今日のブログは先日、父と母を連れ出掛けた垂玉・地獄温泉の今と昔を・・・
私にとって小学6年から今まで約半世紀にわたり思い出が詰まった場所
子供の頃の写真は見つかりませんでしたが・・・・
2015年3月にオジサンと訪れた時と今を並べて比べてみようと思います。
当時のブログは
コチラ
熊本地震で被災する前の2015年3月

今は・・・
角度が少し違いますが大浴場の向こうにある建物が無くなり・・・


露天風呂のかやぶき屋根は改修されていますが場所は同じ
現在の入り口から・・・

2015年3月、上の道路からの写真

旅館の入り口の建物はなく・・・右手の建物だけが残っています。
手前の屋根は昔の蒸し窯かな?(記憶がありません)
今はキレイになって同じ場所に・・・

残念ながら持参した野菜を蒸すことは出来ませんが
受付棟で蒸し野菜セットを購入し使用するシステムのようです。
立ち寄り湯の受付棟とカフェ

湯上りにサンドイッチや飲み物を食べれる席もあり外にはデッキもあります

受付棟の左手にはスノーピークの住箱が3棟あり・・・

6月末に休憩施設としてオープン予定らしくエアコン取付をされてました。
受付棟から坂を下り大浴場へ

熊本地震にも耐え、石垣はそのまま残っていました。
2015年3月

旅館の建物の下をくぐり温泉へ向かう雰囲気が大好きでした
今回、男湯は貸し切りだったそうでオジサンが写真を撮ってくれてました。

大浴場の天井の黒々とした大きな梁や大きな窓など以前のままの雰囲気を残され・・
私が好きだった洗い場の古びた板が新しくなり少し残念でしたが仕方がありませんネ~


男湯からは金龍の瀧が見えるそうです。
以前の女湯の露天風呂

今は樽が新しい陶器に変わり床も塀もキレイになっています。
もう一つの湯船、この雰囲気も大好きだったけれど・・・

今は125㎝ほどの深さの立ち湯になり、もう一つ岩風呂もありました。
最近は鄙びた古いものに心落ち着くようになり無くなるのは寂しいことですが
少しでも昔の面影が残っていたことにホッとした私でした。
今回、今と昔の写真をに比べながら思ったことは・・・
行った場所は写真を撮り記録に残すことが大切なのだと
年々記憶力が衰えても写真を見ると徐々に当時の事を思い出させてくれる。
そして、熊本地震を経験して尚更に思ったことは
今見ているこの景色が、もしかしたら明日見られなくなるかもしれないこと
見たいもの、やりたい事、行きたい場所など
環境が許すなら願いはかなえておくべきかもしれませんネ
「いつか」は来ないかもしれないのだから・・・・
そしてもう一つ
今回、山口旅館関係の写真ないか探したところ・・・
色褪せボロボロになったアルバムに懐かしい写真の数々が出てきました。
昭和56年(1981年)当時21歳、社会人の私は職場の女性4人と山口旅館に一泊
デパートに出向していた私は定休日前の勤務が終わり後輩の車で宿へ
・・・とこれを書くと話が長くなりそうなので・・・
記憶が無くなる前に(すでに忘れてることが多いけれど
)
いつかブログにUPし老後の楽しみにしようと思っています(笑)
本日もお付き合いいただきありがとうございました。
私にとって小学6年から今まで約半世紀にわたり思い出が詰まった場所
子供の頃の写真は見つかりませんでしたが・・・・
2015年3月にオジサンと訪れた時と今を並べて比べてみようと思います。
当時のブログは

熊本地震で被災する前の2015年3月

今は・・・
角度が少し違いますが大浴場の向こうにある建物が無くなり・・・


露天風呂のかやぶき屋根は改修されていますが場所は同じ
現在の入り口から・・・

2015年3月、上の道路からの写真

旅館の入り口の建物はなく・・・右手の建物だけが残っています。
手前の屋根は昔の蒸し窯かな?(記憶がありません)
今はキレイになって同じ場所に・・・

残念ながら持参した野菜を蒸すことは出来ませんが
受付棟で蒸し野菜セットを購入し使用するシステムのようです。
立ち寄り湯の受付棟とカフェ

湯上りにサンドイッチや飲み物を食べれる席もあり外にはデッキもあります

受付棟の左手にはスノーピークの住箱が3棟あり・・・

6月末に休憩施設としてオープン予定らしくエアコン取付をされてました。
受付棟から坂を下り大浴場へ

熊本地震にも耐え、石垣はそのまま残っていました。
2015年3月

旅館の建物の下をくぐり温泉へ向かう雰囲気が大好きでした
今回、男湯は貸し切りだったそうでオジサンが写真を撮ってくれてました。

大浴場の天井の黒々とした大きな梁や大きな窓など以前のままの雰囲気を残され・・
私が好きだった洗い場の古びた板が新しくなり少し残念でしたが仕方がありませんネ~


男湯からは金龍の瀧が見えるそうです。
以前の女湯の露天風呂

今は樽が新しい陶器に変わり床も塀もキレイになっています。
もう一つの湯船、この雰囲気も大好きだったけれど・・・

今は125㎝ほどの深さの立ち湯になり、もう一つ岩風呂もありました。
最近は鄙びた古いものに心落ち着くようになり無くなるのは寂しいことですが
少しでも昔の面影が残っていたことにホッとした私でした。
今回、今と昔の写真をに比べながら思ったことは・・・
行った場所は写真を撮り記録に残すことが大切なのだと
年々記憶力が衰えても写真を見ると徐々に当時の事を思い出させてくれる。
そして、熊本地震を経験して尚更に思ったことは
今見ているこの景色が、もしかしたら明日見られなくなるかもしれないこと
見たいもの、やりたい事、行きたい場所など
環境が許すなら願いはかなえておくべきかもしれませんネ

「いつか」は来ないかもしれないのだから・・・・
そしてもう一つ
今回、山口旅館関係の写真ないか探したところ・・・
色褪せボロボロになったアルバムに懐かしい写真の数々が出てきました。
昭和56年(1981年)当時21歳、社会人の私は職場の女性4人と山口旅館に一泊
デパートに出向していた私は定休日前の勤務が終わり後輩の車で宿へ
・・・とこれを書くと話が長くなりそうなので・・・
記憶が無くなる前に(すでに忘れてることが多いけれど

いつかブログにUPし老後の楽しみにしようと思っています(笑)
本日もお付き合いいただきありがとうございました。
災害だったのかを実感しましたが、遡って幼い頃の
想い出の道や町は幻のようで、ツンと切ないです。
こちらもまたいい温泉のようで、熊本・阿蘇は周り
切れないほどの温泉天国ですね。
また行きたいな・・・と思ったら行くべき!?
実は意外に近いと感じてしまったのでした
好きな温泉は、平山温泉、山口旅館、清風荘雀の湯、湯布院の庄屋の館、奥湯の里の湯。露天風呂のは、鹿児島県旅行人山荘の「あかまつの湯」です。一度行ってみて下さい。
以前のままの建物が残っていてタイムスリップした気分だったり
思い出の土地を訪れるのは観光とはまた違う感動があります。
阿蘇は私達でさへ毎回発見がある場所
まだまだ紹介したい場所が色々
ママさんの二度目の訪問前に(笑)
私が早くそちらに行きたいです!!
キャンカー仲間の方が延岡や日向にお住いですので
延岡の鮎掛けや日向のクルスの海など行きたい所が沢山です。
熊本は海の朝日が見れませんので私にとっては宮崎は憧れですョ~
鹿児島の旅行人山荘の露天はずっと行きたい場所ですが実現していません。
湯布院の温泉も行ったことがないので早速調べお気に入り温泉に入れました。
また、色々教えてください。
工具の件。スライド鋸は安全ですが。丸鋸を使用する時は気を付けて下さい。馴れた大工たちは座って片手で使用して、目の巻いた木材が刃を締め付け丸鋸がキックバックして太ももを切った例があります。丸鋸を使う時は怪我をしないよう集中し片足で材料をしっかり固定し両手で丸鋸を握ること。目の巻いた木材、雑木とは床柱に使う木目の美しいケヤキ、楓など。キクバックを防ぐ方法は、一気に切らない。押しては(少し切る)戻しの繰り返しをして切る。もう一つは、刃を錆させないこと。使用する前に油を塗る。大工さんたち柔らかいプラスチックのコップに綿の布を包帯のように巻き、コップから1㎝出る位にきつく入れ、布に椿油をしみ込ませてすべての刃物に使用前、使用後に塗ります。スライドソウで塗る前と塗った後の違いを体感して下さい。刃が錆びると摩擦が大になり回転が遅くなり切れません。その時は油を塗るだけで切れ味が違います。錆は刃物の大敵です。弟子の時師匠から「良い仕事は道具がさせるのだから、常に道具の手入れは欠かすな」とよく言われたものです。そのお陰で大十になりました。大十とは?大工さんの中でも,選り腕の優れた職人の事を言います。第七、第八、大工、大十です。大工さんが、勝手に作りました。(笑)長くなりスミマセン。
オジサンは工業高校建築科卒業ですが普通の会社員になり23年前にログハウスを自宅にし
趣味で木工を始め最初の頃は丸鋸を使っていましたがさすがに私は怖くて使えませんでした。
その後、スライドソーやジグソーなど一つづつ購入し私が木工にハマりました(笑)
今ではオジサンも丸鋸は全く使わなくなりました。
早速、コメントを見てスライドソーの手入れをやってくれることでしょう~