「外的・ほか」南原充士。
6編の短い作品からなるのだが、まずはそのタイトルが面白い。「外的」の次の作品は「超外的」、その次は「極超外的」、そして「至極超外的」「激至極超外的」「爆激至極超外的」とつづく。
で、次第に激しさを増していく(と思われる)その”外的”とは何かということなのだが、自分の周りを跳びはねて、自分の存在を確立してくれているものたちの属性であるようだ。それは当然か。はじめは他者との関係を持とうとした時にケイタイが鳴る程度だが、それが未確認飛行物体となる。さらに自分の外側を突き詰めていくと、立つところもない地点をさまよいはじめることとなる。ついには生物の死滅した宇宙空間となり、宇宙空間も存在しないブラックホールとなる。
存在すら とらえようがなく 貧しい道具と理論で
巨体の わき腹を かする
予言に頼らず 近似簡易観察を継続しながら
反転する時点を追いかける
仮説が だれもいない 砂漠に 記されている
(「爆激至極超外的」後半)
南原の作品は機知に富むものが多い。珊瑚のように、どこまでが自分でどこからが他者か判らないような生命体は別として、自分が存在するのは他者が在るからである。そう考えると、南原が必要とした外的なものが、次第に常軌を逸していくのが興味深い。
6編の短い作品からなるのだが、まずはそのタイトルが面白い。「外的」の次の作品は「超外的」、その次は「極超外的」、そして「至極超外的」「激至極超外的」「爆激至極超外的」とつづく。
で、次第に激しさを増していく(と思われる)その”外的”とは何かということなのだが、自分の周りを跳びはねて、自分の存在を確立してくれているものたちの属性であるようだ。それは当然か。はじめは他者との関係を持とうとした時にケイタイが鳴る程度だが、それが未確認飛行物体となる。さらに自分の外側を突き詰めていくと、立つところもない地点をさまよいはじめることとなる。ついには生物の死滅した宇宙空間となり、宇宙空間も存在しないブラックホールとなる。
存在すら とらえようがなく 貧しい道具と理論で
巨体の わき腹を かする
予言に頼らず 近似簡易観察を継続しながら
反転する時点を追いかける
仮説が だれもいない 砂漠に 記されている
(「爆激至極超外的」後半)
南原の作品は機知に富むものが多い。珊瑚のように、どこまでが自分でどこからが他者か判らないような生命体は別として、自分が存在するのは他者が在るからである。そう考えると、南原が必要とした外的なものが、次第に常軌を逸していくのが興味深い。
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