瀬崎祐の本棚

http://blog.goo.ne.jp/tak4088

緑  20号  (20085/03)  岡山

2008-03-21 23:27:20 | 「ら行」で始まる詩誌
 「冬の窓」田中郁子。毛糸の帽子を被った幼女を乗せた乳母車を見ている。そして、乳母車はいつも通り過ぎていくものだと思っている。

   冬は 向こうからやってきて
   あんなふうに赤い上着で幼女をくるみ
   乳母車に乗せてガタガタと通り過ぎていくのだ
   (略)
   わたしはいつの間にか乳母車から手を離し
   外套のポケットの中で何かを探している
   かじかむ季節を握り締めている

 表面的には、乳母車に乗せて育ててきた子どもたちがやがて離れていったことを詩っているのだが、それだけでは終わらない、なにか普遍的なものにつながる格調がある。乳母車は誰もが持っている何かを育てる器であり、いつかはそこからおくりだしてやる場所なのだ。
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折々の  13号  (2008/03)  広島

2008-03-20 08:36:39 | 「あ行」で始まる詩誌
 「風景」正本忠臣。なにか、映画のシーンをたどっているような印象の作品。子供が駆けていくのは枯れ草の野原なのだが、そこでは屋根が崩れ落ちたり、手術台が置かれたりしているのだ。場面が脈絡もなく展開していき、その風景の中を子供がただ駆けていくのである。

   その風景の
   右端から 左の端へ
   子供が一人
   ひたすらに駆け抜けて行くと
   風景もまた
   いつまでも子供を追っている

 はて、この風景とはなんだろう。見えるものに意味を探すことは不要なのかもしれない。見えるものはただ見えているのであり、実は、私たちが見えるものを選び取っているのだろう。だから、私たちもまた風景に見られているのだ。
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逆光  66号  (2008/01)  徳島

2008-03-19 18:58:19 | 「か行」で始まる詩誌
 木村英昭が「詩のボクシング顛末記」というエッセイを書いている。私は詩のボクシングを実際に見たことはないのだが、私の周囲にも県大会の出場経験者はおり、全国大会に行ったりもしている。木村も5回の地方大会に出場して、ついに全国大会に行っている。話を聞くと、これは単なる朗読ではなく、いわば演劇にも通じるような作品提示が必要とされるようなのだ。しかも、対戦試合である。勝ち抜き戦に対する作戦も必要となる。印刷媒体で提示される詩とは全く別の意味を持つもので、詩を道具としたパフォーマンスだと捉えればよいのだろうか。ただの朗読も苦手な私には、とてもチャレンジする勇気はないな。
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地平線  43号  (2008/02)  東京

2008-03-10 23:35:12 | 「た行」で始まる詩誌
 「くちびる」秋元炯。男が炒飯を食べる様を描写した作品なのだが、平仮名ばかりで書かれている。人間の動作、行為は、それが性や食など本能につながるものほど妙にいやらしい、ぬっぺりとしたものとなるが、平仮名ばかりで記述されることによって、読後感もそのような印象をよく伝えてくる。

   ひとのめなんか もう きにならない
   また あせをかく
   あと ふたくちくらいで
   たべおわってしまう
   たべおわったあとも
   なにもすることのないのが
   うれしい

 店の前で死にそうになっている蝉の描写が対比的に挿入されるが、それがよく効いている。生きていくということは、振り切ろうとしてもまとわりついてくるような、人体の内側に続く粘膜の湿ったこうした行為の連鎖の果てにあるしかないのだ。
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いのちの籠  8号  (2008/02)  神奈川

2008-03-07 21:40:26 | 「あ行」で始まる詩誌
「奉安殿の石段」甲田四郎。戦争末期の頃に図画で奉安伝を描いていたら、先生が、石の影をよく見ろ、と言ったのだ。兵隊帰りのその先生はもまなく肺病で亡くなった。

   奉安殿
   天皇
   教育勅語
   そんなもののために生を使い切ってしまった中川先生と
   そんなものの形骸を「無心」に描く子どもの私と
   一度だけ石ころが転がるように近寄って
   離れていったのだ、互いに互いが判らないまま

わたしの年代では奉安殿は遠い存在のものだったが、実際にそれを知っている人たちでも、年代によってその意味するものは大きく異なるのであろう。ある時代の個人的な想い出を書いていて、主題も違うのだが、それでいて反戦の気持ちにもなっている。描かれた状況が正しく、自ずからそこへ向かっているからだろう。
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