はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

ネモフィラと藤(藤)

2018-05-06 11:40:04 | その他
  ひたち海浜公園を2時に出て、“東水戸道路” ひたちなかICで高速に入ります。何故か同じ路線なのに途中で “北関東道” に
名前が変わり栃木都賀JCT “東北道” に合流します。
ただこの東北道の上り線は大渋滞していて、JCTの大分手前からバスは少し進んでは停まりの繰り返しでした。
大渋滞の東北道を岩舟JCTで脱出して再び北関東道に入ると渋滞はなくなりホッとしました。
しかし次の渋滞は北関東道を佐野ラーメンで有名な佐野田沼ICで下りて、しばらく走った足利フラワーパーク近くになると
また始まりました。
  フラワーパーク近くになると道の両側には田圃を潰した無料駐車場が続いているが、空いていても入る気配は無い。
時刻は既に4時半を過ぎているので帰る車があるのだろうと、少しでも入口に近い駐車場を利用する気なのだろう。
結局ひたち海浜公園を2時に出て足利フラワーパークに着いたのは17時過ぎでした。

 

  足利と聞けば誰もが思い浮かべるのは 「足利幕府」 ですよね。ではその足利幕府から復習しました。
まず足利市のHPならきっと幕府の事を紹介しているだろうと見てみたが何の記述もありません。
で、足利幕府をネットで検索するとヒットするのは 「室町幕府」 ばかりです。
そうでした、そうでした。昔の歴史の授業では鎌倉の次の幕府は室町幕府と習った事を思い出しました。
そして室町とは足利氏が幕府を開いていた場所が “京都北小路室町” だったことからなんですよね。

とは言え、ここ足利は室町幕府とは関係ないのではなく、室町幕府の創始者・足利尊氏はここ足利市の生まれとする説も
ありますが、この説は傍証資料に乏しく最近では概ね否定されているようです。
しかし足利氏の出身地はここ足利市に間違いないようです。

     
         足利市の市票              足利(今川)氏の二つ引紋           鹿児島市の市票

  足利氏の紋は丸に十の字ならぬ、丸に二の字の “足利二つ引” です。この紋は駿府の今川氏の紋と同じなのは
今川氏が足利氏の分家に当るからのようです。
ではこの紋が現在の足利市の市標に使われていないかと思い、調べてみたら面白い事が分かりました。
足利市の市標は丸に二の字ではなく、丸(?)に足の字でしたが、この謂れについて足利氏のHPには
 「外側の線せんは古い鏡の形をあらわし、その中に『足』の字があります。日本で一番古い本、古事記に出てくる、倭建命
(やまとたけるのみこと)の子、『足鏡別王(あしかがみわけのきみ)』が足利市の地を治めていたという言い伝えから
この形ができました。」

成程、足利の元は “足鏡(あしかがみ)” だったのでそれが市標になり、地名は “あしかがみ” が訛って “あしかが” に
なったのか。納得。
しかし “足鏡別王” とは初めて聞く名前なので探してみると
 「ヤマトタケルの息子の一人である仲哀天皇が父を忍んで池で白鳥を飼おうとして、各国に白鳥を求めました。
越国から4羽の白鳥が献上されたのですが、これを宇治川で足鏡別王が白鳥を奪ってしまった。
怒った仲哀天皇は足鏡別王を誅殺してしまいます。これは実質異腹兄弟の争いで、兄の天皇が集めた租税の穀物(白鳥は米の穀物霊)を
弟の足鏡別王が奪ってしまった事だと思われる。」


  紋と云えば今流行りの “丸に十の字” の紋は、ご存知鹿児島藩の紋章です。
では現在の鹿児島市の市標はと調べてみると、矢張り丸に十の字をデザインした市標でした。

 

  栃木県も茨木県と同じように私には馴染みが薄く、栃木で思い浮かぶのは “日光” ぐらいの物でしょうか。
県名も茨木と同じように “栃の木が多い土地” から付いた、田舎の県と思っていました。
栃木より気になったのは県の古称である 「下野(しもつけ)」 です。
下野国はかって鬼怒川(毛野川)流域にあった 「毛野国(けのくに)」 が “下毛野国” と “上毛野国(かみつけのくに)” となり、
更に “諸地名好字二字” の一環で、下野国(しもつけのくに)と上野国(こうずけのくに)と改称したが、この時 “毛” の字は
消えたものの “け” の読みは残ったそうです。

  ついでに何故毛野国なったかと云う面白い説を紹介します。
 『毛の国に住んでいた「蝦夷」 の人の事を、古くは 「毛人」 と記したことから 「毛の国」 とする。』
確かにアイヌの人は毛深いイメージがありますが本当でしょうかね。

  足利フラワーパーク正面ゲートの横にはJR両毛線のあしかがフラワーパーク駅があります。両毛線とは栃木県小山駅と
群馬県前橋駅を結ぶ鉄道ですが、何故 “両毛線” なのか分かりませんでした。
それが今回の “毛野国” を知ったことでスッキリ理解できました。下毛野国+上毛野国だったのでした。


                               大 藤

  正面ゲート前のバス専用駐車場に着いたのは5時を過ぎていたが、チケット売場はまだ列が続いていた。
夜間はライトアップもされるようでそれを目当てに入る人も多いらしい。
これから1時間の自由散策になるが、先ず貰ったパンフレットで当園最大の目玉の大藤を見に行く。
樹齢150年の600畳敷きの藤棚とか、CNN(Cable News Network)に “世界の夢の旅行先10ヶ所” に日本で唯一
選ばれたとか、死ぬ前にもう一度再訪したい場所とか、は頭の中には色々な宣伝文句が蠢いています。
更に以前この大藤を移植した樹木医で浜松フラワーパークで理事長の塚本こなみ氏に、移植についての苦労話を聞いたことも
あり、ネモフィラの丘と同じように私も一度は見てみたかった場所です。


                                大長藤

  そして初印象は。マーこんな物でしょう。ガッカリもしないが感激もしない。多分豊田の “熊野の長藤” を見た事のある
人ならそんな感じになるでしょう。特に長藤に関して言えば熊野の方がもっと長い気がします。
広さはこちらの方が広いが、何しろ人が多くゆっくり感慨に浸るなんて訳にはいきませんでした。


                             白藤のトンネル

  藤と云えば香りが付き物だが、何故か余り匂ってこない。理由は大勢の人波による体臭や人いきれのせいなのか?
早咲きと云われる白藤のトンネルは隙間はあるもののまだまだ見頃だ。


                                白藤の滝

  名前が藤園ではなくフラワーパークと云うだけあって藤だけでなく色々の花が植えられていた。
ここには藤の他にテッセン、ツツジ、シャクナゲが咲いていた。


                             紫藤のスクリーン

  紫藤と書いてあるものの花は無く葉だけのスクリーンだった。既に咲き終わったのか? これから咲くのか?
どちらにしても花の気配が何も無いのは不自然に感じる。


                             きばな藤

  遅咲きのきばな藤が咲いていたがまだ少し早すぎるようだ。
黄色の藤は初めて見たのでネットの植物図鑑を見ると、別名 「金鎖(キングサリ)」 と紹介されていて、属名も藤はフジ属で、
きばな藤はキングサリ属と別だった。


                            池に浮かぶ花壇

  この植物園は狭いながらも水辺が多くあり変化を感じさせる。
ここではサフィニアを植栽した花壇を浮かべていた。


                             モネの庭?

  太鼓橋にもう少し丸みを付け、池の睡蓮を増やせば 「モネの庭」 にそっくりになる。
尤も “モネ” の名を冠すると多額の使用料を払うらしいので、見る人の感性に任せておけばよいが。


                            高台のツツジの海

  ツツジの海と名付けられた場所は少し高台にあり、ツツジの花越しに植物園を眺める事ができる。
ただ残念なことにツツジは既に最盛期を過ぎて萎れかかっていたが、それでも写真を写す気になるくらいは咲いていた。
1時間の散策時間だったが狭い場所の割には見るものが多く、時間が足りない状態でした。

  あしかがフラワーパークを18時に出て一路帰路に向かいます。
コースは北関東道・佐野田沼ICから高速に入り、岩船ICTで東北道に合流するのですが、渋滞がJCTの手前から
始まり、圏央道に入る久喜白岡JCTまで続いていました。
尤も渋滞と云ってもこちらはただ乗っている身で、やる事も無ければ悩み事も無く、居眠りしたり数独をやったりとのんびり
過ごしました。本来なら一杯やりたいところですが、焼津駅から運転をしなければならないのでここは自重します。

  結局焼津駅に戻ったのは予定の1時間遅れの11時50分でしたので、足利から約6時間掛かっています。
今回は朝約6時から夜12時までの約18時間の旅でしたが、散策時間はネモフィラの丘の2時間と藤園の1時間の計
3時間
だけで、残りの15時間はズートバスの中でシートベルトに縛られた状態でした。
しかしこのコースを自分で運手する気にはならないが、バスだと思った以上に楽に感じ、又どこかへ行きたくもなります。
と、久々のゴールデンウイークの旅行でした。

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