歩行記録
歩行時間:8時間45分 休憩時間:3時間00分 延時間:11時間45分
出発時間:6時30分 到着時間:18時15分
歩 数: 53、832歩 GPS距離42.4km
行程表
高塚駅 1:00> 17番 0:15> 18番 0:15> 19番 0:30> 22番 0:35> 21番 0:30> 23番
0:20> 24番 0:15> 20番 0:30> 25番 0:55> 4番 1:05> 26番 0:30> 27番 1:30>
岩水寺駅 0:35> 西鹿島駅
4番宗安寺(三重塔)
25番まで打ったのに次の札所は4番に逆戻りだ。これは元の4番札所は札所順の磐田にあったが、その寺が
廃寺になってしまったので、浜松にある宗安寺に変更されていた。札所を変えるなら元の場所の近くにすれば
良いと思うが、こちらも順番通りに回っているのではないのでブツブツは言えない。
白華寺から東名高速を越した所に「有玉神社」の表示があったが無視して通り過ぎてしまった。実はこの
「有玉」と云うのは、例の赤蛇伝説の子供が母親の龍から貰った玉の事だと、後で知り残念な思いをした。
前方に三重塔が見えてきて実にいい眺めだ。浜松の郊外を歩いているのではなく、まるで奈良斑鳩の里を
歩いている風情がする(斑鳩を歩いた事などないのに)
この宗安寺の三重塔は古い建物ではなく平成11年建立された新しい三重塔だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/fb/6001b13e48ca6c72c022707c93b8eadf.jpg)
4番宗安寺の三重塔 宗安寺境内
宗安寺の地図
まず薬師堂をお詣りしてと中を覗きこむと、薬師如来ではなく延命地蔵菩薩が祀られていた。そこで気に
なったのは、地蔵の横の棚に置いてある白い達磨さん。少林寺にも白達磨が有ったが、この寺にも有るという
事は何か意味があるのだろう。とご朱印を貰うときに聞いてみた。
「達磨は赤いのばかりではなく、緑や白いのもありますよ。好き好きじゃありませんか」と大黒さんの返事だった。
そうか檀家から寄進を受けた達磨を飾っただけなのだ。つまらない。
宗安寺のご本尊は十一面観音菩薩で、三重塔には聖観音菩薩、地蔵堂は延命地蔵で有名なのは薬師如来と
中々賑やかな寺だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/df/2fe0e7aa62e46dc45f5784ba57742247.jpg)
地蔵堂内部 薬師三尊
26番真光寺(お葉つきイチョウ)
25番から4番と、4番から26番は、それぞれ一時間ほど掛かってしまった。真光寺に着いたのは既に3時に
なっていたが次の岩水寺まではまだ9km余もある。ノロノロしていると5時までに岩水寺に着かなくなってしまう。
先を急がなければ。
真光寺に着く頃に、又もや雪なのか風花なのか分からないが猛烈な勢いでぶつかってくる。
ご朱印を受けるとき住職に「雪ですかねー 風花でえすかねー」と聞くと住職は怪訝な子をして外を見た。
「ワー凄い! これは雪ですよ」とビックリしたようだった。
真光寺の薬師三尊の周りには、十二神将の替りに色々な仏像が祀られていた。余りに雑然としていて、寺の
須弥壇と云うより民家の大きな仏壇といった風情だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/8d/7ea79b9e42de71dde411a0562529a0a6.jpg)
26番真光寺 薬師三尊
真光寺の地図
ご朱印を貰いお詣りを済ませ境内に出ると雪は止んでいたが、まだ黒い雲が覆っていた。
境内にあった大きな木は、浜松市の保存樹木に指定されているイチョウの木だが、このイチョウは葉っぱに
実がなる「お葉つきイチョウ」という珍しい銀杏だった。
お葉つきイチョウと云えば、山梨県身延町の国道52号線を走っていると、この看板を幾つか見かけるが、
まだ一度も見た事はない。なんでも全国で何十本しかないイチョウらしいが本当だろうか? それ程貴重
ならこの真光寺のイチョウも、保存樹木ではなく天然記念物に指定されそうなものだ。案内板には
「イチョウの木は三億五千万年前にはすでにあり、イチョウ以外の動植物は数例を除いて全て進化しましたが、
イチョウだけはその当時から少しも進化せず、そのままのものが今日存在しているといわれています。」
イチョウは生きた化石とも云われるが、そう聞いてもあまりピンとこない。余りに見慣れている木で、化石と
云われても「へーそうか」で終わってしまう。
「烏瑟沙摩明王(ウスサマミョウオウ) 全ての不浄の物(悪)を食い尽くすといわれ、修法は産褥の不浄、悪鬼の
祟り、枯木の精、毒蛇の害などまで除くためのものといわれる」
右足を上げ片足立ちしている明王の顔は、まるで赤鬼の風情だ。その頭上には何だろう? 狐の頭を乗せている。
これが悪を食い尽くすのか。それにしては可愛い顔をしている。
だがこれは仏像ではなく板に書かれた絵だ。それも色落ちして薄くなってはっきりしていない。
祠に張られている案内は少し難しく書いてあるが、簡単に言えば「シモの神様」という事だ。
明王の隣の祠には地蔵菩薩と聖観音菩薩の石像が並んでいた・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/5a/bfc994eaf711cf66e96c0188f549fd26.jpg)
お葉つきイチョウ 烏瑟沙摩明王 菩薩石像
27番光正寺()
雪雲は何処かに飛んでしまい、また青空が戻り明るくなったのはよいが、27番光正寺に着いたのは3時50分。
気分は段々焦ってきてお詣りも簡単に済ませてしまう。ご朱印を押す住職に「岩水寺までどの位かかりますかね」
と聞いてみた。「歩きですよね。歩きでも1時間は掛からないでしょう。でも岩水寺さんは5時になれば閉めてしまう
から。その前に行かないと。」
そうなんだ、岩水寺は大寺で修行僧たちがやっているので時間厳守なのだ。会社組織で従業員が働く大店と、
家族経営の小売屋との違いがあるのだ。それでは増々急がないといけない。
早々に寺から出ると気分的に足取りも早くなる。しかしこれから岩水寺にお詣りできたとしても、ゴールの駅は
二俣本町になってしまう最悪のケースだ。イヤ下手をすればそれすらできずに、岩水寺の手前の駅で打ち止めに
なってしまう可能性もある。それこそ想定外で何としてでも避けたい。もう急ぐしかない。
交差点の名前が「麁玉小南」になっている。難しい字で読めなかったがローマ字で「aratamasyouminami」と
なっている。フーンでは麁玉は「あらたま」と読むのだ。
オッ! 待てよ、だとすると麁玉は赤蛇の玉に関係しているのか、と期待をしてしまった。
だが家に戻り「麁玉」を調べたが、赤蛇との関係は見つからず、麁玉とはこの辺りの古い地名で、意味は
「まだ磨かれていない玉」という事だそうだ。ではこの辺りで何か鉱石が発掘されたのかと思うが、そんな記述は
無かった。ただ「宮口まちおこしの会」のHPに
「「あらたま」が地名として歴史上に登場するのは、694年に造営された藤原宮跡から出土した木簡に「荒玉評」
(あらたまごおり)と記されていたことが最初だそうです。
713年に、郡名を縁起の良い字に改める命令が出され、「荒」を「麁」の字に改められたと考えられています。」
とあった。そこにも赤蛇の玉については触れていない。さらに調べていくとこんな解説をしているものが複数あった。
「天竜川の古名は麁玉河で、それが荒玉河、広瀬川、天中川、天龍川と変遷した。」
この辺で結論を付けよう。この辺りはかって麁玉河(天竜川)の流域で、その川の名前が地名として残ったのであり
赤蛇の玉とは何ら関係ない。と
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/28/72fd7a1708d92e65ce78468ee6ea6601.jpg)
光正寺 大日如来か
光正寺の地図
アーア! 遂に5時になってしまった。何が「1時間は掛からず岩水寺に着く」だ。まだここは麁玉の隣の宮口で
岩水寺までは30分以上も掛かりそうだ。もう先程から諦めモードに入りペースはダウンしてしまった。
しかしゴールの駅はどこにしよう。せめて岩水寺に一番近い駅はと手持ちの地図を見ると岩水寺駅だった。
もう仕方ない、全くもって想定外だが、そこをゴールにするしかない。
岩水寺駅に5時30分に到着。ウーン寒い!冷たい強風が吹き抜けていて震え上がってしまった。早く電車が
来なければ凍ってしまうと時刻表を見ると、何と何と次の電車は18時24分で50分以上あった。
マイッタナー 次の駅まで歩くのはいいが道が分からない。だが幸いな事に駅前に案内板が建っていて、それを
見ると次の駅は西鹿島駅になっている。道は・・・・・ 細かい事は分からないが近くで聞けば何とかなるだろう。
駅員に聞けばって? トンデモナイこの駅の周辺は店は1軒も無く、民家だってチラホラだ。駅の建物も無いから
当然改札も無い。ただホームにバス停のような待合所があるでの駅です。天浜線はこのような駅が多いんです。
歩いている分には寒さは左程感じないですむ。「根堅」という大きな交差点に出た。さてどちらに行けば良いのだと
聞く人を探すが、こんな寒い夕方に歩いている人はいない。やっと自転車に乗った高校生に道を聞く事が出来た。
「この交差点を直進して踏切に出たら左折して行けば西鹿島の駅です。」アー良かった。
何だよ線路が下を通っているが踏切は無いし道も無い。アッそうか、ここは第3セクターの天浜線と私鉄の
遠州鉄道が乗り入れているのだった。でも私が乗るのは天浜線で遠鉄線ではない。とは云っても道が無い事には
曲がるわけにも行かないので、そのまま直進をする。
やっと踏切に着いた。でも今度は踏切の前後に左に行く道がある。ウワー困った。ここまでは聞かなかった。
確かさっきの高校生は踏切を渡るとは云わなかった。ヨシ手前の道を曲がろうう。
なんだよ、道は線路から離れてしまう。しかも線路の左は高台になっていく。間違ったかな?
それにあちら側の道は時折通る自動車の灯りが見えるが、こっちの道は全然車が通らない。駅前に行くのだから
車が通らないのは不自然だ。きっとあっちの道が駅への道なんだ。急がないと電車に間にあわなくなってしまう。
時間を見たくても暗くて時計の針が見えない。早く決断しないと。エイ!引返そう。
踏切まで戻り踏切を渡って左へ延びる道を行く。今度は徐々に民家も出てきて賑やかになってきた。
アー!良かった。半分走るよううにしてやっと遠鉄の西鹿島駅に到着。でもこの駅は天浜線の駅ではない。
ジャー天浜線の駅は何処にあるのだ。
「済みません。天浜線の駅にはどうやって行くのでしょうか」
「同じホームだからそこを行けばいいよ」と言われても、同じホーム? 訳も分からぬまま駅に入ると、そこは
遠鉄の改札だった。エ-なんだよー だから天浜線と言ったのに。段々焦ってきた。隣にいた高校生に
「天浜線にはどう行けばいいの」と聞くと「切符を買って改札を入ればいい」と言って天浜線の自動販売機の場所を
教えてくれた。すると近くにいた高年の女性が「切符は買わなくてもいいから一緒においで」と声を掛けてくれた。
地下道を潜りながら「電車賃は降りる時に払えばいい」と教えてくれた。。
そして階段を登った所が天浜線の西鹿島駅のホームだった。
フーやっと電車に間にあった。ゴールの駅も想定外だったが、最後にこんなにアタフタするのも予想外だった。
お蔭で寒さを飛んでしまったが、乾杯の氷結も今日は望むべきもなかった。アー疲れた。
歩行時間:8時間45分 休憩時間:3時間00分 延時間:11時間45分
出発時間:6時30分 到着時間:18時15分
歩 数: 53、832歩 GPS距離42.4km
行程表
高塚駅 1:00> 17番 0:15> 18番 0:15> 19番 0:30> 22番 0:35> 21番 0:30> 23番
0:20> 24番 0:15> 20番 0:30> 25番 0:55> 4番 1:05> 26番 0:30> 27番 1:30>
岩水寺駅 0:35> 西鹿島駅
4番宗安寺(三重塔)
25番まで打ったのに次の札所は4番に逆戻りだ。これは元の4番札所は札所順の磐田にあったが、その寺が
廃寺になってしまったので、浜松にある宗安寺に変更されていた。札所を変えるなら元の場所の近くにすれば
良いと思うが、こちらも順番通りに回っているのではないのでブツブツは言えない。
白華寺から東名高速を越した所に「有玉神社」の表示があったが無視して通り過ぎてしまった。実はこの
「有玉」と云うのは、例の赤蛇伝説の子供が母親の龍から貰った玉の事だと、後で知り残念な思いをした。
前方に三重塔が見えてきて実にいい眺めだ。浜松の郊外を歩いているのではなく、まるで奈良斑鳩の里を
歩いている風情がする(斑鳩を歩いた事などないのに)
この宗安寺の三重塔は古い建物ではなく平成11年建立された新しい三重塔だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/5b/9602cadea9ca112b7e7898527af4c285.jpg)
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4番宗安寺の三重塔 宗安寺境内
宗安寺の地図
まず薬師堂をお詣りしてと中を覗きこむと、薬師如来ではなく延命地蔵菩薩が祀られていた。そこで気に
なったのは、地蔵の横の棚に置いてある白い達磨さん。少林寺にも白達磨が有ったが、この寺にも有るという
事は何か意味があるのだろう。とご朱印を貰うときに聞いてみた。
「達磨は赤いのばかりではなく、緑や白いのもありますよ。好き好きじゃありませんか」と大黒さんの返事だった。
そうか檀家から寄進を受けた達磨を飾っただけなのだ。つまらない。
宗安寺のご本尊は十一面観音菩薩で、三重塔には聖観音菩薩、地蔵堂は延命地蔵で有名なのは薬師如来と
中々賑やかな寺だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/5f/39da08f99bd446a27c00a5322ce66d34.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/df/2fe0e7aa62e46dc45f5784ba57742247.jpg)
地蔵堂内部 薬師三尊
26番真光寺(お葉つきイチョウ)
25番から4番と、4番から26番は、それぞれ一時間ほど掛かってしまった。真光寺に着いたのは既に3時に
なっていたが次の岩水寺まではまだ9km余もある。ノロノロしていると5時までに岩水寺に着かなくなってしまう。
先を急がなければ。
真光寺に着く頃に、又もや雪なのか風花なのか分からないが猛烈な勢いでぶつかってくる。
ご朱印を受けるとき住職に「雪ですかねー 風花でえすかねー」と聞くと住職は怪訝な子をして外を見た。
「ワー凄い! これは雪ですよ」とビックリしたようだった。
真光寺の薬師三尊の周りには、十二神将の替りに色々な仏像が祀られていた。余りに雑然としていて、寺の
須弥壇と云うより民家の大きな仏壇といった風情だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/b8/c0c1bd3251940ed25b57faaa6f5ec803.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/8d/7ea79b9e42de71dde411a0562529a0a6.jpg)
26番真光寺 薬師三尊
真光寺の地図
ご朱印を貰いお詣りを済ませ境内に出ると雪は止んでいたが、まだ黒い雲が覆っていた。
境内にあった大きな木は、浜松市の保存樹木に指定されているイチョウの木だが、このイチョウは葉っぱに
実がなる「お葉つきイチョウ」という珍しい銀杏だった。
お葉つきイチョウと云えば、山梨県身延町の国道52号線を走っていると、この看板を幾つか見かけるが、
まだ一度も見た事はない。なんでも全国で何十本しかないイチョウらしいが本当だろうか? それ程貴重
ならこの真光寺のイチョウも、保存樹木ではなく天然記念物に指定されそうなものだ。案内板には
「イチョウの木は三億五千万年前にはすでにあり、イチョウ以外の動植物は数例を除いて全て進化しましたが、
イチョウだけはその当時から少しも進化せず、そのままのものが今日存在しているといわれています。」
イチョウは生きた化石とも云われるが、そう聞いてもあまりピンとこない。余りに見慣れている木で、化石と
云われても「へーそうか」で終わってしまう。
「烏瑟沙摩明王(ウスサマミョウオウ) 全ての不浄の物(悪)を食い尽くすといわれ、修法は産褥の不浄、悪鬼の
祟り、枯木の精、毒蛇の害などまで除くためのものといわれる」
右足を上げ片足立ちしている明王の顔は、まるで赤鬼の風情だ。その頭上には何だろう? 狐の頭を乗せている。
これが悪を食い尽くすのか。それにしては可愛い顔をしている。
だがこれは仏像ではなく板に書かれた絵だ。それも色落ちして薄くなってはっきりしていない。
祠に張られている案内は少し難しく書いてあるが、簡単に言えば「シモの神様」という事だ。
明王の隣の祠には地蔵菩薩と聖観音菩薩の石像が並んでいた・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/bd/e1217590e9530388979dbae3c66e5de7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/1c/f877d2e6c01c0916a96f31a545267336.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/5a/bfc994eaf711cf66e96c0188f549fd26.jpg)
お葉つきイチョウ 烏瑟沙摩明王 菩薩石像
27番光正寺()
雪雲は何処かに飛んでしまい、また青空が戻り明るくなったのはよいが、27番光正寺に着いたのは3時50分。
気分は段々焦ってきてお詣りも簡単に済ませてしまう。ご朱印を押す住職に「岩水寺までどの位かかりますかね」
と聞いてみた。「歩きですよね。歩きでも1時間は掛からないでしょう。でも岩水寺さんは5時になれば閉めてしまう
から。その前に行かないと。」
そうなんだ、岩水寺は大寺で修行僧たちがやっているので時間厳守なのだ。会社組織で従業員が働く大店と、
家族経営の小売屋との違いがあるのだ。それでは増々急がないといけない。
早々に寺から出ると気分的に足取りも早くなる。しかしこれから岩水寺にお詣りできたとしても、ゴールの駅は
二俣本町になってしまう最悪のケースだ。イヤ下手をすればそれすらできずに、岩水寺の手前の駅で打ち止めに
なってしまう可能性もある。それこそ想定外で何としてでも避けたい。もう急ぐしかない。
交差点の名前が「麁玉小南」になっている。難しい字で読めなかったがローマ字で「aratamasyouminami」と
なっている。フーンでは麁玉は「あらたま」と読むのだ。
オッ! 待てよ、だとすると麁玉は赤蛇の玉に関係しているのか、と期待をしてしまった。
だが家に戻り「麁玉」を調べたが、赤蛇との関係は見つからず、麁玉とはこの辺りの古い地名で、意味は
「まだ磨かれていない玉」という事だそうだ。ではこの辺りで何か鉱石が発掘されたのかと思うが、そんな記述は
無かった。ただ「宮口まちおこしの会」のHPに
「「あらたま」が地名として歴史上に登場するのは、694年に造営された藤原宮跡から出土した木簡に「荒玉評」
(あらたまごおり)と記されていたことが最初だそうです。
713年に、郡名を縁起の良い字に改める命令が出され、「荒」を「麁」の字に改められたと考えられています。」
とあった。そこにも赤蛇の玉については触れていない。さらに調べていくとこんな解説をしているものが複数あった。
「天竜川の古名は麁玉河で、それが荒玉河、広瀬川、天中川、天龍川と変遷した。」
この辺で結論を付けよう。この辺りはかって麁玉河(天竜川)の流域で、その川の名前が地名として残ったのであり
赤蛇の玉とは何ら関係ない。と
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/69/c2879171e6aa65be035c43cd0118bb81.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/28/72fd7a1708d92e65ce78468ee6ea6601.jpg)
光正寺 大日如来か
光正寺の地図
アーア! 遂に5時になってしまった。何が「1時間は掛からず岩水寺に着く」だ。まだここは麁玉の隣の宮口で
岩水寺までは30分以上も掛かりそうだ。もう先程から諦めモードに入りペースはダウンしてしまった。
しかしゴールの駅はどこにしよう。せめて岩水寺に一番近い駅はと手持ちの地図を見ると岩水寺駅だった。
もう仕方ない、全くもって想定外だが、そこをゴールにするしかない。
岩水寺駅に5時30分に到着。ウーン寒い!冷たい強風が吹き抜けていて震え上がってしまった。早く電車が
来なければ凍ってしまうと時刻表を見ると、何と何と次の電車は18時24分で50分以上あった。
マイッタナー 次の駅まで歩くのはいいが道が分からない。だが幸いな事に駅前に案内板が建っていて、それを
見ると次の駅は西鹿島駅になっている。道は・・・・・ 細かい事は分からないが近くで聞けば何とかなるだろう。
駅員に聞けばって? トンデモナイこの駅の周辺は店は1軒も無く、民家だってチラホラだ。駅の建物も無いから
当然改札も無い。ただホームにバス停のような待合所があるでの駅です。天浜線はこのような駅が多いんです。
歩いている分には寒さは左程感じないですむ。「根堅」という大きな交差点に出た。さてどちらに行けば良いのだと
聞く人を探すが、こんな寒い夕方に歩いている人はいない。やっと自転車に乗った高校生に道を聞く事が出来た。
「この交差点を直進して踏切に出たら左折して行けば西鹿島の駅です。」アー良かった。
何だよ線路が下を通っているが踏切は無いし道も無い。アッそうか、ここは第3セクターの天浜線と私鉄の
遠州鉄道が乗り入れているのだった。でも私が乗るのは天浜線で遠鉄線ではない。とは云っても道が無い事には
曲がるわけにも行かないので、そのまま直進をする。
やっと踏切に着いた。でも今度は踏切の前後に左に行く道がある。ウワー困った。ここまでは聞かなかった。
確かさっきの高校生は踏切を渡るとは云わなかった。ヨシ手前の道を曲がろうう。
なんだよ、道は線路から離れてしまう。しかも線路の左は高台になっていく。間違ったかな?
それにあちら側の道は時折通る自動車の灯りが見えるが、こっちの道は全然車が通らない。駅前に行くのだから
車が通らないのは不自然だ。きっとあっちの道が駅への道なんだ。急がないと電車に間にあわなくなってしまう。
時間を見たくても暗くて時計の針が見えない。早く決断しないと。エイ!引返そう。
踏切まで戻り踏切を渡って左へ延びる道を行く。今度は徐々に民家も出てきて賑やかになってきた。
アー!良かった。半分走るよううにしてやっと遠鉄の西鹿島駅に到着。でもこの駅は天浜線の駅ではない。
ジャー天浜線の駅は何処にあるのだ。
「済みません。天浜線の駅にはどうやって行くのでしょうか」
「同じホームだからそこを行けばいいよ」と言われても、同じホーム? 訳も分からぬまま駅に入ると、そこは
遠鉄の改札だった。エ-なんだよー だから天浜線と言ったのに。段々焦ってきた。隣にいた高校生に
「天浜線にはどう行けばいいの」と聞くと「切符を買って改札を入ればいい」と言って天浜線の自動販売機の場所を
教えてくれた。すると近くにいた高年の女性が「切符は買わなくてもいいから一緒においで」と声を掛けてくれた。
地下道を潜りながら「電車賃は降りる時に払えばいい」と教えてくれた。。
そして階段を登った所が天浜線の西鹿島駅のホームだった。
フーやっと電車に間にあった。ゴールの駅も想定外だったが、最後にこんなにアタフタするのも予想外だった。
お蔭で寒さを飛んでしまったが、乾杯の氷結も今日は望むべきもなかった。アー疲れた。