はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

倉真から粟ヶ岳周回(粟ヶ岳)

2018-02-17 09:54:25 | 低山歩き
歩行記録                                                           H30-2-8(木)
歩行時間:5時間00分   休憩時間:1時間15分   延時間:6時間15分
出発時刻:8時05分     到着時刻:14時20分
歩  数: 22、493歩(推定距離15.97km)    GPS距離km
行程表
 倉真温泉バス停(駐車場)0:10> 百観音 0:40> 県道滝入口 0:20> 松葉(不動)の滝 0:10> 山道入口(滝の上) 0:45>
 粟ヶ岳 0:30> 山道入口(滝の上) 0:20> 千国林道合流 0:30> 東山林道合流 0:20> 粟ヶ岳 0:40> 榎辻 0:30> 宝殿神社
 0:05> 倉真温泉バス停(駐車場) 

     
           対岸の道                    近道だった                天井覗き

  滝からは分岐まで戻り農道を行かなければならないが、滝の手前に気になる標識が立っていた。余りに滝に近い場所で
ワザワザ標識を建てなくても良さそうな場所だ。
若しかして・・・・・・ と、覗き込んでみるとピンポン! 大当たりでした。対岸には登り道がありロープまで張ってある。
この道は多分先程分岐した農道の先へ直登できるのだろう。道もしっかりしているしロープも張ってあるのだから悩む事は無いと
都合よく解釈をします。
急坂だったが上りならどーと云う事はなく5分ほどで農道に合流。そこには 「近道 不動滝へは右に降りる」 と標識が立っていた。
この程度なら仲間でも十分歩けるので、この道を仲間ウォークでは採用します。

  何々 「不動滝の天井覗き 近づきすぎないでください」 だってぇー!
高度恐怖症のくせに怖いもの見たさで、こんな事が書いてあれば見逃す事ができない。
しかし写した写真には滝は写っていなかった。何しろ身を乗り出すなんてことは私にはできない相談ですから。

 
                 登山道入口                               アルミの橋

  農道とも言えないような道はまだ着いているが、ここが粟ヶ岳の直登ルートの入口です。
林の中に入った道は手頃な傾斜で歩きやすく、途中のアルミの橋に 「加重50kg」 とあったが、この橋は地元の人が
トレッキングコースをが造るために架けてくれたのだろうか。有難い事です。
黒い樹脂の階段や送電線の案内標もあり、元々は中電の巡視路をトレッキングコースに採用したのでしょう。

       
      木の根の道                                    岩もある

  尾根に出ると傾斜が増してきたが、私の好きな木の根の道や全然怖くない岩を乗り越えたりの変化のある道で楽しかった。
しかし仲間ウォークにはどうかな? 滑りそうで下りには向かないが、上りなら一歩一歩踏みしめて登れば何とかなりさそうだ。
と、この時点では合格。

            
              階段の材料                           階 段

  階段の部材が置いてあったので黒い杭を手に取ってみると、先端は尖っているがこれを固い地中に打ち込むのは大変そうだ。
この杭が下まで打ち込めず飛び出していたのを見た事があるが、足を引っかけそうで危なそうだった。
しかしそれでも階段が有った方がありがたく助かります。中電さんありがとうございます。

  今日初めて会う人が下ってきた。挨拶のあとで滝の氷の状態を聞かれたので 「余りだった」 と答えておいた。
その方は粟ヶ岳には良く来るそうで
 「この道は昔は倉真から粟ヶ岳に参拝する道だったが、林道が通じると歩く人が居なくなり廃道になっちゃた。それが
今度ハイキングコースを造ることになって地元の人が改修した。」
のだそうです。


       
          山頂の遊歩道                粟ヶ岳最高点                   残 雪

   階段の中々きつい上りがやっと終わり上の方が明るくなってくれば山頂は近い。道が平坦になったと思ったら山頂の遊歩道に
遭遇した。農道分岐からここまで約40分。平均年齢74歳の仲間は、果たしてここを登りきれるだろうか。
以前大崩山塊の北のピークから高草山までで足を攣って歩けなくなった仲間もいたが、あそこに比べればはるかにここの方が大変だ。

  どうするかは後回しにして一先ず粟ヶ岳の最高点に続く道を行く。この道を直進すると神社の後ろを通りNHK送信所の横に出る。
神社は後で参拝すとしてそのまま道を進んでいくと、途中の藪の中には先日降った雪の残骸があった。

 
               伊豆半島は見えるのだが                       富士山は見えているが

  休憩所の前に出ると以前は休業していた茶店が開いていていた。店の前には 「東山いっぷく処」 とあるのを見ると麓の店が
譲り受けて再開してくれたのだろう。今日は平日なのに店内には客が数人いた。
景色は東の高草連山や駿河湾方面は霞んでいたが富士山方面はバッチリ見えた。
エッ! 富士山が分からない ですって?


                              干支の戌と富士山

  どうですかこれならバッチリ見えるでしょう。
休憩をしながら今登ってきた道が、果たして仲間ウォークで歩く事ができるか考えると自信が無くなってくる。
上りが駄目なら下りはと思うが、あの坂を下るのはもっと危なさそうだ。しかし一度は粟ヶ岳に皆と一緒に来てみたい。
そんな時、以前農道を登ってきた女性が 「松葉の滝から来た。」 と言ったのを思い出した。
それならあの急坂を歩かななくても山頂に来る道があるのだ。ヨシ! その道を確認しよう。

          
             引き返した急坂                      こりゃ農道ではないな

  急坂を下るのは気が進まないが同じ道を登るよりいい。それに仲間と歩く道を確認するなら滝の上から確認しなければと
登ってきた道を今度は下る私です。我ながら 好きだなぁー! と思います。
途中でさっき会った人が下から登ってきたので、。お互いビックリして行先を尋ねあうと、山頂から滝までのピストンだそうです。
私が農道の道を探しに行くと言うと、 「歩いた事はないが、あそこは全部舗装道路ですよ。」 と言う。
ピストンが好きでない私と、舗装道路が嫌いそうな人とは、お互い “よく歩くよなぁ” って感想を持ったようだ。

  滝の上の農道合流点を写すのは忘れてしまったが、山頂からの下りは見た目より容易に下る事はできた。しかし初心者や
団体歩行には向かないと思う。まして山に不慣れな年寄りグループは避けた方が無難だ。

  合流した農道は、いや昔は農道だったかもしれないが、今は自然に帰りつつある状態で、この先の道が心配になる。

 
                農道に合流だ                              凍った池

  山道同然の農道の先に放置茶畑と舗装された道が見える。松葉の滝の駐車場からここまで茶畑等の農地は無かったので折角
道を造っても走る車も無いのだろう。それなのに道を造るなんて。なんて思うのは、天に唾する事ですネ。

  合流地点に溜池があり、その水が凍っていたのでストック先の金属部分で突っつくがビリッともしない。
池の縁は斜めになっていて滑りそうで足は延ばせない。それではと沢の中から大きい石を拾ってきて思い切り投げ込んだ。
バシッ! スー! と重い石でも氷にひびを作る事もできずスーと滑ってしまった。
白い部分が石の着地した所で、左の石は私と同じような事を考えた人が以前に投げ込んだ石のようです。

 
                  千石林道合流                           山頂が見える

  太い道に合流したがこの道は東山からの道ではなさそうです。道脇の標識には今来た道をして松葉の滝、車道が下る方には
倉真温泉6.5kmとある。なら粟ヶ岳は標識の無い上り方向でしょう。
車道を登りだすと右手に粟ヶ岳の山頂が見えてきたので安心して進む事ができた。

 
                  東山からの道に合流                     視界が開けた

  前方の木が無くなり明るくなると、そこが東山からの道との合流点で視界が開け景色も見えていた。、
道脇の標識には 「粟ヶ岳山頂1km」となっていた。山頂まではもうすぐだ。

 
                 茶文字の説明                        茶文字の先端

  東山からの合流点までは上り坂だったものの、傾斜は緩く歩き易かった。ところが合流してからの道は、傾斜も強く太陽を
もろに受けての上りは汗が滲んできてしまった。数年の一度の寒波が襲来している筈なのに何という事だ。

道の法面に茶文字の説明があった。
 「昭和7年、銘茶の宣伝と観光効果を目的として松を植えました。遠方よりの眺めやすい様に構想を練り、縄に新聞紙を
つけて遠くから眺め形を造ったといいます。トランシーバーや携帯電話のある時代と違い当時の苦労は、並大抵ではなかったと
思います。しかし松くい虫には勝てず、昭和60年に約1.000本の桧に植え替えられました。」

成程木を植える予定地に縄を張り、それに新聞紙を付けて遠くから見えるようにしたのか。
では縄の位置が正しいか否かの連絡はどうしたのだろうか? 
アッそうか。縄の位置を監視している人は手旗信号で植林している人に指示をしたに違いない。一先ずそうしておこう。
ここは視界が効く範囲内なので、苦労はしたものの何とかなるだろう。だがペルーのナスカの地上絵は飛行機からでないと
その絵の全体像は確認できなという。ここより比較にならない昔の事なのに、どのようにして描いたのでしょう? 

 
                  やっと一周                            阿波々神社

  フ~! やっと一周できた。
滝の上の山道入口から山頂までが約45分で、分岐から農道経由粟ヶ岳が1時間20分。農道経由は楽だが時間が掛かり過ぎだ。
距離も1.5kmと3.9kmで倍以上になっていた。
さて仲間ウォ-クではどちらの道を歩こう。短距離短時間の厳しい上り坂か、長距離長時間の農道経由か。
今の段階では結論は出せないが、一先ず両方の道が分かったので後は仲間ウォークをやるとき悩めばいい。 

  粟ヶ岳山頂にある 「阿波々神社」 の祭神は 「阿波比賣命」 とか。どちらも聞いたことも無く読み方も分かりません。
それでも阿波々神社は “あわわ神社” と分かったのですが、阿波比賣命は分かりません。しかもその存在も不明でした。
分からない事は置いといて先に進みます。

   
                                無限の井戸

  神社の横に遠州七不思議の 「無限の井戸」 があります。
 『粟ヶ岳山頂の無間山観音寺に 「あの鐘を撞くと大金持ちになれるが、死んだあとは地獄に落ちる」 という鐘がありました。
それを聞いた欲の深い人は 「今が良ければそれでいい」 とばかりに険しい道を登り途中で足を滑らせ谷底に落ちる者が続出した。
鐘の音も一日中鳴り響き困った和尚は 「そんな考えで鐘を突きに来るのなら、無い方がいい」 と、栗ヶ岳の頂上にある古い井戸の
中に投げ入れ埋めてしまいました。それ以来、無間山観音寺の無間の字をとって 「無限地獄に落ちる」 意味の 「無間の井戸」 と
言われるようになったそうです。」

  現世利益と死後の無間地獄を比べれば、ウーン! どうしよう。私は鐘を撞く欲の深い人間かな?
それにしてもこの井戸は人工的に掘ったものように見るが、何時の時代に掘ったのか、水は出たのか気になります。

 
                 磐座1                                  磐座2

  神社と井戸を見たら次は磐座に向かって下ります。
磐座の岩の隙間に 「地獄穴」 があり、この穴は欲望のままに無間の鐘を突いた者が地獄に落ちたといわれる穴で、この奥は知る
人ぞ無しとされています。
後世の人工的な無限の井戸より、この岩の裂け目に鐘を落とした方が自然で良さそうですが、我が身がこの穴に落ちるとなると・・・・
よく考えてみたら現代の “現世利益” の代表格であろう宝籤。私はその宝籤は買いません。と、云う事は私には縁の無い穴ですね。

  
                廃神社の階段(上から)                        廃神社の階段(下から)

  現在山頂にある神社は昭和62年(1987)に遷座しているが、以前の神社は磐座の下に木枠になって辛うじて残っている。
昔の粟ヶ岳には先ず鳥居があり、神社の本殿がありその上に磐座があったが、今では磐座の上に神社がある。
ここに来て神社跡を見るたびに、阿波々神社を遷座した人は磐座の意味を知っていたのか疑問に感じてしまう。
磐座とは古代、神が天上から降下したり昇天した場所であり、神の依り代として神聖な場所でした。
その場所を祀るなら人は下から仰ぎ見る物であり見下ろす物ではありません。それが今の阿波々神社は磐座の上にあり磐座を
見下ろしているのですから気が知れません。昔磐座の下に神社を建てた人が、今の阿波々神社を見たらきっと嘆くだろうな。
尤もこれは私の勝手な思い込みで実際の説ではありませんが。

 
                廃寺(現在)                             廃寺(2010年)
 
  無限の井戸のあった無間山観音寺の跡です。今では何時倒壊しても、いや倒壊してないのが不思議なくらいの状態です。
8年前に遠江33観音霊場巡りで参拝した時は、まだ入口には格子戸も残っていたのですが今は後ろの景色も透けて見えています。
阿波々神社も観音寺も元の建物は同じように廃墟を曝しているが、何か意味があるんでしょうか?
お参りに来て何も無いより、こんな状態であった方がいいとも思うが、何とも侘しいですねぇ。
観音寺は遠江33観音霊場23番札所でしたが、現在は日坂の常現寺でご本尊の十一面千手観音を祀りし、ご朱印も頂けます。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (松理)
2018-02-17 17:15:19
 13日の書き込みに気づかずにいました。早くも来られたのですか。感じはちょっと違いますが.「思い立ったが吉日」「善は急げ」を地で行く行動です。

 登頂後に同じ道を下り,もう一度遠回りで登頂ですか。いやはや。

>この橋は地元の人が トレッキングコースをが造るために架けてくれたのだろうか。
 アルミ製の橋は,おそらく送電線巡視路用に架けられたものです。
返信する
松理さん (はぐれ)
2018-02-19 10:16:12
ハハハハまさにその通りです。
奥沼アもそうでしたが私は 「見たもの乞食」 で、身近で自分でも歩けそうなコースを知ると行きたくなってしまうのです。
しかも今回は数年に一度の寒波で氷瀑を確認したくもあったので早速歩いてきました。

アルミの橋は中電の巡視路用だったのですか。
今まで巡視路では黒い階段しか思い浮かびませんでした。
返信する

コメントを投稿