和田まさ子の個人誌。今号のゲスト作品は杉本真維子「道祖神」。
泥団子をつくって「嘘のように喰らっている、」というのだが、そんなわたしの、
供え物を疑う
やせたこころを
犬が喰う
泥団子は道祖神への嘘の供え物なのか、喰らう真似は何かの罪なのか。幼い日のことを詩っているような、時を越えてなおうねっている不安定な感情がある。それが生じる理由や状況は不明のままに、そこに渦巻いている感情にうたれる。
次の連はさらに不明な状況となっていく。
シャツを破かれ
歯形のついた腹で
門を叩くとやさしい祖父の銃口が光った
おまえのため、は慟哭となって
わたしも喰うよ
犬を喰うよ
言葉のひとつひとつがきりりと突き刺さってくる。それほどに言葉が鋭く研ぎ済まされている。「やせたこころ」と共に肉体的にもわたしは犬に襲われ、傷ついたのだろうか。今度は、やせたこころを喰った犬を喰うと、祖父が決意してくれている。それは「おまえのため」なのだ。ここには針の上に乗っているかのような緊迫感がある。
わたしは薄暮にふるえており、「ならばわたしが祖父を喰う」と、作品は終わっていく。この今度は「祖父を喰う」という理解が困難な決意。どこか自虐的にすら思える、しかし切羽詰まった思いが安穏とした私(瀬崎)をはっとさせる。
説明するための言葉は作品には要らない。余分なものをすべてそぎ落とした言葉の使い方はこうでなければいけないと思わされた。
泥団子をつくって「嘘のように喰らっている、」というのだが、そんなわたしの、
供え物を疑う
やせたこころを
犬が喰う
泥団子は道祖神への嘘の供え物なのか、喰らう真似は何かの罪なのか。幼い日のことを詩っているような、時を越えてなおうねっている不安定な感情がある。それが生じる理由や状況は不明のままに、そこに渦巻いている感情にうたれる。
次の連はさらに不明な状況となっていく。
シャツを破かれ
歯形のついた腹で
門を叩くとやさしい祖父の銃口が光った
おまえのため、は慟哭となって
わたしも喰うよ
犬を喰うよ
言葉のひとつひとつがきりりと突き刺さってくる。それほどに言葉が鋭く研ぎ済まされている。「やせたこころ」と共に肉体的にもわたしは犬に襲われ、傷ついたのだろうか。今度は、やせたこころを喰った犬を喰うと、祖父が決意してくれている。それは「おまえのため」なのだ。ここには針の上に乗っているかのような緊迫感がある。
わたしは薄暮にふるえており、「ならばわたしが祖父を喰う」と、作品は終わっていく。この今度は「祖父を喰う」という理解が困難な決意。どこか自虐的にすら思える、しかし切羽詰まった思いが安穏とした私(瀬崎)をはっとさせる。
説明するための言葉は作品には要らない。余分なものをすべてそぎ落とした言葉の使い方はこうでなければいけないと思わされた。