富士箱根トレイル3回目―1 歩行月日2011/11/26
岩波駅から三国山へ
JR岩波駅に7時16分到着。御殿場線に乗車したあと腹が痛くなり便所に直行し清々してから歩き出す。
御殿場線の踏切からの富士山は、見えてはいるが回りは雲がかかっていて、いつ雲の中に入ってもおかしくない状態だ。
何とか山の上から見たいのだが、こればかりはどうしょうもない。
湖尻峠までは小さな川の割には水量が多い深良(ふから)川に沿って登っていくのだが、この深良川はある事で有名な川だ。
それは江戸時代(1670年)深良村の水不足を解消するため、芦ノ湖の水を箱根の山腹を穿ち深良村まで導いた「深良用水(箱根用水)」のことで知られている。
深良村の名主が江戸の豪商伴野与衛門の協力を得て、全長1280m、高低差10mの水路トンネルを4年の歳月と総工費7400両(7億円)、
延べ約84万人を投入して完成した用水は、水路の両側から手で掘り進めたのにもかかわらず結合部分の誤差は殆ど無かったと言われている。
だが喜びも束の間、伴野与衛門は沼津代官所に捕らえれ死罪になってしまった。
そんな物語を子供の頃「箱根風雲録」という映画を見た覚えがある。
その映画の中でトンネルの位置を調べるため夜間に提灯の灯で測ったり、高低差を出す為に竹の樋を使ったりしていた記憶がある。
だが何故伴野与衛門が死罪になったのか記憶が無い。しかも水不足が解消して米が増産になる沼津代官所に殺されるとは。
これが小田原代官に捕らえられるのなら、自分の領土の芦ノ湖の水を盗んだとして、まだ理解できるのだが。
真相はどうだったのだろう。
静岡県の旧東海道に「明治トンネル」がある。竣工は名前の通り明治9年で長さが203mの人馬が通るトンネルだ。
左右から掘り進めたトンネルは結合部が直線にはならずに「く」の字になってしまい、数年後の掘り直している。
その明治トンネルの入り口には国の登録有形文化財指定の標識が掲げてあった。
ならば明治トンネルに比べ、より古く高度な技術を駆使して完成し、しかも現在に於いてもその恩恵を授けている深良用水はどうなっているのだろう?世界文化遺産は当然指定されていないが、少なくても国の文化財には指定されているだろう。
今日確認してみよう。
県道ではもったいないような道が続いている。前回この道を歩いたとき散歩をしている人と少しの間一緒に歩いたのだが、その人がこんな話をしてくれた。
「裾野市ではキャノンの工場を誘致する為に、工場までの道を拡幅した。更に観光客や広域避難のために、この道を湖尻峠まで拡幅して芦ノ湖スカイラインに接続しようと工事を進めた。
しかし大型バスが通行するにはカーブの道幅が取れないので、伊豆天城のループ橋のような物が必要と分ると、熱は冷めてしまい拡幅工事も途中で投げ出してしまった」のだそうだ。
そう言われてみれば広い道が途中で終ってしまっていた。これって税金の無駄遣い?
深良川の途中には、小さいながらも水力発電所があった。これも深良用水の恩恵なのだろう。
3月11日の震災以来電力不足が叫ばれているので、このような小さな発電所でも必要性が増してくるだろう。
深良用水トンネルの深良側出口に到着。入口には「深良用水之碑」が建っている。
トンネルには「一級河川 深良川起点」の標識はあるが国や県の登録有形文化財指定の掲示板はなかった。
深良用水は文化的な価値がないと言うのだろうか?そんなことはないと思うのだが。
最近世界記憶遺産に福岡県の炭鉱の絵が指定された。源氏物語絵巻や鳥獣戯画などを差し置いての指定である。
これは国が国宝を世界遺産に認定に名乗りを上げた結果、もし選に漏れるとその物が持つ価値が減少するのを恐れている間に、
炭鉱の地元の田川市が名乗りを挙げて認定を受けてしまったのだろう。
この深良用水も世界はともかく、国が認定しないのなら少なくても地元の市が文化財の指定はすべきと思うのだが、そのような立札は無かった。
さらに深良用水を謂れを説明した案内板も設置されていない。
深良村が岩波村になり、さらに裾野市に吸収合併されてしまい、一に過ぎない深良の事など誰も気に掛けなくなったのだろうか。
いや考えてみると伴野与衛門を奉った神社や祠も無い。これは与衛門が代官所で処刑されたため、地元はお上に遠慮して奉ってないのだろうか?
それなら明治になってから奉っても良さそうなものだが?これでは寂しすぎる。
一度芦ノ湖の水門から深良川が黄瀬川に合流する地点まで歩いてみればハッキリするのだが、この県道をまた歩くのもナー。
今日は冷え込みがきつく、吐く息が白く見える。道脇の落ち葉に霜が降りて葉脈を白く縁取っている。
湖尻峠に9時20分に到着。岩波駅から1時間55分掛かっている。前回下った時は1時間30分だったから25分余計に掛かったが、
ズート上りの車道歩きだったのだからまずまずの速さだろう。
因みに山と高原のタイムは下りが2時間5分で、上りが2時間20分になっている。
ここに小山駅から明神峠に行くような登山バスがあれば随分楽になる。休日だけの運行で岩波駅を9時に出発すれば9時半には湖尻峠に到着するだろう。
更に帰りは湖尻峠を3時くらいに出て「時の栖」経由岩波駅まで行く。時の栖には日帰り温泉や地ビールなどもあるので、ここで下車するときはバス代は無料にする。
更に時の栖から駅に帰るときは、無料バスが出ている三島や御殿場に帰ればよい。
どうでしょう「時の栖」さん。きっと登山者も増えて來訪者も増えること間違い無しですよ。
湖尻峠の案内板は「湖尻峠は標高850mで正しくは「こじり」でなく「うみじり」読む」とある。
さらに「昔は駿河への峠道なので「駿河津峠」と呼ばれていた。江戸時代は箱根の関所を守るため、この峠は通行を禁じられていた」とも案内してあった。
さてこれで湖尻峠の富士山側は駿河の国ということが分った。それに箱根は小田原藩の支配地で相模の国になので駿河と相模の二国が出て来た。
次に登る三国山は、この二国以外にどの国を指すのだろうか?普通なら伊豆の国だろうが果たしてどうか? 三国山の案内板が楽しみだ。
尾根道に入ると落ち葉が登山道を埋め尽くし、まるで絨毯の上を歩くような気分になる。時折細い竹を束ねた束を道や斜面に敷いてある。
昔、箱根では街道の石畳ができる前は竹を敷いて道の流出を防いだとあったが、このような状態だったのだろうか。
材料になる小さな竹はそこらに生えているが、これを毎年繰り返すのでは大変な事だったろう。石畳に変化したのもうなづける事だ。
尾根の左には少し残っている黄葉をバックに芦ノ湖が見えてきた。しかし木や枝がが邪魔をして清々見ることができない。
次に左側には富士山も見えるようになった。今まで宝永山は左の端に見えていたが、徐々にまん中になってきている。それだけ西に来たのだ。
初めて歩くので心配していた湖尻峠から箱根峠へ向かう道は、良く整備されていて何の不安も無かった。
50m間隔で立っている位置確認の標識は、湖尻峠からは箱根町でなく神奈川県になっていた。
どうやらこの尾根筋は静岡県側は余り力を入れてないようで、静岡も裾野も御殿場の標識も見当たらない。
確かに交通の便は神奈川県からの方が便利だから仕方ない面もあるのだが。
三国山の山頂に近くなると道脇にはブナの大木が目に付くようになった。すでに全ての葉は落葉してしまって見る影もない。
紅葉や花は時季の選定が難しく、早すぎても遅すぎても駄目で、一度に何ヶ所を見ることもできない。
昨年は富士山麓道一周で、山中湖の見事な紅葉を見ることができたが、今年は全て遅すぎたようだ。
でも、こうして落葉した木の下を一人歩くのも、それなりに風情があって私は好きだ。
10時15分三国山に到着。
山頂は視界のきかない樹林の中で孤独感を一層感じる事ができる。そういえば今日はここまで誰にも会っていない。
前回は足柄峠から何人もの登山者に出会ったが、同じ箱根外輪山でも、こちら側は人気がないのだろう。
景色が良くないのか?交通の便が悪いのか?きっと両方が影響しているのだろう。
私自身今日の行程で一番景色を期待していたのが、ここ三国山だが、これでは諦めるしかない。
山頂では三国山のいわれを説明した案内板も期待していたが、これも無い。仕方ない自分で考えるとするか。
普通なら三つの国が境界を接していた地だから三国山となるが、ここは地形的に言っても相模と駿河しかないはずだ。
現在の地図の境界を見ても相模の箱根側は箱根町。駿河の富士山側は裾野市になっている。
あと伊豆の国があるがそれは箱根峠から先で、ここからは随分離れた場所になる。
その箱根峠の先に十国峠があるが、この峠の十国とは境界線ではなく峠から見える国を指している。
その伝で行くと三国山から見える国は相模、駿河、伊豆、甲斐の4国になると思うのだが--------
何故三国山なのかご存知の方がおりましたら教えてください。
岩波駅から三国山へ
JR岩波駅に7時16分到着。御殿場線に乗車したあと腹が痛くなり便所に直行し清々してから歩き出す。
御殿場線の踏切からの富士山は、見えてはいるが回りは雲がかかっていて、いつ雲の中に入ってもおかしくない状態だ。
何とか山の上から見たいのだが、こればかりはどうしょうもない。
湖尻峠までは小さな川の割には水量が多い深良(ふから)川に沿って登っていくのだが、この深良川はある事で有名な川だ。
それは江戸時代(1670年)深良村の水不足を解消するため、芦ノ湖の水を箱根の山腹を穿ち深良村まで導いた「深良用水(箱根用水)」のことで知られている。
深良村の名主が江戸の豪商伴野与衛門の協力を得て、全長1280m、高低差10mの水路トンネルを4年の歳月と総工費7400両(7億円)、
延べ約84万人を投入して完成した用水は、水路の両側から手で掘り進めたのにもかかわらず結合部分の誤差は殆ど無かったと言われている。
だが喜びも束の間、伴野与衛門は沼津代官所に捕らえれ死罪になってしまった。
そんな物語を子供の頃「箱根風雲録」という映画を見た覚えがある。
その映画の中でトンネルの位置を調べるため夜間に提灯の灯で測ったり、高低差を出す為に竹の樋を使ったりしていた記憶がある。
だが何故伴野与衛門が死罪になったのか記憶が無い。しかも水不足が解消して米が増産になる沼津代官所に殺されるとは。
これが小田原代官に捕らえられるのなら、自分の領土の芦ノ湖の水を盗んだとして、まだ理解できるのだが。
真相はどうだったのだろう。
静岡県の旧東海道に「明治トンネル」がある。竣工は名前の通り明治9年で長さが203mの人馬が通るトンネルだ。
左右から掘り進めたトンネルは結合部が直線にはならずに「く」の字になってしまい、数年後の掘り直している。
その明治トンネルの入り口には国の登録有形文化財指定の標識が掲げてあった。
ならば明治トンネルに比べ、より古く高度な技術を駆使して完成し、しかも現在に於いてもその恩恵を授けている深良用水はどうなっているのだろう?世界文化遺産は当然指定されていないが、少なくても国の文化財には指定されているだろう。
今日確認してみよう。
県道ではもったいないような道が続いている。前回この道を歩いたとき散歩をしている人と少しの間一緒に歩いたのだが、その人がこんな話をしてくれた。
「裾野市ではキャノンの工場を誘致する為に、工場までの道を拡幅した。更に観光客や広域避難のために、この道を湖尻峠まで拡幅して芦ノ湖スカイラインに接続しようと工事を進めた。
しかし大型バスが通行するにはカーブの道幅が取れないので、伊豆天城のループ橋のような物が必要と分ると、熱は冷めてしまい拡幅工事も途中で投げ出してしまった」のだそうだ。
そう言われてみれば広い道が途中で終ってしまっていた。これって税金の無駄遣い?
深良川の途中には、小さいながらも水力発電所があった。これも深良用水の恩恵なのだろう。
3月11日の震災以来電力不足が叫ばれているので、このような小さな発電所でも必要性が増してくるだろう。
深良用水トンネルの深良側出口に到着。入口には「深良用水之碑」が建っている。
トンネルには「一級河川 深良川起点」の標識はあるが国や県の登録有形文化財指定の掲示板はなかった。
深良用水は文化的な価値がないと言うのだろうか?そんなことはないと思うのだが。
最近世界記憶遺産に福岡県の炭鉱の絵が指定された。源氏物語絵巻や鳥獣戯画などを差し置いての指定である。
これは国が国宝を世界遺産に認定に名乗りを上げた結果、もし選に漏れるとその物が持つ価値が減少するのを恐れている間に、
炭鉱の地元の田川市が名乗りを挙げて認定を受けてしまったのだろう。
この深良用水も世界はともかく、国が認定しないのなら少なくても地元の市が文化財の指定はすべきと思うのだが、そのような立札は無かった。
さらに深良用水を謂れを説明した案内板も設置されていない。
深良村が岩波村になり、さらに裾野市に吸収合併されてしまい、一に過ぎない深良の事など誰も気に掛けなくなったのだろうか。
いや考えてみると伴野与衛門を奉った神社や祠も無い。これは与衛門が代官所で処刑されたため、地元はお上に遠慮して奉ってないのだろうか?
それなら明治になってから奉っても良さそうなものだが?これでは寂しすぎる。
一度芦ノ湖の水門から深良川が黄瀬川に合流する地点まで歩いてみればハッキリするのだが、この県道をまた歩くのもナー。
今日は冷え込みがきつく、吐く息が白く見える。道脇の落ち葉に霜が降りて葉脈を白く縁取っている。
湖尻峠に9時20分に到着。岩波駅から1時間55分掛かっている。前回下った時は1時間30分だったから25分余計に掛かったが、
ズート上りの車道歩きだったのだからまずまずの速さだろう。
因みに山と高原のタイムは下りが2時間5分で、上りが2時間20分になっている。
ここに小山駅から明神峠に行くような登山バスがあれば随分楽になる。休日だけの運行で岩波駅を9時に出発すれば9時半には湖尻峠に到着するだろう。
更に帰りは湖尻峠を3時くらいに出て「時の栖」経由岩波駅まで行く。時の栖には日帰り温泉や地ビールなどもあるので、ここで下車するときはバス代は無料にする。
更に時の栖から駅に帰るときは、無料バスが出ている三島や御殿場に帰ればよい。
どうでしょう「時の栖」さん。きっと登山者も増えて來訪者も増えること間違い無しですよ。
湖尻峠の案内板は「湖尻峠は標高850mで正しくは「こじり」でなく「うみじり」読む」とある。
さらに「昔は駿河への峠道なので「駿河津峠」と呼ばれていた。江戸時代は箱根の関所を守るため、この峠は通行を禁じられていた」とも案内してあった。
さてこれで湖尻峠の富士山側は駿河の国ということが分った。それに箱根は小田原藩の支配地で相模の国になので駿河と相模の二国が出て来た。
次に登る三国山は、この二国以外にどの国を指すのだろうか?普通なら伊豆の国だろうが果たしてどうか? 三国山の案内板が楽しみだ。
尾根道に入ると落ち葉が登山道を埋め尽くし、まるで絨毯の上を歩くような気分になる。時折細い竹を束ねた束を道や斜面に敷いてある。
昔、箱根では街道の石畳ができる前は竹を敷いて道の流出を防いだとあったが、このような状態だったのだろうか。
材料になる小さな竹はそこらに生えているが、これを毎年繰り返すのでは大変な事だったろう。石畳に変化したのもうなづける事だ。
尾根の左には少し残っている黄葉をバックに芦ノ湖が見えてきた。しかし木や枝がが邪魔をして清々見ることができない。
次に左側には富士山も見えるようになった。今まで宝永山は左の端に見えていたが、徐々にまん中になってきている。それだけ西に来たのだ。
初めて歩くので心配していた湖尻峠から箱根峠へ向かう道は、良く整備されていて何の不安も無かった。
50m間隔で立っている位置確認の標識は、湖尻峠からは箱根町でなく神奈川県になっていた。
どうやらこの尾根筋は静岡県側は余り力を入れてないようで、静岡も裾野も御殿場の標識も見当たらない。
確かに交通の便は神奈川県からの方が便利だから仕方ない面もあるのだが。
三国山の山頂に近くなると道脇にはブナの大木が目に付くようになった。すでに全ての葉は落葉してしまって見る影もない。
紅葉や花は時季の選定が難しく、早すぎても遅すぎても駄目で、一度に何ヶ所を見ることもできない。
昨年は富士山麓道一周で、山中湖の見事な紅葉を見ることができたが、今年は全て遅すぎたようだ。
でも、こうして落葉した木の下を一人歩くのも、それなりに風情があって私は好きだ。
10時15分三国山に到着。
山頂は視界のきかない樹林の中で孤独感を一層感じる事ができる。そういえば今日はここまで誰にも会っていない。
前回は足柄峠から何人もの登山者に出会ったが、同じ箱根外輪山でも、こちら側は人気がないのだろう。
景色が良くないのか?交通の便が悪いのか?きっと両方が影響しているのだろう。
私自身今日の行程で一番景色を期待していたのが、ここ三国山だが、これでは諦めるしかない。
山頂では三国山のいわれを説明した案内板も期待していたが、これも無い。仕方ない自分で考えるとするか。
普通なら三つの国が境界を接していた地だから三国山となるが、ここは地形的に言っても相模と駿河しかないはずだ。
現在の地図の境界を見ても相模の箱根側は箱根町。駿河の富士山側は裾野市になっている。
あと伊豆の国があるがそれは箱根峠から先で、ここからは随分離れた場所になる。
その箱根峠の先に十国峠があるが、この峠の十国とは境界線ではなく峠から見える国を指している。
その伝で行くと三国山から見える国は相模、駿河、伊豆、甲斐の4国になると思うのだが--------
何故三国山なのかご存知の方がおりましたら教えてください。
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