隊長のブログ

元商社マン。趣味:ヒップホップダンス、ジャズダンス、日舞(新舞踊)、旅行、映画、スポーツ観戦。阪神タイガースのファン。

旅行記 第34回 『「Go To トラベル」で行く鎌倉 2日間』 (その2・建長寺)

2020年10月19日 | 旅行記

旅行記 第34回 『「Go To トラベル」で行く鎌倉 2日間』 (その1・鶴岡八幡宮) ⇒ https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/c92c6bca4b7192c9a97c5222d63c2da9


「鶴岡八幡宮」の参拝を終え、本宮の左手から、西側を走る「鎌倉街道」へ降りて来たのは、午前11時20分頃です。次の目的地「建長寺」に向かい、街道を北へ歩き始めました。ここら辺りでは、「三の鳥居」前の交差点が隘路になって、南へ行く車が数珠つなぎになっています。

 


歩き始めて直ぐに、同宮参拝者駐車場脇に休憩所を発見。「鎌倉紅谷 八幡宮前本店」で、バラ売りで購入した “クルミッ子” を食べて、一息を付きました。この日は、七五三詣りや初詣りの参拝客を各所で見かけました。

 


再び歩き始めた街道両側には、レストラン・土産物屋・民家などがあり、その中の何軒は閉店となっていました。やはり、新型コロナウィルス感染拡大で観光客が減った影響でしょうか。最初の頃は、意気軒昂と歩いていたのですが、「巨福呂坂(こぶくろざか)」の勾配がだんだんと厳しくなり、外気は爽快なのですが、じっとりと汗ばんできました。


何とか、「巨福呂坂洞門」をくぐると、やっと道を下り坂になり、前方右手に「建長寺」が見えてきました。「建長寺」は、建長5年(1253)、禅によって国の興隆をはかるため、鎌倉幕府の五代執権・北条時頼(ときより)公の願いにより、中国の禅僧である蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が開いた、日本で最初の禅宗の大道場です。

 

「建長寺」は、鎌倉五山第一位。「鎌倉五山(かまくらござん)」とは、臨済宗の寺院の寺格で、鎌倉にある五つの禅宗の寺院のことです。鎌倉時代に北条氏によって導入されました。


「北鎌倉駅」方面の西の外門にあたる「天下門」に到着したのが、11時45分頃。歩き始めてから、20分弱でしょうか。この門を見て、急坂に疲れた身体がしゃきっと戻りました。

 


当寺の建築は、総門・三門・仏殿・法堂(はっとう=講堂)・方丈(ほうじょう=本堂,客殿,住職居室を兼ねるもの)が、一直線に連なる中国の禅宗様式にもとづいています。


一直線に連なる建築群の最初の「総門(そうもん)」は、天明3年(1783)に京都の寺である、般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)で建てられたものを昭和15年(1940)に移築しました。総門に掲げられた額の「巨福山(こふくさん)」という字は“大きな福をもたらす寺”という意味で、中国僧で建長寺第十世である一山一寧禅師(いっさんいちねいぜんじ)が書いたものです。

 


総門をくぐった右手にある「拝観受付」で、拝観料 300円を納め頂いた半券には、「天下門」に掲げられている「天下禅林(てんかぜんりん)」の扁額(へんがく)がデザインされています。この文字は、“人材を広く天下に求め育成する禅寺” との意味で、鎌倉五山第一位の当寺を象徴する語です。

 


参拝前に受付反対側の「朱印所」に御朱印帳を預け、帰りに受け取ります。

 


これから広い境内を散策です。

 

 

参道両側の桜並木が満開の頃は、さぞかし綺麗な光景なのでしょうね。

 


参道左手に置かれた「さざれ石」。

 


国重要文化財の「三門(さんもん)」をくぐることによってあらゆる執着心から解き放たれることを意味します。創建者である蘭溪道隆の言葉に、“建長寺は、禅をまなぶすべての人に開け放たれている。この境内には人を差別しない清風が、いつも吹いている”とあり、建長寺はあらゆる人々、修行者(しゅぎょうじゃ)に門を開放している事を表しています。

 


楼上(門の上部)には、釈迦如来(しゃかにょらい)・十六羅漢(じゅうろくらかん)・五百羅漢(ごひゃくらかん=修行を完成された人)を安置しています。

 


三門の右手にある国宝の「梵鐘(ぼんしょう)」は、建長7年(1255)に、大和権守物部重光(やまとごんのかみものべしげみつ)が鋳造したもので、大覚禅師による建長禅寺の銘文が浮彫りにされている名鐘です。

 


“鐘つけば銀杏(いちょう)ちるなり建長寺”という俳句は、明治28年(1895)9月に夏目漱石によって作られました。親友の正岡子規は、この句を参考に有名な“柿くえば鐘がなるなり法隆寺”の句を作りました。

 


三門をくぐった先の「柏槇(びゃくしん)」は、蘭渓道隆が中国から持ってきた種子を建長寺創建の際に植えたもので、樹齢760年と言われています。

 


「柏槇の庭」の先にある国重要文化財の「仏殿(ぶつでん)」。現在の建物は、創建当初より4代目のものといわれ、東京の芝の増上寺にあった徳川二代将軍秀忠公(ひでただこう)夫人(お江の方)の霊屋(おたまや=墓)を、建長寺が譲り受けました。

 


仏殿の中には、御本尊の「地蔵菩薩(天国から地獄に至るまで、すべての生物を救い、成仏させると誓う菩薩)」が安置されています。北条時頼と、蘭渓道隆の、迷いの中から救い悟りを得るという願いが込められています。

 


国重要文化財の「法堂(はっとう)」。昔は建長寺全体が修行道場であり、敷地にいる僧侶全員がこの法堂に集まって、住持(=住職)の説法を聞きました。388人の僧侶がいた記録があります。現在は法要・講演・展覧会などに使われており、修行僧は西来庵(せいらいあん)で修行しています。この建物は、文化11年(1814)に建長寺派の寺院により再建されたものです。

 


関東最大の法堂で、現在は「千手観音(=迷いの中から救い悟りを得るために偉大な働きを持つ観音)」を、御本尊としています。御本尊手前に安置されている「釈迦苦行像」は、釈迦が極限の苦行・禁欲(断食)をしている姿を現しているもので、ガンダーラ文明の遺産でパキスタン・ラホール中央博物館に安置されている像の模造です。

 


天井の「雲龍図(うんりゅうず=龍が描かれた絵)」は、建長寺の創建750年を記念して、小泉淳作(こいずみじゅんさく)画伯によって描かれました。

 


法堂の先左手にある国重要文化財「唐門(からもん)」は、桃山風(ももやまふう)向唐破風(むこうからはふ)という、16世紀後半の日本の屋根の建築様式で作られた、漆塗りの四脚門(よつあしもん=4つの脚がある門)です。技巧を凝らした金具が各所に使用され、仏殿の装飾技法とよく似ています。

 


寛永5年(1628)、東京・芝・増上寺で徳川二代将軍・秀忠(ひでただ)夫人(お江の方<おごうのかた>)の霊屋(おたまや=墓のお堂)の門として建てられました。その後、正保<しゅほう>4年(1647)、仏殿・西来門(せいらんもん)と共に建長寺に寄附され、方丈(龍王殿)の正門として使用。2011年、解体修理がほどこされ、輝きをとりもどしました。


唐門の裏にある「方丈(龍王殿)」。方丈<ほうじょう>」とは、昔は住持(じゅうじ=住職)が居住する場所でした。現在は法要・坐禅・研修の場所として使われています。この建物も、総門と同じく京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)より、昭和15年(1940)に移築されました。享保17年(1732)に建てられ、元は皇室のお位牌を安置するためのものでした。

 


「大庫裏」の窓から方丈を望む。

 


方丈の中では、今しがた座禅を終えた小学生の一団がいました。

 


方丈の北側にある「方丈庭園」は、大覚禅師(蘭溪道隆)の作庭で、蘸碧池(さんぺきち) を中心とした貴賓を応接するための庭園(名勝史跡)です。江戸時代に改修され、池の中に島をおき、橋を架け、池の辺には石や松などを配し、半僧坊の山を借景とする瀟洒な名園です。この時間帯、他に参拝者はおらず、名園を堪能できました。

 



方丈庭園から参道を戻り、「朱印所」に預けておいた御朱印帳を受け取りました。納経料は、300円。


拝受したご本尊の御朱印には、中央墨書きの「南無地蔵尊(なむじぞうそん)」の上に三宝印の「仏法僧宝」、右上の「奉拝」の文字の上に「地蔵尊」を模した朱印、左上の「大本山」の文字の上に「天下禅林」の朱印、左下「建長寺」の墨書きの上に「建長」の寺院印が、押印されています

 

 


尚、拝受した御朱印の数は、これで六十八印になりました。詳細は、こちらの「御朱印巡り」記事一覧をご参照下さい⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/e23a591aa7b880a9e451c519dc5e14a5


挟み紙には、“建長寺御本尊身代わり地蔵縁起和讃” が書かれていました。

 


挟み紙とは、御朱印を頂く時に、墨や朱印が転写して汚れないように、寺社では、紙を御朱印帳の間に挟み込んで頂けます。挟み紙の多くは、無地の半紙ですが、中にほその寺社の謂れや、御朱印に関して印刷された紙を挟み込んでくれる寺社があります。御詠歌の和讃が書かれた挟み紙は、初めてみました。


隊長が集めた、他のユニークな挟み紙に関しては、ごちらをご覧下さい⇒ https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/6a07e00969016384e2f3be9b8e913b14

 


★ 続きは、『「Go To トラベル」で行く鎌倉 2日間』 (その3・浄智寺)で ★ 

 


==「旅行記」バックナンバー ==
http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/c/619e2d4e0638d6d11db6b03fbe07a87a

1~20回 省略

第21回 『高尾山飯縄大権現参拝登山』 2018年4月8日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/e019d563b281f7252de2388c201d258d

第22回 『踊り子号で行く小田原・熱海 2日間』 2018年6月16日~17日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/2d06de2cce60cb5f8f70a2275016574b

第23回 『灼熱の名古屋遠征』 2018年7月31日~8月2日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/b188f979a210bf521ba9943106f46197
 
第24回 『「しまかぜ」で行く伊勢志摩 3日間』 2018年9月18日~20日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/ebcbedcf6e93cb41c015496f4b4fb780

第25回 『江ノ島神社参拝』 2018年12月2日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/fba8099cd03597ad64f4da9690f5282d

第26回 『冬の熱海・湯ヶ島・修善寺 3日間』 2019年1月27日~29日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/91e4da4243e51fb8e761dedd0c4010ce

第27回 『ロマンスカーで行く箱根湯本 2日間』 2019年2月11日~12日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/cfe9c8c8e8384d3157b5f8e84b84fcbc

第28回 『鳴尾浜、京セラドーム、甲子園、野球観戦 3日間』 2019年3月29日~31日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/1e80082997cbf0912f7d0887fffb95fa

第29回 『今年も高尾山飯縄大権現参拝登山』 2019年4月14日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/1cc1aae432d8983cbaa3315dc7f57d17

第30回 『ラグビーW杯観戦ツアー in 静岡』 2019年10月9日~10日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/1f519ad51570c201552842a4a37416a3

第31回 『特急草津グリーン車で行く草津・軽井沢 2日間』 2019年10月16日~17日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/61381e0c0f8c6658bc2895794e6520a4

第32回 『今年も江ノ島神社参拝』 2019年12月1日  https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/40059dc86985dc4009cdad4b5a606dc5

第33回 『コロナ閑散下の秋田・角館・盛岡 3日間』 2020年3月7日~9日  https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/e6c20a181a78d1a906a92fc128dcfe9e

第34回 『「Go To トラベル」で行く鎌倉 2日間』 020年10月14日~15日  https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/c92c6bca4b7192c9a97c5222d63c2da9


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