瀬崎祐の本棚

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水盤  13号  (2014/05)  長崎

2014-06-12 20:03:13 | 「さ行」で始まる詩誌
 「牡蠣小屋」平野宏。
 いきなり「だめだよぉう喰っちゃよぉう」と言われるのである。「ここはそんなとこじゃないんだよぉう」と言われるのである。私は牡蠣を焼いて食べていただけのようなのに、だ。私は、当然のことのように、ここは牡蠣を食べるための場所だと思っていたようなのに、だ。
 このように、牡蠣小屋の中での理解不可能な状況が描かれている。「喰うなって?」と訊ねかえす私に、父は「おまえが口に入れたときはちょっと/情けなかったぞ」とまで言うのである。
 この牡蠣小屋の中は、外とはまったく違う決まり事、掟に支配されているようだ。しかも一番身近な存在であったはずの父も、私には理解不可能な掟の側にいるようなのだ。父にまで非難されては、私一人がここの世界では異邦人のようではないか。
 別の客は「水を 鍋で焼いてい」る。なに? ここではそれが正しい行為なのだろうか。最終部分は、

   ほ あのご夫婦
   父が羨望の声をだした
   あせらず牡蠣からやっていくんだ
   ほら乗せろ乗せろ
   牡蠣が爆ぜて顔に飛んだ
   もう二人分追加するか と父がいった
   外で車のドアの閉まる音がして
   どやどやと三人入ってきた

 ”牡蠣からやっていく”とはどういうことなのだろう。食べてはいけない牡蠣をただ焼いているのか。いや、焼いているのは何なのだろうか。どやどやと入ってきた三人はまるで私をどこかへ連行していくような予感がする。牡蠣を三個も食べたのがいけなかったのだろうか。
 この牡蠣小屋の中の掟はどういうことだったのだろう? 何でもない場所が異次元世界へ変容している様が見事だ。
コメント
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