瀬崎祐の本棚

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詩集「影と水音」  荻悦子  (2012/09) 思潮社

2012-10-08 19:22:32 | 詩集
 103頁に13年間余に書かれた22編を収める。
 五感で触れたものが作者の中にあったものを揺らす。そうして作品は生まれてくる。
 「樹間」では、雨がやってきて、それとともに懐かしいものが訪れる。

   訪ねてきた人が昔の話をした
   記憶にない
   知らない私が
   馴染みのない子供と一緒に
   切り倒された木に上がって
   やじろべえのように揺れている

 私のなかにはいろいろなときの私がいて、ときおり私を訪れてくるのかもしれない。雨が止んで、「杉の林では/私に忘れ去られた子供が/両腕を上げ/太い材木の上を/傾いて歩いている」。懐かしいものは通り過ぎて、世界ではなにかが新しくなっている。詩が書き終えられるとともに、なにかが新しくなったのだろう。作品が終わるということはそういうことだろう。
 その一方で、物語は花に恐ろしいものへの変容を要求し、私も捕らえたはずの魚に変容させられたりする。「黒種子草(くろたねそう)」も不気味である。花の背後には絶えず含み笑いがあるのだ。

   針状に茂る葉を刈り尽くす
   午後の日ざしが
   とろり蜂蜜に宿って
   匙から逃げ去り

 そして硝子の水差しの底には捨てたはずの緑色の蕊がくねっているのだ。うわべは穏やかそうに見える日ざしのなかの風景は、物語を求めようとしてどこか信用しきれないものになっている。
コメント
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