みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

717 羅須地人協会について(その3)

2008-12-18 08:51:55 | 花巻周辺
 ”羅須地人協会について(その2)”の続きである。

 花巻農業高校に行くなら花巻空港を目指して行くとよい。それはその空港の隣りにあるからである。
《1 花巻農業高校》(平成20年12月12日撮影)

 羅須地人協会の復元建物(賢治先生の家)の中に入ってみたい方は、この校舎の正面玄関から入って事務室へ行き、その旨を伝えるとよい。鍵を貸してくださるから、あとは自分で解錠して自由に見学できる。

《2 生徒は熱心に実習中》(平成20年12月12日撮影)

《3 賢治先生の家》(平成20年12月12日撮影)

《4 羅須地人協会》(平成20年12月12日撮影)

《5 左側の石碑》(平成20年12月12日撮影)

《6 右側の石碑》(平成20年12月12日撮影)

《7 中に入ると賢治さんがいる》(平成20年12月12日撮影)

《8 賢治先生の家》(平成20年12月12日撮影)

《9 詩碑》(平成20年12月12日撮影)

があり、『農民芸術概論綱要 結論』
  われに要るものは
   銀河を包む
  透明な意志
   大きな力と
  熱である
      宮澤賢治

が刻まれている。 
《10 賢治先生の家入り口》(平成20年12月12日撮影)

《11 もちろん羅須地人協会を復元した建物である》(平成20年12月12日撮影)

 玄関の方に廻ろう。すると、途中に
《12 賢治先生の家平面図》

が掲示されている。
 なお、次の図は『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)の 
《13 元羅須地人協会建物平面図(抜粋)》

である。
 玄関脇には
《14 花巻農業高校の精神歌の碑》(平成20年12月12日撮影)

があり、
   日ハ君臨シ 輝キハ
   白金ノ雨 ソソギタリ
   我等ハ黒キ 土ニフシ
   マコトノ草ノ 種マケリ

   日ハ君臨シ 穹窿ニ
   漲リワタス 青ビカリ
   ヒカリノアセヲ 感ズレバ
   気圏ノキハミ 隈モナシ


   日ハ君臨シ 玻璃ノマド
   清澄ニシテ 寂カナリ
   サアレマコトヲ 索メテハ
   白堊ノ霧モ アビヌベシ

   日ハ君臨シ カガヤキノ
   太陽系ハ マヒルナリ
   ケハシキタビノ ナカニシテ
   ワレラヒカリノ ミチヲフム

         宮沢賢治

と刻まれてある。
 この精神歌は賢治が昭和21年に作詞し、知人の河村悟郎が作曲し、花巻農業高校の校歌とともにしばしば生徒に歌われてきた。特に、花巻農業高校と北上農業高校が統合されて新たな花巻農業高校となってからはしばらく校歌の代わりにこの精神歌が歌われた。

《15 玄関側から見た賢治先生の家》(平成20年12月12日撮影)

《16 『下ノ畑ニ居リマス』》(平成20年12月12日撮影)

《17 玄関》(平成20年12月12日撮影)

《18 中に入ると廊下あり》(平成20年12月12日撮影)

ただし、2階の書斎には立ち入り禁止なそうだ。
《19 硝子ケースの中には”風の又三郎のマント”》(平成20年12月12日撮影)

側にこのマントについて
 大正十二年の冬のこと。
 ある日の夕方、防寒具をもたず寒さにふるえていた生徒・簡 悟(花農大正十三年卒)の肩に『これを着なさい』と、賢治は自分のマントをやさしく着せかけた。
 簡は、花農卒業後 賢治の世話で盛岡高農成瀬先生の助手として勤務することになった。
 彼は終生、賢治の温情に感謝し、このマントを常に大切にしていた

などの説明があった。
 そして、階段の下には 
《20 オルガン》(平成20年12月12日撮影)

《21 居間》(平成20年12月12日撮影)

《22 縁側(便所側)》(平成20年12月12日撮影)

突き当たりに木戸があるので
《23 開けてみると》(平成20年12月12日撮影)

さらに突き当たりは
《24 便所》(平成20年12月12日撮影)

そして左側には
《25 風呂場あと》(平成20年12月12日撮影)

ただし、『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)によれば
 賢治は風呂をたてず、別棟の炊事場で水浴していた。
とのことである。

 さて、そこで懸案事項の『おくら』のことである。この『賢治先生の家』の便所&風呂場から推してみると、あの『おくら』とこの部分とはあまり似ていない。

 縁側を戻って教室へ向かうことにしよう。居間は”コ”の字状の廊下で囲まれているので
《26 引き返した縁側(廊下)》(平成20年12月12日撮影)

の角を右に直角に折れると
《27 続きの縁側》(平成20年12月12日撮影)

があり
《28 真向かいの賢治の写真》(平成20年12月12日撮影)

(賢治が右手に持っているのは煙草だろうか?賢治は喫煙者?)
の懸かっている部屋が
《29 教室》(平成20年12月12日撮影)

である。
《30 壁の写真パネル等》(平成20年12月12日撮影)

左端の額は何と
《31 賢治の代数の答案》(平成20年12月12日撮影)

如何に賢治とは云え、こんな個人情報まで公開されたのではたまったものではなかろう。

 では、今度は
《32 外に出て》(平成20年12月12日撮影)

やはり『おくら』のことが気になるから
《33 便所と風呂場の外側》(平成20年12月12日撮影)

を確認しよう。やはりこれじゃ、この部分が『おくら』であることはなかろう。
《34 下根子桜の『おくら』》(平成20年12月11日撮影)

とはあまりにも異なるからである。
 ということは、下図の
《35 詩碑付近略図》

   <『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)より>
のどこかに、母屋と別棟(炊事場)の他に、書かれてはいないが『おくら』があったということになるのだろう。

 では最後にぐる~っと廻って最後に教室を覗いてみよう。
《36 羅須地人協会の復元建物(居間側)》(平成20年12月12日撮影)

《37 二階》(平成20年12月12日撮影)

《38 外から覗いた教室》(平成20年12月12日撮影)


 前の
 ”羅須地人協会について(その2)”のTOPに戻る。

 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 716 胡四王山のセイヨウタンポポ | トップ | 718 胡四王山のキバナノアマナ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

花巻周辺」カテゴリの最新記事