瀬崎祐の本棚

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詩集「花まんだら」 佐伯多美子 (2018/01) 砂子屋書房

2018-04-01 17:41:59 | 詩集
 第6詩集。118頁に30編を収める。
 この1冊の詩集に収められた作品の間での、話者の感情の振幅はとても大きい。ある作品ではぶっきらぼうな口調であり、ある作品では跳びはねるように浮き立っている。かと思えばある作品では陰鬱な独白になっていたりする。そのどれもが作者であるのだろう。

 「美(うる)わしの日々」
 婆が、相棒だった八ちゃんと、その友だちだった一ちゃんのことを回想している。ホームレスのような3人は、桜の咲く公園の外れで缶チューハイを飲みながらの花見。亡くなるときに八ちゃんの魂は身体から抜けだし一ちゃんを捜しに行ったのだ。

   婆は動けない
   足が一歩も動かない
   体が硬直したように動かない

   桜がはらはらと散る。花筏がすこしずつ形を変えながら緩やかに流れる

 現を離れた純粋な情だけが舞っているような作品。今から思えばあれが”美わしの日々”だったのだということがあらためてわかって、切なくもなるのだ。

 ”ねこすけちゃん”と呼ばれている黒毛のとらねこは、いくつもの作品にあらわれる。作者は他愛もなく”ねこすけちゃん”に話しかけ、それを他の作品と同じ位相のものとして差しだしてくる。作者のそのバランス感覚にはなにか不気味なものも感じてしまうのだが、しかし、これらすべてがひとつとなって作者を形づくっているのだろう。

 「氷点」では、話者は「ことばを拾いに部屋をで」て、冬の桜並木を行く。饒舌だった彼の人がいて、ことばが凍る。ことばは拾えず、こぼれてもこない。凍ったことばは夏がきてもそのまま「灼熱の太陽に張り付いている」のだ。

   黒い灰をかき集めるとその幽かな重みに軽く頷き
   それから

   凍土に埋める

   それから焦点の合わない目が思わず笑いだす
   はははハハ ほとんど意味もなく笑いこけている

 書くことによって何かを求めようとする者の、ことばへの逡巡、畏怖。そのようなものがひしひしと伝わってくる。
 原稿用紙のます目に書かれた「目玉」については発表時に「現代詩手帖」詩誌評で感想を書いている。
コメント
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