瀬崎祐の本棚

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きょうは詩人  22号  (2012/09)  東京

2012-10-01 21:02:45 | 詩集
 「しっぽ」長嶋南子。
 息子が買ってきた犬。しっぽを振って甘えるものだから、息子は生活のすべてを犬にささげてしまうほどの可愛がりようなのだ。そんな息子を母は苦々しく見ているようなのだが、

   わたしにしっぽ振ってくる人はもういない
   友だちもいない
   誰もいませんからどうぞ家へ遊びにきてください
   本当はきてほしくないのに
   ついお世辞をいってしまう
   私もしっぽを振っている

しっぽを振るという、人に媚びたような振る舞い。矜持を保つためにはそんなことは唾棄すべき行為であるのだろうが、その行為には、滑稽な、それでいて少し情けなくなるような哀しさがある。
 家族という仲の良い人間関係ですら、無邪気にしっぽを振るという、そんなものに支えられているのかもしれない。それを失うと「家族写真が色あせて菓子箱のなかにあふれて」くるのだ。最終部分は、

   しっぽを振らなくなった犬は 息子は
   山に捨てにいかねばなりません
   それから川へ洗たくにいきます
   桃が流れてきても決して拾ってはいけません

 童話が本質的には残酷な要素を内包していることはいろいろな場面で指摘されているが、ここでも”舌切り雀”のイメージを上手く用いている。それにしても、桃太郎やかぐや姫は、何故私たちの前にあらわれたのだろうなあ? 何故家族の一員になろうとしたのだろうなあ?
コメント
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