瀬崎祐の本棚

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詩集「よごとよるのたび」  赤木三郎  (2014/05)  書肆夢ゝ

2014-06-05 14:42:42 | 詩集
76頁に25編を収める。
 機知に富んだ作品が並んでいる。機知に富むというと、頭で考えて書いただけの作品のように思われてしまうが、それだけではない。柔らかい感触で情感も漂っているのだ。
 たとえば「たった一日を」の最終行は、

   いちにちをいちねんのようにいちねんをいちにちのようにくらした

 「蛇としまうま」のしまうまは、ひるまには「じゅもくのもようのなかにじぶんを見失」い、よるは「しまのなかにじぶんをしまってしまう」。そして、

   あさのしまうまはすじごとに分解して
   日のなかにはしっていく光のすじの 草原のしま うま

 美しいイメージの連鎖にモダニズムの作品を思い浮かべたりもする。あらわしたいのは言葉にして言えるようなことではなく、こうしたイメージのなかに明確な形も取らずに孕まれてくるものなのだろう。
 童話のような趣を持つ「さかなの三姉妹」では、さかなは三羽のとりにうまれかわる。一のとりは「いっしんに/さかなをつかまえては たべ」、二のとりは「とりになったことに/気がつかなかった」。そして、

   川や 海のうえを 舞っている三のとりは
   じぶんがとてもむかしさかなというものになりたくてつよくつよくねがった
   のに まだねがいはかなわない
   という気がしきりとする のだった

 童話はときに悲しく、残酷でもある。希望や願いは満ちたりていないと感じるときに、幸せを求めて生じてくる。しかし、満ちたりた幸せなどというものはあり得ないことを童話はしばしば指ししめしてくる。この作品にも、不幸ではないのだろうけれども、どこか背中のあたりに悲しいものが漂っている。 
コメント
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