歩行記録 H30-2-8(木)
歩行時間:5時間00分 休憩時間:1時間15分 延時間:6時間15分
出発時刻:8時05分 到着時刻:14時20分
歩 数: 22、493歩(推定距離15.97km) GPS距離km
行程表
倉真温泉バス停(駐車場)0:10> 百観音 0:40> 県道滝入口 0:20> 松葉(不動)の滝 0:10> 山道入口(滝の上) 0:45>
粟ヶ岳 0:30> 山道入口(滝の上) 0:20> 千国林道合流 0:30> 東山林道合流 0:20> 粟ヶ岳 0:40> 榎辻 0:30> 宝殿神社
0:05> 倉真温泉バス停(駐車場)
粟ヶ岳周回ルート概略図
今年2回目の “数年に一度の寒波” が来襲するとの予報で、八高山の大垂滝に氷瀑(?)を見に行く予定を立てていたのですが
松理さんのブログに “粟ヶ岳の倉真側に新しい周回ルートができた” と紹介していた。
粟ヶ岳には以前から仲間ウォークで行きたいと思っているが、コースの設定で悩んでいた。一般的には粟ヶ岳の東山からのピストンが多い
が私にはどうも気が進まない。では東山から南の掛川に抜けるコースとなると、脚力の落ちた仲間には掛川駅まで歩くのは無理だろう。
バスを使っても良いが、そうなると近場の割に交通費が高くなり全員年金生活者の仲間にはきつい出費になってしまう。
そんな時の周回ルートの情報。それに倉真には松葉の滝もあるので若しかして氷瀑も・・・・・・・これは確認しないと。
駐車場料金ポスト 倉真温泉バス停(駐車場)
倉真温泉バス停前の駐車場の気温は-5℃だが、この温度では静止している水なら氷るが、流れ落ちている水は凍るだろうか?
多分凍らないとは思うが、周りの飛沫はツララにはなるだろう。
兎も角、案内板で松葉の滝の場所を確認すると、ありました! ありました! 粟ヶ岳西側直下に名所マークと共に書いてある。
当然横にはハイキングコスーもあり “松葉の滝入口まで45分” とも書いてある。
これで今日のコースは決定。松葉の滝から粟ヶ岳に上り、帰りは榎平から倉真に戻る事にする。多分1時ごろには戻れるでしょう。
百観音 犬を連れた観音さん?
百観音850mの案内が出ていたのでそれに惹かれて脇道に入る。手入れの良い擬木の階段の道が続いていて、上からは新東名の
排気音が聞こえてくる。更に登ると新東名らしき所を車が走っているのも見えた。
擬木の階段が終る所には舗装された車道もあったが何処から何処へ行く道なのかは分からない。
古い観音さんの石仏を期待して行ったのだが、全ての石仏は新しく座像と立像の違いはあるものの同じような像容だった。
一番メインの観音像の前には大きく 「南無阿弥陀仏」 の石碑もあるが、観音さんなら 「南観世音菩薩」 ではないのかな。
更に色の変わった観音像あり、近づいて見ると犬を連れた女性像だった。エッ! と驚いたが案内板には、
「この地に住む女性が、山の頂上で埋もれていた百体の観音様のお祭りを行い、その後、自ら百数十体の勧進奉安した。」 とある。
それなら山頂にあった観音像もここに祀ればと思うのは貧乏人の考えで、金持ちは全て自分が造りたいのだろう。
来た道を引き返し松葉の滝に向かって行くと、左に分岐する道に 「掛川PA」 と 「百観音」 の案内がある。
どうやら百観音の所にあった舗装路がここに続いていたのだ。 分かっていれば近道だったものを。
廃旅館 深い谷底
倉真温泉は山の中の民宿並みの温泉と思っていたが、どうやらそうではなさそうです。掛川PAへ行く分岐の所にあったのは
決して民宿ではなく立派な旅館でした。
更に県道を進むと今は何の看板もないが、次々と増改築したような建物もあったが、これも元は旅館だったのだろう。
松葉城址入口 松葉神社
松理さんのブログでも紹介されていた松葉城に到着。当然城内を見学する積りだったが 「通行止です」 とロープが張ってある。
仕方ない看板でも読むか 「松葉城(河合氏古城) 明応5年(1496)松葉城は勝間田城主と志戸呂城主に攻められ落城した。」 と
あり、後は城跡の状態説明だけ。一番知りたい河合氏の事や当時の状況については何も書かれていない。これでは面白くない。
落城時の様子を書いたものを見つけましたので紹介しますが真偽のほどは分かりません。
「松葉城城主河合氏が開基した寺の記録には、城主が城で酒宴を催しているとき、たまたま城に来ていた勝間田城主は酒宴を
チラと見ただけで帰ってしまった。
河合氏はその非礼を咎める使者を勝間田城に遣わすと、一旦は勝間田氏は謝ったものの内心は河合氏に恨みを抱いてしまった。
その後、勝間田氏は松葉城内の重臣を取り込み内応の約束をさせたうえ、金谷志戸呂城主の鶴見氏を誘って松葉城を攻めたてた。
勝間田、鶴見の両軍の猛攻と城内の内応によって松葉城は落城し、城主河合氏は自害し、妻子は淵から身を投げて自決して果てた。」
この話はこの話としておくが、問題は松葉城が落城した明応5年(1496)です。この年に松葉城を攻め落としたのが勝間田城主
となっているが、勝間田城はその20年前の文明8年(1476年)に、今川義忠との戦いで落城しています。
私が勘違いしているのか、それとも案内板等の年代表記か攻撃者の名前を間違っているのか分かりませんが??です。
松葉城登場は諦めて県道を行くと川の向こうに神社が見えています。どうやらこれがバス停にあった案内板の松葉神社のようだが
入口の橋は通り過ぎてしまったようです。と、諦めていたら大丈夫! 橋がありました。
神社の拝殿の中に感謝状2枚と 「神社等級認証書」 があり 「静岡県神社應神社等級規定により十三等級神社に決定した事を認証
します」 とあった。
今まで見てきた神社は村社とか郷社が多かったが、松葉神社は “十三等級神社” となっている。
ネットの受売りだが、明治以降続いた村社、郷社などの制度は 「旧社格」 と言い、明治時代に神社の等級制度を設けて現在は
15等級に分類されている。等級は事実上氏子の申請(上納金)により上げることができるそうです。
15等級の中の13等級では余り高い等級ではないが、上納金を納めてまで等級を上げる必要もないだろう。
松葉神社で私の知りたかったのは、松葉神社や松葉の滝の “松葉” の由来がだが、神社には案内板も無く何の説明もない。
“クラミ” とか “マツバ” の言葉に何となく優雅さを感じていたので、由来を知りたかったのだが残念。
後でネット松葉神社の由来を調べると
「創建は不詳だが、伝承としては大宝年間に愛知県津島市の津島神社より勧請したという。そのため大宝天王とも称した。
明治になり現社号に改称。松葉の名は当社から少し離れた所に松葉の滝があり、それが当社号の由来か。」
岩床の川底 クマンハチの巣?
川が県道の横を流れるようになると、岩床の川底が良く見えるようになった。
粟ヶ岳が岩山との認識はないが山頂にはゴツゴツした大岩があり “磐座” として祀られている。では粟ヶ岳は岩山かな? まさか。
松理さんも紹介していた、軒先にスズメバチの巣のある家があった。タイミング良く隣家のお婆さんが洗濯物を干していたので
「おはようございます。あそこに見えるのは何ですか?」 と話のきっかけに聞いてみた。
「アーあれはクマンバチの巣だけど、今は蜂はいなくて夏はアカショウビンが住んでいるよ。」
クマンバチ? まさか~ あれはスズメバチの巣でしょうと聞き返したかったが止めておいた。アカショウビンも? だったが
どうせ私が聞いても分からない、後で調べればいいやと聞かなかった。聞いたのは
「おっかない蜂なのに何故撤去しないんですか?」
「そりゃぁ取って貰うにゃ金が掛かるからだよ。業者に取って貰うと一個2万円もするからねぇ。」
「でも危なくないのですか」
「こっちが手を出さなけりゃぁ蜂も向かってこないさ。そうしてれば何時かは蜂はいなくなるよ。ほらあっちの家の軒先にも
見えるらぁ」 と指さした家の軒先にも大きなハチの巣が見えた。
後でクマンバチの巣を調べてみると 「熊蜂の巣は正六角形を隙間なく集めたハニカム構造の巣ではなく、 一円玉くらいの
木製の丸い穴です。巣は古い枯れ枝や、人家の軒下部分など雨が降り込みにくい向きに、木を丸く削り作ります。」
となるとこれはクマンバチの巣ではない。ではお婆さんは・・・・・
イエイエそんな失礼な事を思ってはいけません。痴呆イエもとい 「地方によってはスズメバチのことをクマンバチと呼ぶ」 のだ
とウイキペディアには書いてあります。アカショウビンも調べてみました。
「 体長は約27cm。翼開長は約40cmでヒヨドリと同じくらいの大きさで、名前の赤翡翠は燃えるような赤い嘴と体全体が赤色を
していることによる。 夏に日本に渡ってくる渡り鳥」 だそうです。更にこんな事も書いてあった。
「巣穴は崖や、キツツキの古巣を使って営巣する。スズメバチの古巣を使った営巣記録が報告されている。」のだそうです。
恐るべしお婆さん! クマンバチと聞いた時は疑ってしまい失礼をしました。
松葉の滝入口 松葉の滝駐車場
スズメバチの巣の話をした家の先で、登山道は県道と別れ農道に入る。 “松葉のカヤ(栢)の木” を見ながら農道を5分も行くと
「⇦松葉の滝駐車場」 の案内板のある広場に着いた。ここが駐車場か、それとも矢印の先に駐車場があるのか、一瞬迷って
しまったがよく見れば駐車場の文字の下には小さく 「松葉の滝まで04km」 とも書いてある。
こんな明解な所で一瞬でも迷うなんて何とも情けないが、迷ったのはここだけで後は標識が完備していて迷う事はありませんでした。。
滝が見えたが松葉の滝? 丸木橋
駐車場からすぐの所から滝が見えていたが樹木が邪魔をして良く見えない。滝の案内板も無いし駐車場からは1分位の場所なの
だから松葉の滝ではないだろうと先に進む。
道が左右に分岐していて、右が粟ヶ岳で左が不動の滝となっている。どうやら滝見台まで行ったらここに戻り粟ヶ岳に向かうようだ。
こんな丸木橋を渡るのだが、下に溜まっている水は凍っていない。ウーンこりゃ氷瀑は無理だ。ツララも無理かも。
松葉の滝(不動の滝) 少し氷結した松葉の滝(不動の滝)
どうやらここが松葉の滝のようです。最初に松葉の滝の名前を聞いた時は、滝口は一つで途中に左右に分かれている滝と想像
したが、それは間違いでした。
今は渇水期なので右端の滝しか水は流れていないが、梅雨時などの水量の多い時は左側にも水が流れ、更に多い時は正面にも滝が
できそうな感じもします。しかし松葉とはとても思えそうにない。
この時はこの程度の感想だったが、帰りにバス停の案内板にある100円のパンフレットを買うと、そこにはこの辺りを指して
「松葉三滝ルート」 と書いてあり、入口から順に 「夫婦滝、女滝、松葉の滝(不動の滝)」 と案内している。
駐車場を出てすぐの樹間に見えた滝が夫婦滝だろうが女滝は気が付かなかった。そして三番目のこの滝は不動の滝でしょう。
不動の名は沢辺の小さな祠にお不動さんが祀られているからのようです。
でも “松葉の滝(不動の滝)” と書いてある意味は何だろう。この滝には二つの名前があるのだろうか?
松葉神社の由来を書いたブログには 「松葉の滝は雌雄二つの滝があり、優美な雌滝と迫力ある水の音とともに、勇壮に流れ落ちる
雄滝が楽しめる。」 と紹介されていた。
それなら混乱を招く不動の滝の呼称は止めて、松葉の滝1本にした方が分かりやすいと思うが。
オット! 肝心な滝の氷結状態の話を忘れていた。マー説明が後になる位だから氷結は多寡が知れていると分かりますよね。
それでも水の流れている右側の、多分雄滝の方は凍っていました。しかし水が少ないのか氷結部分は少なく、大袈裟に書く事が多い
私でも、とても “氷瀑” だったとは書けません。それでもツララは垂れ下がっていました。
単純になりそうなコースに、この滝の存在はいつの季節でも有難いですね。
歩行時間:5時間00分 休憩時間:1時間15分 延時間:6時間15分
出発時刻:8時05分 到着時刻:14時20分
歩 数: 22、493歩(推定距離15.97km) GPS距離km
行程表
倉真温泉バス停(駐車場)0:10> 百観音 0:40> 県道滝入口 0:20> 松葉(不動)の滝 0:10> 山道入口(滝の上) 0:45>
粟ヶ岳 0:30> 山道入口(滝の上) 0:20> 千国林道合流 0:30> 東山林道合流 0:20> 粟ヶ岳 0:40> 榎辻 0:30> 宝殿神社
0:05> 倉真温泉バス停(駐車場)
粟ヶ岳周回ルート概略図
今年2回目の “数年に一度の寒波” が来襲するとの予報で、八高山の大垂滝に氷瀑(?)を見に行く予定を立てていたのですが
松理さんのブログに “粟ヶ岳の倉真側に新しい周回ルートができた” と紹介していた。
粟ヶ岳には以前から仲間ウォークで行きたいと思っているが、コースの設定で悩んでいた。一般的には粟ヶ岳の東山からのピストンが多い
が私にはどうも気が進まない。では東山から南の掛川に抜けるコースとなると、脚力の落ちた仲間には掛川駅まで歩くのは無理だろう。
バスを使っても良いが、そうなると近場の割に交通費が高くなり全員年金生活者の仲間にはきつい出費になってしまう。
そんな時の周回ルートの情報。それに倉真には松葉の滝もあるので若しかして氷瀑も・・・・・・・これは確認しないと。
駐車場料金ポスト 倉真温泉バス停(駐車場)
倉真温泉バス停前の駐車場の気温は-5℃だが、この温度では静止している水なら氷るが、流れ落ちている水は凍るだろうか?
多分凍らないとは思うが、周りの飛沫はツララにはなるだろう。
兎も角、案内板で松葉の滝の場所を確認すると、ありました! ありました! 粟ヶ岳西側直下に名所マークと共に書いてある。
当然横にはハイキングコスーもあり “松葉の滝入口まで45分” とも書いてある。
これで今日のコースは決定。松葉の滝から粟ヶ岳に上り、帰りは榎平から倉真に戻る事にする。多分1時ごろには戻れるでしょう。
百観音 犬を連れた観音さん?
百観音850mの案内が出ていたのでそれに惹かれて脇道に入る。手入れの良い擬木の階段の道が続いていて、上からは新東名の
排気音が聞こえてくる。更に登ると新東名らしき所を車が走っているのも見えた。
擬木の階段が終る所には舗装された車道もあったが何処から何処へ行く道なのかは分からない。
古い観音さんの石仏を期待して行ったのだが、全ての石仏は新しく座像と立像の違いはあるものの同じような像容だった。
一番メインの観音像の前には大きく 「南無阿弥陀仏」 の石碑もあるが、観音さんなら 「南観世音菩薩」 ではないのかな。
更に色の変わった観音像あり、近づいて見ると犬を連れた女性像だった。エッ! と驚いたが案内板には、
「この地に住む女性が、山の頂上で埋もれていた百体の観音様のお祭りを行い、その後、自ら百数十体の勧進奉安した。」 とある。
それなら山頂にあった観音像もここに祀ればと思うのは貧乏人の考えで、金持ちは全て自分が造りたいのだろう。
来た道を引き返し松葉の滝に向かって行くと、左に分岐する道に 「掛川PA」 と 「百観音」 の案内がある。
どうやら百観音の所にあった舗装路がここに続いていたのだ。 分かっていれば近道だったものを。
廃旅館 深い谷底
倉真温泉は山の中の民宿並みの温泉と思っていたが、どうやらそうではなさそうです。掛川PAへ行く分岐の所にあったのは
決して民宿ではなく立派な旅館でした。
更に県道を進むと今は何の看板もないが、次々と増改築したような建物もあったが、これも元は旅館だったのだろう。
松葉城址入口 松葉神社
松理さんのブログでも紹介されていた松葉城に到着。当然城内を見学する積りだったが 「通行止です」 とロープが張ってある。
仕方ない看板でも読むか 「松葉城(河合氏古城) 明応5年(1496)松葉城は勝間田城主と志戸呂城主に攻められ落城した。」 と
あり、後は城跡の状態説明だけ。一番知りたい河合氏の事や当時の状況については何も書かれていない。これでは面白くない。
落城時の様子を書いたものを見つけましたので紹介しますが真偽のほどは分かりません。
「松葉城城主河合氏が開基した寺の記録には、城主が城で酒宴を催しているとき、たまたま城に来ていた勝間田城主は酒宴を
チラと見ただけで帰ってしまった。
河合氏はその非礼を咎める使者を勝間田城に遣わすと、一旦は勝間田氏は謝ったものの内心は河合氏に恨みを抱いてしまった。
その後、勝間田氏は松葉城内の重臣を取り込み内応の約束をさせたうえ、金谷志戸呂城主の鶴見氏を誘って松葉城を攻めたてた。
勝間田、鶴見の両軍の猛攻と城内の内応によって松葉城は落城し、城主河合氏は自害し、妻子は淵から身を投げて自決して果てた。」
この話はこの話としておくが、問題は松葉城が落城した明応5年(1496)です。この年に松葉城を攻め落としたのが勝間田城主
となっているが、勝間田城はその20年前の文明8年(1476年)に、今川義忠との戦いで落城しています。
私が勘違いしているのか、それとも案内板等の年代表記か攻撃者の名前を間違っているのか分かりませんが??です。
松葉城登場は諦めて県道を行くと川の向こうに神社が見えています。どうやらこれがバス停にあった案内板の松葉神社のようだが
入口の橋は通り過ぎてしまったようです。と、諦めていたら大丈夫! 橋がありました。
神社の拝殿の中に感謝状2枚と 「神社等級認証書」 があり 「静岡県神社應神社等級規定により十三等級神社に決定した事を認証
します」 とあった。
今まで見てきた神社は村社とか郷社が多かったが、松葉神社は “十三等級神社” となっている。
ネットの受売りだが、明治以降続いた村社、郷社などの制度は 「旧社格」 と言い、明治時代に神社の等級制度を設けて現在は
15等級に分類されている。等級は事実上氏子の申請(上納金)により上げることができるそうです。
15等級の中の13等級では余り高い等級ではないが、上納金を納めてまで等級を上げる必要もないだろう。
松葉神社で私の知りたかったのは、松葉神社や松葉の滝の “松葉” の由来がだが、神社には案内板も無く何の説明もない。
“クラミ” とか “マツバ” の言葉に何となく優雅さを感じていたので、由来を知りたかったのだが残念。
後でネット松葉神社の由来を調べると
「創建は不詳だが、伝承としては大宝年間に愛知県津島市の津島神社より勧請したという。そのため大宝天王とも称した。
明治になり現社号に改称。松葉の名は当社から少し離れた所に松葉の滝があり、それが当社号の由来か。」
岩床の川底 クマンハチの巣?
川が県道の横を流れるようになると、岩床の川底が良く見えるようになった。
粟ヶ岳が岩山との認識はないが山頂にはゴツゴツした大岩があり “磐座” として祀られている。では粟ヶ岳は岩山かな? まさか。
松理さんも紹介していた、軒先にスズメバチの巣のある家があった。タイミング良く隣家のお婆さんが洗濯物を干していたので
「おはようございます。あそこに見えるのは何ですか?」 と話のきっかけに聞いてみた。
「アーあれはクマンバチの巣だけど、今は蜂はいなくて夏はアカショウビンが住んでいるよ。」
クマンバチ? まさか~ あれはスズメバチの巣でしょうと聞き返したかったが止めておいた。アカショウビンも? だったが
どうせ私が聞いても分からない、後で調べればいいやと聞かなかった。聞いたのは
「おっかない蜂なのに何故撤去しないんですか?」
「そりゃぁ取って貰うにゃ金が掛かるからだよ。業者に取って貰うと一個2万円もするからねぇ。」
「でも危なくないのですか」
「こっちが手を出さなけりゃぁ蜂も向かってこないさ。そうしてれば何時かは蜂はいなくなるよ。ほらあっちの家の軒先にも
見えるらぁ」 と指さした家の軒先にも大きなハチの巣が見えた。
後でクマンバチの巣を調べてみると 「熊蜂の巣は正六角形を隙間なく集めたハニカム構造の巣ではなく、 一円玉くらいの
木製の丸い穴です。巣は古い枯れ枝や、人家の軒下部分など雨が降り込みにくい向きに、木を丸く削り作ります。」
となるとこれはクマンバチの巣ではない。ではお婆さんは・・・・・
イエイエそんな失礼な事を思ってはいけません。痴呆イエもとい 「地方によってはスズメバチのことをクマンバチと呼ぶ」 のだ
とウイキペディアには書いてあります。アカショウビンも調べてみました。
「 体長は約27cm。翼開長は約40cmでヒヨドリと同じくらいの大きさで、名前の赤翡翠は燃えるような赤い嘴と体全体が赤色を
していることによる。 夏に日本に渡ってくる渡り鳥」 だそうです。更にこんな事も書いてあった。
「巣穴は崖や、キツツキの古巣を使って営巣する。スズメバチの古巣を使った営巣記録が報告されている。」のだそうです。
恐るべしお婆さん! クマンバチと聞いた時は疑ってしまい失礼をしました。
松葉の滝入口 松葉の滝駐車場
スズメバチの巣の話をした家の先で、登山道は県道と別れ農道に入る。 “松葉のカヤ(栢)の木” を見ながら農道を5分も行くと
「⇦松葉の滝駐車場」 の案内板のある広場に着いた。ここが駐車場か、それとも矢印の先に駐車場があるのか、一瞬迷って
しまったがよく見れば駐車場の文字の下には小さく 「松葉の滝まで04km」 とも書いてある。
こんな明解な所で一瞬でも迷うなんて何とも情けないが、迷ったのはここだけで後は標識が完備していて迷う事はありませんでした。。
滝が見えたが松葉の滝? 丸木橋
駐車場からすぐの所から滝が見えていたが樹木が邪魔をして良く見えない。滝の案内板も無いし駐車場からは1分位の場所なの
だから松葉の滝ではないだろうと先に進む。
道が左右に分岐していて、右が粟ヶ岳で左が不動の滝となっている。どうやら滝見台まで行ったらここに戻り粟ヶ岳に向かうようだ。
こんな丸木橋を渡るのだが、下に溜まっている水は凍っていない。ウーンこりゃ氷瀑は無理だ。ツララも無理かも。
松葉の滝(不動の滝) 少し氷結した松葉の滝(不動の滝)
どうやらここが松葉の滝のようです。最初に松葉の滝の名前を聞いた時は、滝口は一つで途中に左右に分かれている滝と想像
したが、それは間違いでした。
今は渇水期なので右端の滝しか水は流れていないが、梅雨時などの水量の多い時は左側にも水が流れ、更に多い時は正面にも滝が
できそうな感じもします。しかし松葉とはとても思えそうにない。
この時はこの程度の感想だったが、帰りにバス停の案内板にある100円のパンフレットを買うと、そこにはこの辺りを指して
「松葉三滝ルート」 と書いてあり、入口から順に 「夫婦滝、女滝、松葉の滝(不動の滝)」 と案内している。
駐車場を出てすぐの樹間に見えた滝が夫婦滝だろうが女滝は気が付かなかった。そして三番目のこの滝は不動の滝でしょう。
不動の名は沢辺の小さな祠にお不動さんが祀られているからのようです。
でも “松葉の滝(不動の滝)” と書いてある意味は何だろう。この滝には二つの名前があるのだろうか?
松葉神社の由来を書いたブログには 「松葉の滝は雌雄二つの滝があり、優美な雌滝と迫力ある水の音とともに、勇壮に流れ落ちる
雄滝が楽しめる。」 と紹介されていた。
それなら混乱を招く不動の滝の呼称は止めて、松葉の滝1本にした方が分かりやすいと思うが。
オット! 肝心な滝の氷結状態の話を忘れていた。マー説明が後になる位だから氷結は多寡が知れていると分かりますよね。
それでも水の流れている右側の、多分雄滝の方は凍っていました。しかし水が少ないのか氷結部分は少なく、大袈裟に書く事が多い
私でも、とても “氷瀑” だったとは書けません。それでもツララは垂れ下がっていました。
単純になりそうなコースに、この滝の存在はいつの季節でも有難いですね。
時間ができたらなんとしても出かけようと思います!
私にはアカショウビンの価値は分かりませんが、この辺りにはサンコウチョウもいるらしいですよ。