みちのくの山野草

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「聖女のさましてちかづけるもの」は限りなくちゑ

2019-02-09 17:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

鈴木 今までは、この10月24日付〔聖女のさましてちかづけるもの〕の詠まれ方があまりにも不自然だと思っていたが、こうやって並べてみる何かが少し見えてきたような気がする。このような「憤怒」の詩〔聖女のさましてちかづけるもの最も親しき友らにさへこれを秘してをほぼ同時期に2篇も賢治は詠んでいたようだから、賢治は余程この二人の女性に対して腹立たしくて、苦々しく思っていた可能性が大だ。 
吉田 ではここで思考実験は止めにして、ここからはオーソドックスな考察に戻ろう。
鈴木 了解。とはいえ、この実験によって 「聖女のさましてちかづけるもの」は露とは限らず、露以外の女性も考えられるということだけはもはや明らかになったと言える。
荒木 今までの合理的な実験によって、そのことが現実にあったという可能性が少なくとも否定できないということが言えるからな。
吉田 そして、その候補者は今のところ露とちゑの二人しかいないというのが実態だ。しかもそれぞれ、
・露 :「レプラ」と詐病までして賢治の方から拒絶したといわれている露に対して約4年後
・ちゑ:結婚するかもしれませんと賢治が言っていたちゑに対して約2ヶ月半後
となる。
 さあ、ではどちらの女性に対して、例の「このようななまなましい憤怒の文字」を連ねた〔聖女のさましてちかづけるもの〕という詩を当て擦って詠むのかというと、その可能性は
    ちゑ > 露
となることは明らかだろう。
荒木 「約4年後」と「約2ヶ月半後」とを比べればそれは明らかなこと。いくらなんでも、「約4年後」までもの長い間執念深く思い続けている人はなかなかいないし、普通でぎねえべ。
吉田 まあ、「聖女のさましてちかづけるもの」が露であるという可能性を完全には否定しないが、そうでない可能性が、それもかなりの程度あるということが言える。したがって、
  「聖女のさましてちかづけるもの」は限りなくちゑである。
ということは言える。
荒木 当然この可能性の方が極めて大なのだから、詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕を用いて<仮説:高瀬露は聖女だった>の検証作業などやれない。検証以前だ、となる。
鈴木 実は、「昭和6年」の場合に問題となるのはこの〔聖女のさましてちかづけるもの〕と、例の徳弥の『短歌日記』だったが、この日記のことも織り込んで既にここまで考察してきたから「昭和6年」に関しては以上で検証作業は終了。
荒木 ということは、「昭和6年」の場合も<仮説:高瀬露は聖女だった>は検証に耐えたわけだ。さあ、それじゃいよいよ残るは「昭和7年」だけだから早くそこに移るベ。
吉田 ちょ、ちょっと待て。ほらさっきの〔われに衆怨ことごとくなきとき〕やその前の〔最も親しき友らにさへこれを秘して〕のことがあったじゃないか。
荒木 やべぇ、そうそうそうだった。俺が質問したというのに情けねぇ。
吉田 では。実は、
【「雨ニモマケズ手帳」31p~32p】

           <『校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)』(筑摩書房)より>
には、小倉豊文によれば、
   ◎われに
    衆怨ことごとく
          なきとき
    これを怨敵
       悉退散といふ
   ◎
    衆怨
     ことごとく
          なし
           <『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)116pより>
と書かれていて、小倉はどちらの頁も〔聖女のさましてちかづけるもの〕の書かれた日と同じ10月24日のものらしいと推測している。
 そして、小倉は賢治がこの〔われに衆怨ことごとくなきとき〕をここに書き付けた理由を次のように解説している。
 恐らく、賢治は「聖女のさましてちかづけるもの」「乞ひて弟子の礼とれる」ものが、「いまわが像に釘う」ち、「われに土をば送る」ように、恩を怨でかえすようなことありとも、「わがとり来しは、たゞひとすじのみちなれや」と、いささかも意に介しなかったのであるが、こう書き終わった所で、平常読誦する観音経の「念彼観音力衆怨悉退散」の言葉がしみじみ思い出されたことなのであろう。そして、自ら深く反省検討して「われに衆怨ことごとくなきとき、これを怨敵悉退散といふ」、われに「衆怨ことごとくなし」とかきつけたものなのであろう。
             <『「雨ニモマケズ手帳」新考』119p~より>
鈴木 そうかそういうステップを賢治はちゃんと踏んでいたのか。実は私は今まで、10月24日に詠まれた〔聖女のさましてちかづけるもの〕と、そのたった10日後に書かれたという〔雨ニモマケズ〕の間にある両極端とも思えるほどの賢治の心の振幅の大きさがどうしても理解できなかった。
 ところが賢治は、〔聖女のさましてちかづけるもの〕を詠んだ後にそのことを実はしっかりと「自ら深く反省検討」し、そして〔雨ニモマケズ〕を詠んだということか。これでやっと腑に落ちた。
荒木 実は、賢治は感情の起伏が激しかったと俺も人づてに聞いていた。まあ、そこが天才の天才たる所以の最たるものの一つなのかもしれないのだが。少なくともこれら二つの間に〔われに衆怨ことごとくなきとき〕が書いてあったということならば、それならば「雨ニモマケズ」もありだな。
 よし、これでまた《愛すべき賢治》にまた一歩近づけたような気がしてきた。
吉田 それから、まだ残っている〔最も親しき友らにさへこれを秘して〕についてだが、この「最も親しき友」とはほぼ藤原嘉藤治のことであると判断できると先に分かっている。それじゃなぜ、賢治は、
   女と思ひて今日までは許しても来つれ
   今や生くるも死するも
   なんぢが曲意非礼を忘れじ
というような憤怒に満ちた表現をした女性のことを、藤原嘉藤治に対して「これを秘し」と表現したのか。
鈴木 あっ、神父セルゲイだ。
荒木 なんだよ、それ。
吉田 そっ、そのとおりだ。
鈴木 実は、昭和3年6月の「伊豆大島行」から帰ってきた賢治は、
 あぶなかった。全く神父セルゲイを思い出した。指は切らなかったがね。おれは結婚するとすれば、あの女性だな。
            <『新女苑』八月号(実業之日本社、昭和16・8)より>
と、ちゑのことを藤原嘉藤治にこう言ったというんだ。
荒木 賢治が「結婚するとすれば、あの女性だな」と嘉藤治に吐露したちゑから、しかも昭和6年の7月7日頃には「ちゑさんと結婚するかもしれません」と友人に公言<*1>していたそのちゑから、結婚を拒絶された賢治とすれば怒り心頭に発するとともに、そのことを今更藤原嘉藤治には話せないから「藤原嘉藤治にさえも秘し」となるわけか。理屈としては完全に成り立つな。
鈴木 参考までに、一方の露に対しては藤原嘉藤治は、
 大正十五年の春、農学校の教師を辞して、自炊生活をし乍ら農民指導をしてゐた頃である。彼のよき理解者、援助者になるつもりの自讃女性が飛び込んで来たことがある。これには宮澤賢治も「あゝ友だちよ、空の雲がたべきれないやうに、きみの好意もたべきれない」といつた風な工合で、ほとほと困つたことがある。僕も仲にはいつたりして、手こずつたが、反面、宮澤賢治なる者、果たしてどこら辺迄、その好意を受け容れ、いかに誘惑と戦ふかを興味をもつて傍観したりしてゐたが、女の方でしびれを切らし、他に良縁を求めて結婚してしまつてけりがついた。
             〈『賢治と嘉藤治』(佐藤泰平編・著、洋々社)72p~〉
と追想している。
吉田 ということであれば、何も賢治は露のことを嘉藤治に秘しておく必要はなさそうだから、やはり、嘉藤治に対して秘しておきたいのはちゑの方であり、この〔最も親しき友らにさへこれを秘して〕の詩における賢治の憤怒はやはりちゑに対してであったということが、これでほぼ決まりだな。
荒木 そうか、〔聖女のさまして近づけるもの〕と〔最も親しき友らにさへこれを秘して〕は同時期に詠んだものであるという蓋然性が高いことも知ったし、その内容もともに女性に対する憤怒に満ちているし、その女性は限りなくちゑであったと言えそうだから、賢治の怒りが如何に激しいものであったのかということをこれで思い知らされたな。
鈴木 さりながら、このことは『本統の賢治と本当の露』でも、
 なお、最後に声を大にして次のことを言っておきたい。それはこの詩のモデルがちゑであっても、
 伊藤ちゑという人はスラム街の貧しい子女のために献身するなどのストイックな生き方をし、あるいは、身寄りのない憐れな老婆に薄給から毎月送金していたというようなとても優しい心の持ち主でもあり、まさに「聖女」のような高潔な実践活動家でり、崇敬すべき人物であった。
            〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)106p〉
とことさら強調しておいたように、ちゑには殆ど責められる点はなく、残念ながら、まさに賢治の修羅性が発揮された、と言えそうだ。

吉田 ところでいつもの荒木なら、
      <仮説:高瀬露は聖女だった>を棄却する必要はないということになる。いやあ嬉しいな。
と言って抃舞していたはずなのに、今回の「昭和6年」の場合それはなしか。
荒木 いやあ、おかしいと思うんだよ俺は。この前までは賢治周辺の人たちの証言や客観的な資料等に基づいて検証を行ったきたのに、今回は詩によるものだったろ。
 確かに、この詩はさておき、賢治の詩は素晴らしいものが多いということは俺でもわがる。しかしな、詩は所詮詩でしかないべ。創作の一つだ。だから、〔聖女のさまして近づけるもの〕に書いてある内容全てが事実であるとは言えないだろう、と思っていることもまた俺にはあるからさ…。
鈴木 いわゆる詩は還元できないというやつだな。だからこそ、もし詩を伝記の資料として使うのであればその裏付けを取ったり検証をしたりした上で使わねばならないのは当然だ。
吉田 ところが、この詩に関してはそのような為すべきことを為していないだけでなく、露はクリスチャンだ、クリスチャンは聖女だ、だからこの詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕は露のことを詠んでいるんだというあまりにも杜撰すぎる三段論法が採られてしまっているとなれば、結果的には露のことをこの詩は<悪女>にしてしまったという責任の一端を免れられない。
鈴木 まあな。もちろん、この詩そのものにその責任があるわけではなく、そう理解した人の責任だけどね。
荒木 一方、実はそれは露ではなくてちゑである可能性が極めて大であるということを俺たちは導けたのだから、この詩を元にして<悪女>扱いされた節もある露にすれば踏んだり蹴ったりだ。濡れ衣もいいどこだべ。
吉田 確かにそうだが、実証的な考察をいつも心がけているはずの小倉豊文でさえもこの〔聖女のさまして近づけるもの〕を引き合いに出して、「この詩を読むと、すぐに私はある一人の女性のことが想い出される」(『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)111p)と言って、これは露のことを詠んだのだと実質的に断定している。
 あるいは佐藤勝治でさえもまた、例の「このようななまなましい憤怒の文字はどこにもない」と言いつつも、この詩は露のことを詠っているのだとつゆほども疑っていない。それは境忠一でさえもそう言えなくもないし、他の多くの人もおしなべてそのように認識し、これだけ賢治が憤怒を込めて詠っているくらいだから、露は相当な<悪女>だと単純に決めつけてしまうだろう。
荒木 しかしだよ、単に手帳に書かれた一篇の詩によってだぞ、その一枚の紙切れによって一方的に一人の人間の尊厳や人格が安易に全否定されるということは許されていいのが?
吉田 荒木が怒るのももっともだ。それもこれも、然るべき人たちがその裏付けも取らず、検証もせずに漫然と<悪女伝説>の再生産を繰り返してきたからだ。いかな賢治の詩といえども単独であっては「伝記研究」の資料たり得ないことは当たり前のことなのにさ。
鈴木 何かというと、それらしいことがあるといつもそれは露だと決めつけられてきた傾向がある。例えば、露であることが全く判然としていないのに「判然としている」と決めつけられた「昭和4年の書簡下書群」、そして今回の〔聖女のさまして近づけるもの〕の「聖女」、さらにはこの次の年に出てくる「賢治氏知人の女の人が、賢治氏を中傷的に言ふ」、皆そうだ。
吉田 これらのことに鑑みれば、そこには明らかに何者かによるそれこそ「悪念」や「奸詐」があったということがもはや否定できなかろう。
荒木 おいおい憶測でそんな物騒なこと言ってもいいのか。ちょっとまずいよそれは。
鈴木 それでは、「昭和6年」に関わる検証結果をここで確認すれば、「そもそも詩を単独で伝記研究の資料として使うことには無理がある」ということを肝に銘じつつ、
聖女のさまして近づけるもの〕によって、〈仮説:高瀬露は聖女だった〉を棄却する必要はない。
ということだ。
 これで「昭和6年」に関しての考察は一切を終了しよう。

<*1:註> 森荘已池によれば、
 「私は結婚するかもしれません――」と盛岡にきて私に語つたのは昭和六年七月で、東北碎石工場の技師となり、その製造を直接指導し、出來た炭酸石灰を販賣して歩いていた。さいごの健康な時代であつた。
             <『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房)104pより>

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