瀬崎祐の本棚

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詩誌「森羅」 36号  (2022/09) 東京 

2022-08-12 20:55:21 | 「さ行」で始まる詩誌
粕谷栄市と池井昌樹の二人誌。池井のていねいな手書き文字が、作品を提示するとはこういう行為だ、と言っているかのようだ。

粕谷栄市「天使」。安酒場で私は彼と一緒に泥酔していたのだ。「気の合う二人が、全てを超越して、愉しく語り合」っていたのだが、

    そして、いつのまにか、気がつくと、彼は、その灰色
   の天に伸びる巨きい煙突を登っていた。よく見ると、背
   中に、大きい二枚の翅のようなものを着けている。
    若しかしたら、その煙突の頂上まで登って、彼は、そ
   れで、天使のように、どこか、別の世界へ飛んでゆくつ
   もりだったのだろうか。

それは私が夢に見たことだったのだが、それほどに愉しいひとときはどこか別のところへ繋がろうとしたのだろう。私の中では、彼は確かにそんなところへ行こうとしていたのだろう。

粕谷のもう一編は「砂丘」と題した作品で、嵯峨伸之を偲ぶものとなっている。「名品再読」の項では嵯峨の「小詩無辺」からの作品を紹介している。

池井昌樹「虎」は、20字×41行の矩形となるように書かれた散文詩。にぎやかな都会生活をはじめたのに、その喧噪に「紛らわせたつもりの孤独」がいやましてくるのだった。その孤独感は、誰も住む者がいなくなっているふるさとの家のへ思いに繋がっていく。

   あれはいつだったか。底なし沼に足取られ、
   藻掻きながら沈んでいったのは。それから私
   は息絶えたまま気の遠くなる時を経てふるさ
   との沼沢跡から完璧な全身化石として発掘さ
   れた。人ではなかった。それは太古の巨大な
   剣歯虎だった。

ふるさとからの遠い距離、荒廃させてしまった家。それに対する思いの強さが悔恨の強さとなる。その悔恨が、雄々しく時を越えたものとなってふるさとに還ることを私に夢想させたのだろうか。

最終ページに、池井昌樹による山本楡美子氏の遺稿句集「楡の花」評が掲載されている。
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詩集「ヒル・トップ・ホスピタル」 山田兼士 (2022/07) 山響堂

2022-08-05 22:21:25 | 詩集
第8詩集。55頁に16編を収める。
あとがきには、今年5月に罹患が判明した食道癌の入院治療中に書き溜めた作品であることが記されている。

作者は2年前にウイルス性髄膜炎で数か月の意識不明状態となり、そこから立ち直ってきた。その時の様子は前詩集「冥府の朝」にまとめられていた。そして今度は進行した食道癌と診断されたのだ。この過酷な状況の中で作品は書かれている。

   夏至近く 点滴チューブに繋がれて
   体内にカテーテル・ポートを埋めこまれ
   飲食をしないまま二週間が過ぎた
   生の余韻かもしれないこの二年間を振り返っている
   ヒル・トップ・ホスピタルの五階の部屋で
                  (「ヒル・トップ・ホスピタル」)

2編ある「ノーフード ノードリンク」は、絶飲絶食の状態を、同じように2編ある「ノースピキング ノーボイス」は発声できなくなっている状態を、感情に押し流されることなく作品化している。並大抵の意志で出来ることではない。感嘆してしまう。

私(瀬崎)は、基本的には作品世界と実生活を切りはなして捉える見方をしている。しかし本詩集の意味は、どの作品も作者の現在の状況から生まれたものであることだろう。作者が現在置かれている状況でこれだけの作品を書いたという行為そのものが、すなわち作品であるともいえる。
見舞いに来てくれる3人のお孫さんたちのこと、治療のためのカテーテル・ポート埋め込み手術のこと、34年間勤めてきた職場を離れる決心のこと。そのどれもが現在の作者そのものである。

最後に置かれた作品「ムンドゥス・ケンジーニア」では、作者はホスピタルの上階からの眺望に自分の人生を重ね合わせている。そして、

   人生詩など自分らしくないと思いつつ
   やはり書かざるを得なくなった
   ささやかな記録として
   大切な記憶として

辛い癌治療の日々であるだろうが、どうか元気になってヒル・トップから戻られるようにと祈念するばかりである。
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詩集「アレクサンドロス王とイチジク」 岡隆夫 (2022/07) 砂子屋書房

2022-08-03 22:53:41 | 詩集
第23詩集。95頁に22編を収める。

プロローグとして「知っていて 知らなかった」が置かれている。作者は自身のぶどう園でマスカット・オブ・アレキサンドリアを四十年作り続けていたのだが、

   ところがアレクサンドロス王がエジプトを領有し
   肥沃なデルタにアレクサンドリア港を建設し
   マスカット・オブ・アレクサンドリアを増殖
   エジプトイチジクとともに世界に広めた
   まったくもって知らなかった 知らなかった

このことを知った素朴な驚き、そして作者が愛したそれらの果実を広めてくれたアレクサンドロス大王に対する感謝の念、それらがこの詩集の作品の基盤になったのだろう。

作者の前詩集は中国地方吉備平野に展開された古墳文化に材をとったものだった。今回のアレクサンドロス大王の足跡をたどる本詩集の作品も叙事詩の体裁を取っている。その際には話者の位置づけが大きな意味を持つ。あとがきには、話者の一人は「古代から現代に至る時系列的視野を持つ」旅人、とある。この設定が自在に物語世界を展開することを成功させている。

アレクサンドロス大王は、紀元前三百年頃からペルシャ、エジプト、インドと遠征を続け、未曾有の大帝国を築きヘレニズム文化を発展させたのだが、そこに作者は自由な物語りを展開している。作者は塩野七生などの文献に当たり、史実を丹念に調べている。その史実にしたがってアレクサンドロス大王、その従者であるエウメネスの生涯を追っているのだが、そこにさまざまな植物を絡ませている。そこがぶどう園を管理し、稲作り麦作りに長年いそしんだ作者の面目が躍如する点である。

   イタリアは東南端ブリンディジ港
   ピラミッド形に山積みされた
   紫イチジクに魅せられる
   イオニア海を東に渡るとオリンピアの山が見え
   旅人は麓の市場でギリシャの蜜果を目にし 安堵する
               (「イチジクの巨木たち」)

「三十三歳を一月後にひかえ」てアレクサンドロス王は崩御する。その生涯を追ってきた詩集の最後では、作者は従者エウメネスに憑依したかのようだ。そして旅人と共に去って行く。作者独特の観点の物語を駆使しての一大叙事詩の詩集であった。
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