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詩集「襤褸」 野間明子 (2022/07) 七月堂

2022-09-21 11:07:38 | 詩集
第5詩集。104頁に27編を収める。

「来訪者」。猛禽の翼や黄ばんだ新聞紙、焼けたトタン板などがばさり、ばさりと近づいてくるのだ。その音を立てるものはさまざまな仮の姿をしているのだろう。とにかく何者かが私の元へやって来ているという不安、恐怖がある。

   背後で立ち止まるだろう
   まざまざと髪の根を掴むだろう
   ばさり
   ぬかるんだ地べたを転がって
   斬り落とされた悲鳴が呼んでいる

引用した箇所の5行目の表現が卓越している。

詩集は3つのセクションに分かれている。2つめのセクションには、他のセクションの重い感じの作品と拮抗するように8編の短めの行分け詩が収められている。それらには意味を跳び越えたような感覚が踊っている。擦れ違った赤ん坊を抱いた女は狭い橋から転げ落ちるし(「橋」)、赤い部屋のなかには、俺やっちゃった、という息子が突っ立っていたりする(「夕映」)。ぎりぎりのところに追い詰められた感情が溢れてきている。
「蟻」では窓際から壁際に移動していくおびただしい蟻を見ている。すると、「あの黒い小さい影の下には何も残らないのではないか」と思えてくるのだ。全てのものは動く蟻とともに消滅していくのではないだろうか、と。最終5行は、

   今 蟻が這っていく俺の眼球も
   実はないのではないか
   蟻の影が落ちているだけではないか
   ああ 本当に
   夏が長すぎたのだ

「杞憂」は散文詩。話者は喫茶店だと思って入ったのに、やがて誰もいなくなって、実はそこは「空往く乗物の待合室」だったのだ。話者は、自分で作りあげた約束事を信じ込むことによって不安から逃げようとしているようだ。

   長い永い待ち時間をじっと、時々空耳に耳を貸しながら座っていた。誰も渡
   らない横断歩道の信号が点滅する。油断なく待ち受ける私の目からするなら
   ば、世界はいまだに、余りに無防備に剥き出しだった。

収められた全編が話者のモノローグという形で提示された世界は、世間の常識などからはいささかずれた地軸で構築されていた。当たり前とされている「世界」を、もう一度問い直している。
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