歩行記録 H27-8-12(水)
歩行時間:5時間40分 休憩時間:2時間00分 延時間:7時間40分
出発時刻:8時30分 到着時刻:16時10分
歩 数: 36、270歩(推定距離27.2km) GPS距離24.4km
行程表
武豊駅 0:15> 24番 0:35> 25番 0:40> 開山 0:30> 番外 0:20> 26番 0:50> 27番 ・ 開山 0:55> 28番 0:45>
29番 0:45> 34番・31番・32番・30番 0:05> 大井BS
番外 影現寺(時志観音)
国道より武豊町方面 国道より南知多町方面
開山葦航寺から国道247号に出て国道を南下した海沿いの高台に番外影現寺(ようげんじ)はある。
途中にあった小さな名鉄河和駅を過ぎると国道は海岸沿いの道になり、この遍路を始めて初めて海を見る事ができた。
後ろの北の方向には相変わらず武豊町の火力発電所の櫓らしき物が見えている。前方の南方向にはホテルだろうか1棟だけ
ポツンと高い建物が見えた。
途中の海岸では春には潮干狩りが出来るらしく、潮干狩り会場の文字も見える。その中に 「今年の潮干狩りは中止します」 の
看板があった。潮干狩りの中止と云えば浜名湖でもアサリの不漁で中止が続いていたが、今年から時期を縮めて再開したという。
不漁はアサリの採り過ぎだと思ったが、ここでも潮干狩りが中止だったのをみると、人的影響より自然的影響の方が強そうだ。
鰻も不漁で段々高くなり私には手が出なくなってきたが、今にアサリの味噌汁も飲めなくなる時代が来るのかも。
影現寺の階段の参道 観音堂
国道の電柱の看板に影現寺の看板が何ヵ所もあったが、そのどれもが寺名より 「時志観音」 の文字の方のが大きかった。
到着した寺の入口にあった大きな石碑も寺名は無く時志観音の文字だけだった。
それにしてもヤダナー 温度計が42度を指している日中にあんな長い階段を登るなんて。
げんなりしながらも128段の階段を登る私でした。
階段の上にと立つと正面に本堂。いや薬師堂だそうです。その前には巨大な一対の金剛力士石像。中央の焼香台には葵の
御紋が見えていた。
観音堂から海を眺める
薬師堂から後ろを振り返ると三河湾の海が見えていた。風光明媚な知多四国霊場と紹介されていたが3回目の遍路でようやく
その片鱗を眺める事ができた。これからもこんな風景に期待したい。
焼香台の正面には葵の御紋が描かれていた。
「初代尾張藩主・徳川義直が領内を巡察中、この観音堂に安産祈願したところ、無事男子が誕生しました。それ以来、寺紋に
三つ葉葵が許されています。」 との事です。
観音堂 観音像
本堂と見間違うような立派な観音堂です。ここには時志観音である十一面観音が祀られているそうです。
この時志観音の謂れは寺のパンフレットによれば
『むかし、十一面観音が三河湾に浮かぶ佐久島の漁夫の網にかかり島内に安置されていた。疫病流行のとき、島守りの夢枕に
観音菩薩が現れ 「ここでは救う人が少なく、自分の願いに背いてしまう。願わくば対岸に写してくれ」とお告げがあり、観音像より
光明が射した対岸の戸岸(時志)村に草庵を建て遷座した事による。』
佐久島では疫病退散がご利益だった観音さんが安産のご利益になったのは、尾張藩主が安産祈願をしてからの事だそうです。
観音堂の横に建つ巨大な観音像は
「高さ6m、重さ25t。御影石の 『聖観音』 で、一枚岩で造られたものとしては日本一」 だそうです。
チョット待った。私の地元の藤枝にある、藤枝霊園の観音像の方がもっと大きいと思い調べてみたら、藤枝霊園の観音様は
“青銅製で高さ17m” との事でした。
その聖観音(しょうかんのん)を見ていて少々違和感を感じた。普通なら聖観音の頭上は宝髺(ほうけい)と呼ばれる高く盛り
上がった髪なのに、ここのは聖観音は髪が無く、代わりに舟型の阿弥陀さんの石仏が乗っていた。
そんなの有かな? と思いウィキペディアを見てみると、こんな事が書いてあった。
「観音像の頭上、頭髪部の正面に化仏(けぶつ)と称する阿弥陀如来の小像を置く」 と書いてあった。
成程ここの聖観音は石仏のため細かい作業がしずらくて、小像が普通像になってしまったのだろう。マーそうしておこう。
弘法堂 石造物の集まり
影現寺の境内は約1万坪あるらしいが、前回お詣りした半田の常楽寺より狭い感じがした。なら全部を見て歩きたいが暑くて
暑くて気後れがして観音像に行くのさえ止めてしまった。とはいえ弘法堂と納経所は行かなければならない。
と、汗を拭き拭き訪ねるのでした。
帰りは石段を下るのは止め、自動車用の参道を下る事にした。長い階段で途中で転倒するかもしれないと思って。
開山医王寺から番外影現寺への道
歩行時間:5時間40分 休憩時間:2時間00分 延時間:7時間40分
出発時刻:8時30分 到着時刻:16時10分
歩 数: 36、270歩(推定距離27.2km) GPS距離24.4km
行程表
武豊駅 0:15> 24番 0:35> 25番 0:40> 開山 0:30> 番外 0:20> 26番 0:50> 27番 ・ 開山 0:55> 28番 0:45>
29番 0:45> 34番・31番・32番・30番 0:05> 大井BS
番外 影現寺(時志観音)
国道より武豊町方面 国道より南知多町方面
開山葦航寺から国道247号に出て国道を南下した海沿いの高台に番外影現寺(ようげんじ)はある。
途中にあった小さな名鉄河和駅を過ぎると国道は海岸沿いの道になり、この遍路を始めて初めて海を見る事ができた。
後ろの北の方向には相変わらず武豊町の火力発電所の櫓らしき物が見えている。前方の南方向にはホテルだろうか1棟だけ
ポツンと高い建物が見えた。
途中の海岸では春には潮干狩りが出来るらしく、潮干狩り会場の文字も見える。その中に 「今年の潮干狩りは中止します」 の
看板があった。潮干狩りの中止と云えば浜名湖でもアサリの不漁で中止が続いていたが、今年から時期を縮めて再開したという。
不漁はアサリの採り過ぎだと思ったが、ここでも潮干狩りが中止だったのをみると、人的影響より自然的影響の方が強そうだ。
鰻も不漁で段々高くなり私には手が出なくなってきたが、今にアサリの味噌汁も飲めなくなる時代が来るのかも。
影現寺の階段の参道 観音堂
国道の電柱の看板に影現寺の看板が何ヵ所もあったが、そのどれもが寺名より 「時志観音」 の文字の方のが大きかった。
到着した寺の入口にあった大きな石碑も寺名は無く時志観音の文字だけだった。
それにしてもヤダナー 温度計が42度を指している日中にあんな長い階段を登るなんて。
げんなりしながらも128段の階段を登る私でした。
階段の上にと立つと正面に本堂。いや薬師堂だそうです。その前には巨大な一対の金剛力士石像。中央の焼香台には葵の
御紋が見えていた。
観音堂から海を眺める
薬師堂から後ろを振り返ると三河湾の海が見えていた。風光明媚な知多四国霊場と紹介されていたが3回目の遍路でようやく
その片鱗を眺める事ができた。これからもこんな風景に期待したい。
焼香台の正面には葵の御紋が描かれていた。
「初代尾張藩主・徳川義直が領内を巡察中、この観音堂に安産祈願したところ、無事男子が誕生しました。それ以来、寺紋に
三つ葉葵が許されています。」 との事です。
観音堂 観音像
本堂と見間違うような立派な観音堂です。ここには時志観音である十一面観音が祀られているそうです。
この時志観音の謂れは寺のパンフレットによれば
『むかし、十一面観音が三河湾に浮かぶ佐久島の漁夫の網にかかり島内に安置されていた。疫病流行のとき、島守りの夢枕に
観音菩薩が現れ 「ここでは救う人が少なく、自分の願いに背いてしまう。願わくば対岸に写してくれ」とお告げがあり、観音像より
光明が射した対岸の戸岸(時志)村に草庵を建て遷座した事による。』
佐久島では疫病退散がご利益だった観音さんが安産のご利益になったのは、尾張藩主が安産祈願をしてからの事だそうです。
観音堂の横に建つ巨大な観音像は
「高さ6m、重さ25t。御影石の 『聖観音』 で、一枚岩で造られたものとしては日本一」 だそうです。
チョット待った。私の地元の藤枝にある、藤枝霊園の観音像の方がもっと大きいと思い調べてみたら、藤枝霊園の観音様は
“青銅製で高さ17m” との事でした。
その聖観音(しょうかんのん)を見ていて少々違和感を感じた。普通なら聖観音の頭上は宝髺(ほうけい)と呼ばれる高く盛り
上がった髪なのに、ここのは聖観音は髪が無く、代わりに舟型の阿弥陀さんの石仏が乗っていた。
そんなの有かな? と思いウィキペディアを見てみると、こんな事が書いてあった。
「観音像の頭上、頭髪部の正面に化仏(けぶつ)と称する阿弥陀如来の小像を置く」 と書いてあった。
成程ここの聖観音は石仏のため細かい作業がしずらくて、小像が普通像になってしまったのだろう。マーそうしておこう。
弘法堂 石造物の集まり
影現寺の境内は約1万坪あるらしいが、前回お詣りした半田の常楽寺より狭い感じがした。なら全部を見て歩きたいが暑くて
暑くて気後れがして観音像に行くのさえ止めてしまった。とはいえ弘法堂と納経所は行かなければならない。
と、汗を拭き拭き訪ねるのでした。
帰りは石段を下るのは止め、自動車用の参道を下る事にした。長い階段で途中で転倒するかもしれないと思って。
開山医王寺から番外影現寺への道
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