はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

烏帽子形山から白藤の滝 2

2017-05-01 08:37:32 | 低山歩き
          花倉城跡から白藤の滝へ 
歩行記録                             H29-4-24(火)
歩行時間:4時間00分   休憩時間:2時間10分   延時間:6時間10分
出発時刻:7時55分     到着時刻:14時05分
歩  数:19、077歩(推定距離13.54km)    GPS距離12.5km
行程表
 中山上バス停 1:00> 農道終点 0:20> 烏帽子形山 0:10> 助宗・花倉分岐 0:15> 県道・花倉分岐 0:10> 花倉城跡
 0:45> 県道合流 0:15> 安楽寺入口 0:15> 安楽寺 0:15> 葉梨神社 0:15> 白藤の里 0:20> 三ツ石バス停
                                                             ※道迷い含む
                              花倉城跡から白藤の滝ルート概略図


 
               花倉城址裏入口                                二の丸跡
 花倉の乱
  「今川中興の祖である9代目当主氏親(うじちか)の死去で、14歳の嫡男氏輝が家督を継ぐが病弱だったため24歳で死去している。
嫡子の無い氏輝の後継的立場にあった次弟も同じ日に死んでいるため(暗殺説もあり)相続問題が発生した。
名乗りを上げたのが弟の義元と、妾腹の子だが義元より年上の花倉遍照光寺の住職・玄広恵探(げんこう えたん)だった。
惠探の母は高天神城主福島氏の娘だった事から福島氏が強引に惠探を推すも決着がつかず、徐々に惠探側の形成が不利になって
くると惠探側は駿府の今川館に奇襲をかける。襲撃が失敗すると惠探は花倉城に籠り抵抗する。
しかし味方だった焼津の方ノ上城が落城すると花倉城も支えきれず、惠探は山を越えて瀬戸谷の普門寺で自刃。
ここで義元は自身の家督相続を宣言しる。」


この程度の知識を持って花倉城を散策すると感慨は一層増すでしょう。
更に惠探が山越えして普門寺まで逃げた道は、今歩いて来た道ではないかと思うと惠探に親しみも湧いてくる。

 城跡内は城音痴の私の興味を引く物は特に無かった。

          
             株立ち(?)の木                            無残な切り跡

  何とも無残は姿を曝した木があった。チェーンソーで切れ目を入れて倒そうとしたが何故か途中で止めている。
眺めを邪魔する木の伐採には賛成する私だが、これはいただけない。これだけ切れ目を入れて大風の時大丈夫だろうか。

 
                  土 橋                                  花倉城跡入口

  城の土橋とは普段は通路と使われているが、いざ戦闘となった時は土橋を壊して敵の潜入を防ぐ構造物と思っていた。
しかしウィキペディアによれば 「土橋は戦闘中に攻撃側にも防御側にも破壊できない。直接的な攻防があれば土橋は守る側の
不利に働くが、木橋では攻める側が橋を落として封鎖することも容易で、長短がある。」
となっていた。
それなら防御が主目的の詰城は、敵に有する土橋より城側に取り外す事の出来る木橋のほうが有利ではないか?

  花倉城跡の入口には花倉の乱の話や城の縄張り図の案内板が建っています。ここから農道が始まる。

  
                最初の分岐                                 2ヶ所目の分岐

 花倉城跡から麓の盤脚院の間は何度か歩いていたので当然下調べはしてなかった。先ず最初の分岐で標識をチラリと見ると
右側を案内してあったのでそのまま右折して農道を下った。
次に行く天王山は花倉城跡の正面にあり一旦麓の盤脚院まで下り、県道を天王山の登山口でもある葉梨神社入口まで行く。
城跡から神社の入口までは下りで、そこから山頂までは上りが続く単調な道だった。
それが何だ? 正面に低い稜線が出てきて天王山を隠し始めている。しまった、また道を間違えてしまった。
それでも念のため次の分岐の標識で間違いを確認してから最初の分岐まで戻った。

 
                盤脚院への分岐                               天王山

  最初の分岐まで戻り逆の道を下りだすと、すぐ次の分岐に出た。直進する道は細く右に曲る道は広く交通量も多そうに見える。
標識も無いので右に曲がったが何か変な気がした。しかし正面には天王山が見えているので大丈夫だろう。
なんて思いながら下っていたが矢張りおかしい。見るもの全てに記憶が無いので、多分また道を間違えたようだがもういいや。
この道が麓まで続いていさえすればなんとでもなる。かえって道を覚えるいい機会だ。

  それはそれでいいが腑に落ちないのは、この道は仲間ウォークでも下っていて、その時は何の迷いもなく盤脚院に出る事ができた。
なのに今回2度も間違えたのは何故だろう? 加齢減少で記憶力の低下や判断能力の喪失を起こしているのだろうか。嫌だな。

 
                 県道合流                               安楽寺・葉梨神社入口
     
  矢張り下った先は初めての場所で石仏隧道に抜ける県道だった。結果的に葉梨神社の入口に近い所に下ったので、県道を歩く
距離が短くなったのだが、単純に喜ぶわけにはいかなかった。

          
                       白藤の滝分岐                              安楽寺参道

  白藤の滝にはここから農道を行けば近いが、今日の主目的のクマガイソウは正面の道を行く安楽寺・葉梨神社方面にある。
急な階段の安楽寺参道は手摺が無く一瞬車道を行こうかと思ったのも、最近気弱になった所為か。

          
               不動明王                                安楽寺   

  不動明王が何となく威厳を感じないのは全身が明るい緑色からなのか。普通不動尊は青黒いか赤黒いような気がする。
顔が不自然に歪んで見えるのは、左右の牙がそれぞれ上と下に向けられているので、口唇部分が膨らんで見えるからだろう。
尤も実物ではそう感じたが小さな写真ではそこまで感じないかもしれない。

  天台宗 妙台山 自性院 安楽寺
 『行基が東国行脚の折に葉梨の里の山中にある大きな滝(白藤の滝)に訪れ、滝の音を聴き 「滝の響きはまことに妙音である。」 と
と言い、また背後の山容が妙法心蓮台に似ているとし、滝の傍に庵を設け妙台山自性院と称して寺を開創した。
  その後360年程過ぎたころ傷んでいた堂字を天台宗総本山比叡山延暦寺の座主が再建し、天台宗安楽寺と改名した。
一時は12院もの塔頭諸堂を持つ大伽藍を有し、荘園を持ち寺運は興隆していた。今でも安楽寺周辺には小字名として般若坊、定智坊、
中之坊、常楽坊、伝転坊、念仏坊、山寺、薬師平の名が残っており、往事の規模の大きさが偲ばれる。
戦国時代に入り、武田信玄が駿河に攻め寄せた時に兵火に遭い、大伽藍も灰燼に帰してしまった。』 
HPより抜粋

 
                ドウダンツツジ                                  花倉城跡

  安楽寺から更に葉梨神社に向けて階段状の道を登り、神社の境内に着く手前にドウダンツツジが植えられていた。すでに花は
わずかしか付いていず花期は終っていた。
標高23mの我家のドウダンはまだ花をつけているのに、標高174mの葉梨神社のドウダンの花は終っている。
品種が違うの? それと日当たりが良いからなのだろうか?

 境内からは今下ってきた花倉城址が見えていた。

          
                         グラジオラス?                             ポピー?

  境内の草地に咲いていた花は、グラジオラスにしては花も丈も小さいが、いずれにしても色がカラフルすぎるので園芸種だろう。
一方ポピーに似た花も咲いていたが、以前竜爪見たフシグロセンノウ(節黒仙翁)似も似ている。だが花の咲く時期が違う。

 
                シャガ(射干)の群落                               シャガ(射干)

  シャガの群落は目にすることが多いが、ここのような大群落は初めて見た。林の中の斜面一面にシャガで溢れていた。
シャガの花は良く見れば中々綺麗な花だが、その名前が抹香臭い事や、寺や日影に咲いているので敬遠されて人気が低い。
更に余りに彼方此方に咲いているため価値を感じなくなってしまったようだ。
これで栽培が難しく希少価値があれば人気が出て今回のクマガイソウのようにわざわざ見に来るようになるかもしれないな。
そーそーシャガはアヤメ科の花だそうで、云われてみれば確かにアヤメの花に似ている。
それなら名前を “日陰アヤメ” いや “木陰アヤメ” 何てほうが自然だろう。

 
                群落地の案内板                                 クマガイソウ(熊谷草)

  さてさてお待たせしました。期待のクマガイソウはと云うと・・・・・・
何しろ咲いている場所が分からないので一先ず群生地の案内板の所に行ってみた。
すると見てください案内板の周りには何株ものクマガイソウの葉が見えている。しかもその葉の上には丸い物も見えていた。

 
                 クマガイソウ(熊谷草)                             クマガイソウ(熊谷草)

 ピンポン! あたりです周辺には10株ほどのクマガイソウが咲いていた。
クマガイソウの名の由来はウィキペディアによれば

 「膨らんだ花の形の唇弁を、昔の武士が背中に背負った母衣(ほろ)に見立て、がっしりした方を熊谷直実(くまがい なおざね)に、
優しげな姿の方を平敦盛(たいらの あつもり)にあてたものである。
 花色がそれぞれ白、赤っぽい ため源氏の白旗、平氏の赤旗に見立てたための命名ともいわれる。」

成程でも何故花の名前が姓と名に分かれるのだろう? 敦盛草なら直実草。あるいは熊谷草なら平草のが自然と思うのだが。
これについて面白い小話があったので紹介します。

 『クマガイソウがアツモリソウに 「苗字の平草にしたらどうか」 と言うと、アツモリソウは動揺することなく、
平家(平気)な顔をして黙っていた。
そこで今度はアツモリソウがクマイガイソウに対し、名前のナオザネソウにしたらどうかと言うと、クマガイソウは動揺することなく
こう怒鳴ったそうだ。 『名前は直さねー(直実)』」


        
                    母衣(ほろ)                                 母衣(ほろ)

 母衣(ほろ)とは言葉では知っていたが実際見た事が無いので調べてみたら 
 「鎧の背に付けて透析や矢を防いだ、布製の袋のようなもの。」と簡単明瞭に表現してあった。
あんな物を背負って斬りあいをしたら、かえって邪魔になりそうだが、後ろからの飛び道具には効果はありそうだ。
更に母衣の名前の由来にはこんな話も紹介してあった。
 『新井白石はその形状と用途から妊婦の 「胞衣」 になぞらえ、民俗学者南方熊楠は中国古典より 「羽衣」 の字を写し間違えた」
としていたが、私には新井白石の方が正しそうに感じる。

 初めて見たクマガイソウに満足をしたが、さてこれからどうしよう。ここから天王山には急な坂を800mも登らなければならない。
しかも頂上に行っても景色も見えなないし見るものも無い。
それに2週間後は仲間ウォークで天王山から一宇戸峠を歩く予定になっている。
ウーン! どうしよう? と一応考える振りをしたが、既に気分は終盤モード。そうなればもう下るしかなかった。

                      
                   白藤の滝                                観音滝

 下りの農道を寄り道も脇見もせずに白藤の滝に向かう。滝の入口は藤棚があったが藤の蕾はまだ膨らみ始めたばかりだった。
これなら仲間ウォークの時は藤の花は似る事ができるかもしれない。クマガイソウは無理そうだが。

 どうと云う事は無い滝だが、一つの場所から二つの滝を見る事ができる珍しい滝だと思う。これでもう少し水量が多ければ見応えが
あるのだが惜しい気がする。

 
               八重のヤマブキ                                行者の滝

 先月清水山で話をした人はここのの北方の人だったので、白藤の滝周辺には白藤を植えてあるのか聞いたら
 「藤を植えてあるとは聞いた事は無いが、今は活性化センターでアーモンドを植えてアーモンドの花見を宣伝しているが、
植えっぱなしで手をかけていないから沢山は咲かないようだ。」

なんて話をしていたが、沢の対岸には植えられた太い藤の幹が見えていた。ただ手入れは悪そうで立ち枯れしている木もある。
さらに駐車場には藤棚も設けられていたが、何となく生育が悪く見えるのは農家の人の言葉が影響しているのかもしれない。

 バス停があったので時刻表を見ると2時15分発がある。今の時間は2時5分。なら10分も待てばバスがある。
1時間に1本も無いバスがすぐ来るなら乗らない手は無い。
クマガイソウを見て満足してしまった気分はもう盛り上がらず歩く気は無くなっていた。
今まで2時台でバスに乗った事は無いし、しかもまだ14kmしか歩いていないのに・・・・・・・・・・・・

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2 コメント

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Unknown (松理)
2017-05-01 18:40:29
>しかもまだ14kmしか歩いていないのに
 私とは,全く別の世界です。私なんぞ10kmを越えれば
充分です。
返信する
松理さん (はぐれ)
2017-05-03 09:13:45
何しろ性分がケチなので、せっかく交通費を掛けてきたのに少しでは勿体ないと感じてしまうのですよね。
それと松理さんの地元の 「より早く、より長く」 をモットーにした歩こう会に鍛えてもらったお陰です。
尤も今は 「より早く」 は縁が無くなりましたが。
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