はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠江四十九薬師霊場1-4

2014-03-15 16:56:20 | 遠江49薬師
歩行記録
歩行時間:6時間30分   休憩時間:3時間15分   延時間:9時間45分
出発時間:7時00分   到着時間:16時45分
歩  数:  41、403歩   GPS距離29.8km

行程表
 磐田駅 0:15> 1番 0:20> 2番 0:10> 3番 0:20> 5番 0:30> 6番 0:25> 7番 0:40> 8番
 0:05> 9番 0:25> 10番 0:35> 11番 0:35> 12番 0:30> 13番 0:10> 14番 1:05> 16番
 0:20> 15番 0:05> 高塚駅

                         11番龍谷寺(鉦)
 次の龍谷寺への道は大きな案内図と寺の所在地のメモに頼るしかなくなった。そうして出した結論は10番から
先ずJR天竜川駅を、次に新幹線の線路を目指し南下する。新幹線を越した所で飯田小学校を聞いてから、その
近くにある龍谷寺を目指す事にした。注意するのは決して国道1号線バイパスを越さないようにすることだった。
天竜川駅西側の歩行者用跨線橋を渡る前までは不安だったが、跨線橋を渡り太い道に出てからは快調になった。
新幹線のガードを潜り最初の交差点の所で飯田小学校の場所を聞くと「次の信号をを右折した所」だった。
ついでに龍谷寺も聞くと「小学校の前」にあると言う。言われた通り行くとあっけなく11番龍谷寺に着いた。
これならわざわざ手持ちの地図を作る必要も無さそうだと不遜な考えも湧いてきた。

 
                龍谷寺本堂                          龍谷寺薬師堂
               龍谷寺の地図
 遠江49薬師の赤い幟が林立する薬師堂をお詣りして、庫裏に向かうとその横に接待所があった。
中に入ると涅槃物が祀ってあり、その枕元に7段の鉦が立てかけられていた。鉦をそばにあった鉄の棒で叩くと
それぞれ違う音階で鳴る。だがドレミの音階とは違っていて、声明の時にでも使う鉦なのだろうか? 
声明といえば念仏でさえ複数の僧侶が併せて唱えると荘厳な感じになるのだから、節がある声明なら更に
敬虔な雰囲気になるに違いない。
以前読んだ小説に、京都大原では声明が盛んに行われていて、声明が行われる時は女性信者が大挙押し寄せ
騒ぎになっという。そして必然的に風紀が乱れ、結果声明は制約されたとあった。
昔も今も変わらないのは、女どもの芸能人好きだ。いや芸能人と云うより有名人好きなのだろう。
政治家やスポーツ選手何でも、時の有名人が好きなのだから始末に負えない。

 境内に白砂を敷いた一画があり、そこには小さな鬼が相撲をしているジオラマがあった。土俵の上には褌姿の
鬼が相撲を取っていて行司もいる。土俵の四隅には声を張り上げ声援している鬼たち。岩の上には雷なのか、
肩に太鼓を担いだ鬼もいる。一体これは何を表現したいのだろう。

 
                涅槃仏                           小鬼の相撲?

                         12番頭陀寺(胡瓜封じ)
 12番頭陀寺も同じ方法で歩く事にした。龍谷寺前の道を川を越すまで西に行き、川を越したら大きな交差点を
左折して南下する。今度は国道150線を越した所で相生小学校を聞いて、その近くの頭陀寺を探す予定だった。
それがどういう訳か川を渡る前に南下をしてしまい完全に現在位置を見失ってしまった。訪ね訪ねようやく頭陀町
に辿り着くと細い道の入口に「敕定額頭陀寺薬師如来 南西1丁」の碑が建っていた。意味は分からないがここから
西へ1丁(100m)も行った所に頭陀寺があるのだろう。フ-助かった。

 頭陀寺の門前には「頭陀寺薬師道」の石碑もあり、この辺りの地名は頭陀寺町なのをみると、かっては大きな
寺だったのだろう。調べてみると平安時代には真言宗の大寺で頭陀寺城と称されていたとある。海から引上げら
れた薬師如来は、時の天皇から勅額「青林山」を賜り「勅願寺」になる。その後「定額寺」にも指定されたとあった。
聞き慣れない言葉が色々出てきたが「勅願寺」とは「時の天皇・上皇の発願により、国家鎮護・皇室繁栄などを
祈願して創建された寺」
これはなんとなく分かる。
「定額(じょうがく)寺」には色々説があるようだが、頭陀寺に相応しいのは「国家が寺号を“定”め、その寺名が
書かれた“額”が授与された“寺”院のこと」
(ウィキペディアより)とあった。
ただ「敕定額」は分からなかったが「敕(ちょく)」と云う字は「みことのり」の意味があるので、それなら
「国家が定めた事を天皇が認めた寺」と云う事なのか。何か重複する気もするが左程の違いは無いだろう。

         
        敕定額頭陀寺薬師如来                     頭陀寺山門
               頭陀寺の地図
 参道横には如何にも真言宗らしく弘法大師の立像が建っていて、横にはお地蔵とお不動さんが並んでいる。
本堂の横に廻ると「きゅうり封じ」の案内板と小さな浅い井戸のような物があった。
「古来より胡瓜には不思議な力があります。胡瓜封じとは、その胡瓜を自分の身代わりに見立て、邪気や病根を
護符と共に封じ込め持ち去ってもらう事です。胡瓜を切ると粘液ですぐ切口を塞ごうとしますので、邪鬼などを
封じた胡瓜は土に埋めるか川に流すなどして、速やかに病根などの消滅を願うものです。
 胡瓜に封じるのは、胡瓜が人間の立ち姿に似ている事と、胡瓜を輪切りにすると切口が転法輪に似ていること
からです。本尊は不動明王です。転法輪とは仏具の一種です。」
 
回りくどく行っているが要は胡瓜を身代わりにして、邪鬼を転生してしまうというのだろう。初めて聞いた話だが
この風習が広まらなかったのは説得力が少ないせいだろう。
小さな井戸は、この中に身代わりの胡瓜を埋めるようだ。なお、胡瓜の一願一本の祈祷料は千円だって。

 
                 頭陀寺本堂                          きゅり封じ

                         13番神宮寺(アクトタワー)
 14番神宮寺からは2枚目の地図に載っているので、もう目的地が分からなくなる事はないが、手持ちの地図を
見ながらだと逆に間違ってはいけないと細かい事が気になってしまう。
距離は若干伸びるがさっきの方法も悪くは無かった。

 途中に揚子公園と云う大きな公園があり、そこからアクトタワーが良く見えていた。今はアクトタワーは北の方角に
見えているが、今日の終わりには東に見えるだろう。そして次回は南の方角に見え、最終回の頃は西の方角に
見えるだろう。この霊場はアクトタワーを中心とは言えないが、天流川を中心にして分布しているようだ。
これは霊場が出来た江戸時代の浜松藩エリアで、東の掛川藩や南の横須賀藩には入っていない。

 神宮寺の前には大きな神社があるので、神宮寺はてっきり別当寺かと思ったが違った。
神宮寺の起源は三島出身の神官がこの地に移住した時に、前任地三島と同じように神社の後ろに寺を建てたのが
始まりという。そのため山号は三島山で前に立つ浜松神社とは何の関係も無いようだ。
私はてっきり前の神社は三島神社と思っていた。

 神宮寺の板塀と山門の後ろには鬱蒼とした木が生い茂り、山門の中心には祠に収まった石仏が見えていた。
なにやら落着いた風情のある寺で期待を持てそうだ。

 
               揚子公園からアクトタワー                    神宮寺本堂と薬師堂

 六地蔵の前に備えてある花は造花では生花だった。それぞれの地蔵の前には湯呑や線香立もある。中々面倒見の
良い寺だと思いながら次のお堂に行ってみると、中は雑多なダンボウールが積み重ねてあった。中にあった仏さんは
どうしたのだろう? ご朱印を貰いに庫裏に入ると、これはこれは物凄い。立錐の余地が無いとは、この事かと思わせる
ような状態に色々な物が積重なっていた。視線のやり場に困るような状態だったが女性は平然とご朱印を押していた。
山門や六地蔵で受けた印象とは正反対の風景に首を傾げてしまった。

 
               神宮寺の六地蔵                         お堂中は-----
               神宮寺の地図



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 昨日(14日)3回目の遠江49薬師観音を廻ってきました。