本指を作ったり、約束事に沿っていい色で隈を描きこんだり、身体にしっくり合うように縫い上げるのは相当の技術と経験を必要とするものだそうで、歌舞伎にとって絶やしてはならない貴重な職分なのでございます。ご高齢ながら毎月々の舞台のために作業して下さることに心から感謝しつつ、一日も早い、多くの後継者の誕生を願って止みません。

写真は<着肉>がわかるようなものを選んでみました。手前で衣裳をいている最中なのは私です。奥で一休み中の奴さん、たしかに足にはいているでしょう?

梅之博多日記10・『笑ってこらえて!?』

2006年02月07日 | 芝居
博多座での公演もはや一週間がたちました。『伽羅先代萩』の八汐の着付けも順調です。気をつけるポイントがわかったことで、先月とは比べ物にならないほどスムースに着せることができまして、今までのしかかっていた悩み、苦しみから、楽しみへと自分の気持ちも変わってきました。もっと前向きに、さらなる工夫を目指してまいります。
『女伊達』の立ち回りも、落ち着いてまいりました。しかし立ち回りというものは、シンのイキに左右される部分が多うございまして、毎日毎日同じ動き、というのはまず不可能なことでございますし、むしろ毎日毎日の変化にこちらの方で機敏に対応できるようにしならなければならないわけでございます。そういう意味で今日の舞台は、私がいまいち波に乗り切れなかった感がございました。もっと神経を張り巡らせて、ピタッとはまる気持ちよさを味わえるように明日も頑張ります。
さて『大津絵道成寺』。いやはや<トウ尽くし>には頭を悩ませます。使わなければならない「石山(寺)」にうまくつながるコトバが見つからない! 
『石山寺に来てみれば 空き缶吸い殻ゴミばかり 皆で守ろうエチケットウ!』
というのも考えてみましたが、いかがでございましょう? 
他の奴さんは、『藤十郎襲名 大入り満員ありがトウ』やら『水分補給にポカリスエットウ』、方言ネタで『こら! なんばしよットウ!』も出てきました。だんだん面白おかしい台詞が続くようになりまして、お客様も喜んで下さるのがなんとも有り難い限りです。
…今回のように、銘々が自由に台詞を言ったり、動きを工夫できたりする演目や演出は、他の様々な演目でもございますが、そんなお芝居で、目の前でとてつもなくおかしなコトをされると、つい素に戻って笑ってしまうことがあって難儀をいたします。
もともと私は<ゲラ>、つまり笑い上戸でして、ちょっといつもと違うことが舞台上でおこると、すぐ反応してしまう悪いクセがあるのですが、今回の<トウ尽くし>でも、自分より先にしゃべる人が、意外なネタを繰り出してきたり、あるいはそのネタがウケなくてシーンとしてしまったときに、(……☆$〒♀?!)と体中が反応してしまって、動揺した気持ちを鎮めるのに困ってしまいます。
昔先輩から聞いた話で、ある<ゲラ>で有名な役者さんが、地方巡業で、幕開きにちょこっとしゃべって引っ込むだけの軽い役を勤めたときに、なにしろ歌舞伎がめったに訪れない土地のことなので、お客様は「出てくる俳優はみんなスターなんだ」と思い込んでしまったらしく、その人が出てきたとたん割れんばかりの大拍手! それにすっかりオカシクなってしまい、とうとう一言も台詞を言えなくなり、笑いをこらえたまんまのパントマイムで終わってしまったそうです。
さすがにそこまでの経験はございませんが、あくまでお客様のための舞台なのですから、失礼にならないよう、毎日重々気をつけておりますものの、もし私の肩が小刻みに震えている時は、必死に笑いをこらえているんだな、とお察し下さいませ。

写真は博多座近くにございます、地元の総鎮守<櫛田神社>で節分祭のために作られた特別な門(笑うカド、ってことなのかな?)です。参拝客がここから出入りをするのですよ。こんなふうに心の底から笑えたら、どんなに気持ちがよいことでしょう?

梅之博多日記9・『吹き替えの話』

2006年02月06日 | 芝居
うっかり書き忘れてしまいましたが、一昨晩、中州にございます、水炊きの『真(まこと)屋』さんにお邪魔してまいりました。生まれて初めての水炊きだったのですが、旨味たっぷりのスープに、柔らかい鶏肉(大っきいのがゴロゴロ!)、堪能いたしました。合わせてお刺身やゴマ鯖(ハンドルネーム<博多のオヤジ>さんが教えて下さいました)も食べることができましたし、シメの雑炊まで、お腹いっぱい大満足でした。芋焼酎<ひとり歩き>も美味しかったです。

さて、昨日は『大津絵道成寺』についてお話しさせて頂き、山城屋(藤十郎)さんが早変わりで五役を踊り分けることはご承知の通りかと存じます。その早変わりの中で、一カ所<吹き替え>を使って、お客さまの目を欺くところがございます。
具体的に「ここの場面です」と書いてしまってはネタばらしですし、これからご覧になる方の興味をそいでは失礼になりますので、あえて書くことはいたしませんが、この<吹き替え>というもの、考えてみれば不思議な存在です。

早変わりをする役者の時間稼ぎのため、あるいは物語上、同じ役者が演じる二つ以上の役が同時に舞台に登場しなくてはいけないときに、当人の代わりに舞台に出る<吹き替え>は、基本的に本人と身長、体格が似通った人を選びます。弟子や一門に限らず、一座する役者の中でぴったりな人がいれば、よそのお家の人も選ばれることは多々ございます。
衣裳、カツラは本人が着るものと全く同じ。化粧もなるべく本人に似るようにいたします。そのうえで、舞台上ではさも本人が演じているように振る舞いながら、なるべく客席に顔を見せないように動かねばなりません。

実は私も、過去二回、<吹き替え>を勤めさせて頂いたことがございます。一度目は、平成十三年五月松竹座『怪談敷島譚』の「夢の場」で、高麗屋(染五郎)さんが、遊女敷島とその恋人十三郎の二役を早変わりで踊り分けるという舞踊のシーンがございまして、その十三郎の吹き替えを勤めさせて頂きました。もう一人、敷島の吹き替えもおりまして、つまりは、高麗屋さんが敷島になっている時は私が十三郎で相手となり、十三郎になったときには敷島の吹き替えと踊る、というわけです。また、時には敷島、十三郎ともに吹き替えで踊り、お客様に(どっちが本物?)と惑わせるところもございました。
もう一つは、やはり平成十三年九月歌舞伎座『一谷嫩軍記』の「陣門の場」で、師匠の勤める平敦盛の吹き替え。これは、師匠が熊谷直実の一子小次郎と、平敦盛を二役で演じるためのものなんですが、まず師匠は熊谷直実の一子小次郎で登場、上手に引っ込むと、二役の平敦盛に早ごしらえです。その間に、播磨屋(吉右衛門)さんの熊谷が小次郎を追って上手に入り、やがて小次郎を小脇に抱えて出てきて花道を引っ込むと、それを追うように、白馬にまたがった凛々しき敦盛が去ってゆきます。熊谷に抱えられる小次郎が、私というわけです。…それでは小次郎の吹き替えなんじゃない? とお思いになるかもしれません。実は物語では、この熊谷とともに去っていった小次郎こそ、実は平敦盛の変装した姿で、白馬に乗った敦盛が、身替わりとなった小次郎だったことが後日判るわけです。つまり私が演じた役こそが本当の平敦盛で、実は、お客様は誰も本当の平敦盛の顔を見ていないのですよ。見ているのは敦盛のふりをした小次郎です。

『怪談敷島譚』では、約束事の通り、客席に顔をみせないように踊っておりましたのが、いかにも吹き替え然として見えたらしく、客席からザワザワや失笑がおきてしまったので、相談の上、ある日から横顔くらいまで見えるようにしてみたら、ピタリとザワザワがなくなり、ホッとしたこともありました。どうしても後ろ向きのまんまで踊ると不自然になってしまいますものね。ぎりぎりのラインを守りつつ、本人です! と思わせるような踊り方、動き方は本当に難しかったです。
その点『陣門』の方は、ただ花道を引っ込むだけですから、技術的にはどうということはございませんが、顔は見えなくても、動きに、あくまで後白河院の御胤としての品をくずさないよう(足もやや内輪にいたします)、そしてただ一カ所の演技である、花道七三での、心を残して振り返るところに、心を込めることを気をつけましたが、あくまで播磨屋さんの動きに合わせながらの芝居。足を引っ張ることのないように、ひたすらついてゆくのがなんとも緊張いたしましたが、こちらは重い鎧を着た上で、中腰の格好のまま長い花道を小走りに行くので、足がパンパンになりました。

『お染の七役』『怪談乳房榎』などでも見られる<吹き替え>、今度ご覧になる機会がございましたら、筋書きにも名前が乗らない、「顔が見えない」代役の演技にも、ご注目下さいませ。

写真は舞台下手にある掃除用具。大道具の方たちが、いつも綺麗な舞台を用意して下さってます。

梅之博多日記8・『大津絵道成寺』

2006年02月05日 | 芝居
今日は『大津絵道成寺』について。
この舞踊、『京鹿子娘道成寺』を巧みにパロディした<道成寺もの>であり、しかも早変わり満載の<変化もの>でもある、たいへん見所のある演目でございます。
山城屋(藤十郎)さんが早変わりでお勤めになる、白拍子花子、ではない「藤娘」をメインとして、「鷹匠」「座頭」「船頭」に後シテの「鬼の念仏」の鬼、そして他の登場人物「外方」「釣り鐘弁慶」の弁慶、「矢の根の五郎」、私が勤める「槍奴」まで、ほとんどの役が<大津絵>の代表的モチーフとなっているのがミソで、この役役で『京鹿子~』の見せ場を再現(しかも巧みにアレンジして)するというのが、なんとも洒落気分横溢で面白いですね。ことに、『京鹿子~』でのクドキの部分と、そっくり同じ曲を使いながら、合方に『藤音頭』を嵌め込んでしまうなんて、心憎い演出ではございませんか?

さて私が勤めております「槍奴」では、以前申しましたように<トウ尽くし>がございまして、これが一番頭を悩ませる難題でございます。『京鹿子~』でも、後シテがつく時は、鱗四天がやはり<トウ尽くし>をいたしまして、そちらの方は台詞のアレンジは一切各人の自由なのですが、こと『大津絵道成寺』の場合に限っては、台詞の中に、大津絵の発祥地でもある近江ゆかりの、<近江八景>を読み込まなくてはいけない、というシバリがございまして、これがなかなかやっかいなのです。
ご承知の通り、「三井寺の晩鐘」「矢橋の帰帆」「比良の暮雪」「瀬田の夕映」「唐崎の夜雨」「堅田の落雁」「粟津の晴嵐」「石山の秋月」からなる<近江八景>。少なくとも、地名だけは台詞の中に入れなくてはなりません。
例えば、私が勤めております七番目の「槍奴」の台詞は、台本には、
『固いが自慢の親父の頭 石山寺の秋の月と 洒落て転んで脳震トウ』
となっており、一昨日まではその通りに申しておりましたが、正直な話これではお客様にはウケない。そこで、私の考えで、昨日からはこういうふうに変えてみました。
『石山寺の月を観て 夜更かししたら風邪ひいた つらいときには葛根トウ』
お客様にとっておなじみの固有名詞が出てくると、笑いや拍手を頂戴できるというわけで、事実この台詞で、やっと温かい拍手を頂きました。
何とも苦しい、とお思いになるかもしれませんが、それはこちらも重々承知しております。しかしながら、とにかくお客様の気分を一転させ、ほっと和ませるための台詞ですので、お寒いことになっては芝居のテンションすら下げかねません。とにかく、品を悪くすることさえなければ、各人のセンスに任されているので、これからも色々考えて、新鮮なネタで勝負してゆきたいものです。
他の人たちは、「今日は博多でオールナイト」「ソフトバンクホークス、ファイト!」など、ご当地もので攻めたりもしておりますが、九州は、方言も「~と」で終わったり、名物に「おきゅうと」があったりと、いろいろ遊べる余地はありそうです。しかしながら、最前も申しました<近江八景>のシバリ。これがありますので、どう台詞をつくってゆくか。出番直前まで、頭を悩ませている次第です。

「槍奴」の衣裳は、昨年末の「雀踊りの奴」と同じく、<捻(ねじ)切り>という形に裾を端折った着付けです。ただし衣裳の生地が、木綿から繻子に変わり、厚みを持たせるために綿を入れておりますので、だいぶ重いです。化粧は<むきみ>という隈をとり、鼻の横から耳たぶの下にかけて、<鎌髭(かまひげ)>を青く書きます。江戸初期の奴さんのトレードマークだったようです。
写真は得物の<毛槍>。大名行列で、奴が担いでいた道具です。これがなかなか重いのですよ。『大津絵道成寺』の幕切れでは、十人の奴で、この毛槍を使って<富士山>の形を作っています。

梅之博多日記7・『女伊達の立ち回り』

2006年02月04日 | 芝居
『女伊達』の舞台をすませてマンションに帰り、遅い昼食をとったところです。
今日の立ち回り中にびっくりる出来事がありました。得物として、全員が番傘を持って萬屋(時蔵)さんにからんでいるのですが、六人のカラミが横一列に並んで、傘を握ったまま一斉にトンボを返った後、私の隣の人の傘が分解、石突き(先端)部分が外れて、柄がすっぽりと抜けて、勢いのまま舞台後方のお囃子さんのいらっしゃる雛壇のところまで飛んでいってしまったのです!
幸い紙の部分は手に残ったので、それを持って立ち回りを続けたのですが、壊れた原因もわからないし、こんな壊れ方は珍しいということで、みんな驚いておりました。幸いお囃子さんにも怪我はなく、どちらかというと<珍プレー>みたいな感じで、深刻な問題にはならなかったのが救いでした。

さて、こんなアクシデントもあった『女伊達』の立ち回り。この舞踊の立ち回りは、定型、といったものがございませんので、立師さんによって毎回変わりますが、だいたいは傘を得物に使うことが多いようです。
今回の手順をざっとご紹介しますと、まず、上手、下手から五人ずつ出てきた、計十人のカラミが、開いた傘を下段から四個、三個、二個、一個と積み並べ、ピラミッドの形を作るのが最初のキマリ。このピラミッドのことを、歌舞伎では<俵>と申します。
続いて“二人がかり”となり、<後返り(バク転)><三徳>と続け様にトンボを返り、最後は、開いたままの傘を、背後から前面へと、股の間をくぐらせながら飛び越える<傘抜き>を披露。その次が先ほど申しました、“六人がかり”の<総返り>となります。
その六人のうち三人が、一人は開いた傘を二つ持って車輪に、もう一人が<三徳>を返った後、うしろでんぐり返しをして車輪を持った人の背中に乗っかり荷台となり、残りの一人がでんぐり返りした人の足を持って、これで<大八車>の見立てとなり、下座の合い方にあわせて引っ込んでゆきますと、再び“二人がかり”となり、シンをはさんで一人が傘を遠投、それをもう一人がキャッチ、キャッチした人がその傘でからんで、<三徳>を返り、すぐさま頭を床につけたままの逆立ち<三点倒立>をして足をパカッと広げるので、その足の間をもう一人が<返り越し>、最後は二人で両足を天に向けて倒れる<背ギバ>となります。
まだまだ立ち回りは終わりません! 続いて、違う二人が出道具の床几(しょうぎ)を担いでちょっとからみ、その床几を舞台中央に据えますと、別の二人が出てきて向かい合い、跳び箱の要領で、片方がもう一人を飛び越す<イルカ越し>で床几の上に飛び乗ります。さらにはこの床几(幅七十センチほど!)の上で<三徳>を返り、そのまま後ろでんぐり返りで舞台に降り、シンがひっくり返した床几をもったまま<背ギバ>となり、これにて立ち回りの終了となるわけです。
幕切れは、一列になって後ろに並び、柝の頭と同時に開いた傘を、全員でなだらかなVの字型に並べて、「よろずや」と墨書きされた部分をゆっくりと回すのお見せしながら終わりとなります。

< >でくくった言葉が、いわば“立ち回りのワザ用語”なんですが、この数が多いということは、つまりは見所たっぷりというわけです。お客様も大喜びで、さかんに拍手を下さいます。<傘抜き><返り越し><イルカ越し>、そして床几の上での<三徳>、どれも大きな見せ場ですが、それだけに危険も伴います。勤めている先輩、後輩、どうか千穐楽まで無事に乗り切って下さいね。私は“六人がかり”のところと、床几を持ってゆくところです。
<俵>や幕切れの形では、傘を開いたときに、かならず「よろずや」の「よ」の字が上になるように持たなくてはなりません。
あらかじめどこが「よ」の字かわかるよう、柄に目印を付けることもありますが、閉じた時の模様に、ちょうどいい目印があらわれるので、それをアテにしております。
何度も申しますが、個人プレーに走らず、お互いのイキを合わせ、まとまった動きや形を作るよう、気をつけております。その上で、役名通りの<若い者>らしく見えるよう、元気と勢いを大切に演じてゆきたいです。

そうこうしてゆくうちに、楽屋へ戻る時間がやってまいりました。次は『大津絵道成寺』の話など…。

梅之博多日記6・『福は内輪の…』

2006年02月03日 | 芝居
今日は節分でしたね。皆様のご家庭と同様に、劇場でも、<豆まき行事>が華やかに執り行われました。
昼の部の『口上』が終了後、閉まった幕を再び開けますと、口上に列座されておりました幹部俳優さんがそのままに、豆の入った升(写真を参照して下さい)を手にして居並び、座頭の京屋(雀右衛門)さんのご挨拶の後、明るい鳴り物にあわせ、客席の皆様に向けてどんどん豆(の入った袋)を撒いてゆきます。お客様はお目当ての俳優さんから豆をもらおうと大賑わい。歓声もあちこちで上がっておりました。師匠はちょうど下手の端におりましたので、花道中ほどまで進んで、客席奥の方のお客様にも豆を撒いていらっしゃいました。一通り撒き納めたところでめでたく幕となりましたが、お客様にとりましては、なによりのご馳走になったのではと思います。なにしろ年に一回のことですからね。巡り会えた方は、きっと一年幸福ですよ!
豆まき行事は歌舞伎座でも毎年行われております。歌舞伎座では、名題下俳優数名が鬼に扮して舞台に出たりもいたしますが、不思議なもので「恒例の鬼担当役者」なるものが決まっておりまして、だいたい毎年同じような役者さんが勤めております。
…余った豆はご自由におとり下さい、とのことでしたので、ちょっと多めに頂いて、今コンニャクや人参とともにグツグツ煮込まれております。明日のおかずになる予定です。

さて『女伊達』では気持ちも大分落ち着き、気をつける点を意識しながら勤めることができました。技を披露する人たちも、ますます安定してきています。短時間でぎゅっと濃い立ち回りですので、集中力と冷静さを大事にしてゆきたいです。
『大津絵道成寺』は、あいかわらず<トウ尽くし>が受けません。あと一日辛抱して、まもなく披露のオリジナル台詞に工夫を凝らします!

南南東を向いて恵方巻きも頂きましたし、暦の上では明日からの<春>を、十分謳歌できますように!

梅之博多日記5・『本日初日』

2006年02月02日 | 芝居
ついに始まりました、博多座二月大歌舞伎。山城屋(藤十郎)さんのご襲名披露興行も三ヶ月目です。
『伽羅先代萩』では、師匠の着付けも一発で綺麗に仕上がりました! ほっと一安心です。ここまで至る道のりは試行錯誤と悩みの連続でしたが、今日はとりあえず、一つのステップを上がれたかなと思います。とはいえこれに満足せず、もっともっと自分に課題を与えて頑張ってまいります。
『女伊達』の立ち回りもまずは無事終了。細かい部分ではいろいろとありましたが、今日で<本番の感覚>をつかめたので、みんな明日からはどんどん良くなってゆくはずです。私の課題としては、動きにキレがないので、もっとキビキビと動けるようにしなくてはなりません。しかしながら、心地よい緊張感と申しましょうか、舞台に出てゆくまでのワクワクする感じ、たまりません!
『大津絵道成寺』では例の<トウ尽くし>が、ちっともご見物に受けなかったので、奴全員大ショック。もともと、初日から三日間は、自分のアイディアをいれずに、台本どおりにしゃべることになっているのですが、その台本が、なにしろ昔に作られたものですし、ごくごくオーソドックスな台詞になっているので、いまいちお客様へのインパクトが足りません。さらには、お客様にとっても、<◯◯尽くし>という、歌舞伎独特の遊びに戸惑いを感じられていたようで、どうにも(ここで笑っていいの?)という空気が客席に充満してしまい、今日の花道での数分間は、我々にとって実につらい時間となってしまいました。…お客さまに笑って頂くための台詞ですので、皆様多いに笑って下さいね! 四日目からは、もっと面白い台詞を考えますから!

今月は、昼の部の『女伊達』終演後から、夜の部の『毛抜』が終わるくらいまで、約二時間の空き時間ができました。以前お話ししたように、今月のマンションは劇場から三分ですので、パッと帰ってゆっくり休んで、またまたパッと楽屋入りという感じで、自分の時間を過ごせそうです。

とにもかくにも、無事初日も開きました。明日からは、またあれこれと、お芝居の話をさせて頂きます。
今日の写真は、私が入っている楽屋入り口の名札掛け(というか入れ?)です。今月名題下は五十余人。三部屋に分かれておりますが、なんと私がいる部屋では、私が一番古いのです。ちょっと悲しいですね…。

梅之博多日記4・『舞台稽古二日目』

2006年02月01日 | 芝居
今日は『伽羅先代萩』『女伊達』の<舞台稽古>でした。
『先代萩』での衣裳の着付けは、実際に師匠を前にいたしてみますと、やはり昨日のお稽古の時とは体型も身長も変わるので、それに合わせてこちらの手勝手も変えなくてはならず、そこが難しかったですが、最終的にはしっくりと着せる手順がつけられまして、ほっとしました。不器用な私にたくさんアドバイスを下さった周りの方々、そしてもたもたしてばかりの私の仕事に耐えて下さった師匠にお詫びと感謝の気持ちでいっぱいです。明日はもっと手早くやります!
『女伊達』は、今月の狂言立てでは<三段返し>と申しまして、『鐘の岬』『団子売』『女伊達』と続けて上演いたします。そのため今日の稽古では、道具転換の段取りもつけねばならないので、三演目ノンストップで進行しました。そのため『女伊達』の立ち回りを、舞台で合わせたり、居所を確認することができなかったので、不慣れな私などだいぶ緊張してしまいましたが、結果は思ったよりもごたつかず、無事に終わってほっとしました。難度の高い技を披露する方たちもみんな無事、あとは皆のイキをあわせて、華やかでテンポのある、元気な立ち回りを目指します。

お稽古は午後七時前に終わったのですが、その後仲間に誘われ、博多座から徒歩で十五分ほどのところにございます、<祇園 鉄なべ>に夕食に行ってきました(完全自炊はもろくも頓挫です)。直径二十五センチほどの鉄製の平鍋にぎっしり詰まった、名物<鉄鍋餃子>をお腹いっぱい食べました。ジャンルを問わず、お芝居関係者もよく行くお店で、名物女将が写した有名人の写真が所狭しと貼られております。
大人数で行ったので盛り上がってしまい、ずいぶん遅い帰宅となりました。

さあいよいよ初日がやってきます! 体調には気をつけて、元気に立ち回り、しっかり着付けを勤めたいです!
写真は博多座の隣のショッピングモール<博多リバレイン>です。