梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之博多日記14・『膝の下には…?』

2006年02月11日 | 芝居
昨晩は、付き人さん、床山さんと、博多駅前通り沿いの九州郷土料理『蕨』さんへお邪魔しました。新鮮なお刺身をはじめ、定番の<がめ煮>や<辛子レンコン>、みつせ鶏の<つくね>に<たたき>、<魚ロッケ(魚のすり身と野菜を混ぜて揚げたもの)>などを味わいながら、豊富な種類の芋焼酎を楽しみました。昨日は「鉄幹」と「磨千貫」を初体験。それから、生まれてはじめてイソギンチャクを食べました!唐揚げだったのですが、牡蠣に似たお味で、ちょっとプリットした食感です。興味本位で注文したのですけれど、その美味しさにビックリしてしまいました。

さて、八日の記事『肉を着る』への、あおい様からのコメントに、「膝小僧の下につける布製のものはなんの意味があるのか」というご質問がございました。今日はこのご質問にお答えいたしましょう。
今月私も『大津絵道成寺』の<槍奴>でつけているのですが(写真参照)、この物体は、<三里(さんり)当て>と申しておりまして、衣裳の扱いでございます。
皆様もご存知かとは思いますが、膝下にある<三里のツボ>。ここを押したり、あるいはお灸を据えると、足の疲れがとれると言われております。
江戸時代、移動に馬をつかえないような身分の低い武士や召使いは、徒(カチ)で主人の後につき、長い道のりを行くわけですが、日々の仕事の疲れを癒すために、<三里のツボ>にお灸を据えることは日常のことだったそうです。ところが、お灸というものは常に据えていると、そのツボのところだけ皮膚の色が変わってしまいます。低い身分ながらも伊達を競う彼らたちは、この灸痕を隠すために、キレで覆って隠してしまうファッションを考えた。これが<三里当て>のはじまりでございます。
当然、舞台で見るものは、形や大きさなどやや誇張されているわけですが、歌舞伎の舞台でも、世話物、時代物を問わず、奴、中間、足軽など、低い身分の役柄でこの<三里当て>をいたします。ただし時代物では、比較的高位の役でも、衣裳が様式性の強い着方になる時などはつけることがございます(『俊寛』の丹左衛門、瀬尾太郎など)。
形としては、写真のように丸いかたちのものと、三角形のものの二通りがございます。役柄、演目に応じて、それぞれを使い分けます。半分に折ったときに、ヒラヒラしてしまうのを防ぐために、写真のようにマジックテープで留めてしまうことがしばしばです。
…ごく限られた役の時しかしないものですから、時々うっかり付け忘れてしまいそうになるのがコワいです。本当に付けないで舞台に出てしまった人もおりました。もちろん<ソバ>の対象です。
付ける居所も、意味を知っていればなんということもないんですが、外すぎたり内すぎたりしては間が抜けてしまうものです。

ちょっとしたアイテムにも、色んな意味があるのが面白いですね。