みちのくの山野草

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賢治の「訓へ」

2019-02-09 12:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》

 去る平成31年1月27日の花巻公演、『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』において配布されたパンフレットに、
 昭和初期、日本が激動の時代へと移りかわろうとしていたその時、ここ新庄で宮沢賢治の理想郷(イーハトーブ)を実践した男がいました。
 彼は、賢治のたった二つの言葉を信じ、農業恐慌により疲弊していく村のため、さまざまなことを行いました。そして、その10年間の実践記録「土に叫ぶ」が日本全国でベストセラーとなります。次いで出版した師・宮沢賢治の詩集「宮澤賢治名作選」が文部省推薦となったなったことで、賢治の名も全国に知れ渡ったのです。
あるように、甚次郎はまさに「賢治精神」を実践した人物であり、賢治の名と賢治の作品を初めて全国的に知らしめたの大恩人だが、惜しいことに35歳で逝った青年であった。
 ちなみに、その『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)の
【表紙『愛鄕 愛𡈽 𡈽に叫ぶ』<*1>】 

【本文一頁】

【本文二頁~三頁】

である。

 具体的には、『𡈽に叫ぶ』の巻頭の「先生の訓へ」は次のように書き出されている。
      一 恩師宮澤賢治先生
 
 先生の訓へ 昭和二年三月盛岡高農を卒業して歸鄕する喜びにひたつてゐる頃、每日の新聞は、旱魃に苦悶する赤石村のことを書き立てゝゐた。或る日私は友人と二人で、この村の子供達をなぐさめようと、南部せんべいを一杯買ひ込んで、この村を見舞つた。道々會ふ子供に與へていつた。その日の午後、御禮と御暇乞ひに恩師宮澤賢治先生をお宅に訪問した。
    …(投稿者略)…
 先生は嚴かに教訓して下さつた。この訓へこそ、私には終世の信條として、一日も忘れる事の出來ぬ言葉である。先生は「君達はどんな心構へで歸鄕し、百姓をやるのか」とたづねられた。私は「學校で學んだ學術を、充分生かして合理的な農業をやり、一般農家の範になり度い」と答へたら、先生は足下に「そんなことでは私の同志ではない。これからの世の中は、君達を學校卒業だからとか、地主の息子だからとかで、優待してはくれなくなるし、又優待される者は大馬鹿だ。煎じ詰めて君達に贈る言葉はこの二つだ――
   小作人たれ
   農村劇をやれ」
と、力強く言はれたのである。語をついで、「日本の農村の骨子は地主でも無く、役場、農會でもない。實に小農、小作人であつて將來ともこの形態は變らない。不在地主は無くなつても、土地が國有になつても、この原理は日本の農業としては不變の農組織である。社會の文化が進んで行くに從って、小作人が段々覺醒する。そして地位も向上する。素質も洗練される。從って土地制度も、農業政策も、その中心が小作人に向かつて來ることが、我國の歴史と現有の社會動向からして、立證できる。そして現在の小作人は、封建時代の搾取から、そのまゝ傳統的な搾取がつゞけられ、更に今日の資本主義的經濟機構の最下層にあつて、二重の搾取壓迫にあへいで居るのだ! この最下層の文化、經濟生活をしのびつゝ、國の大道を躬行し、食糧の産業資源を供給し、さらに兵力の充實に貢献して居るではないか! なんと貴く偉大な小作農民ではないか! 日夜きうきうとして、血と汗を流して、あらゆる奉公と犠牲の限りを盡くしてゐる。ところがこの小作人に、眞の理解と誠意を持つものは、一人もないのだ。皆んな卑しんで見下げて、更に見殺そうとまでしてゐるのだ。こんなことで日本の皇國が榮え續けて行けるか。日本の農村が眞の使命に邁進して行けるか。君達だつて、地主の息子然として學校で習得した事を、なかば遊び乍ら實行して他の範とする等は、もつての他の事だ。眞人間として生きるのに農業を選ぶことは宜しいが、農民として眞に生くるには、先づ眞の小作人たることだ。小作人となって粗衣粗食、過勞と更に加はる社會的經濟的壓迫を體験することが出來たら、必ず人間の眞面目が顯現される。默つて十年間、誰が何と言はうと、實行し續けてくれ。そして十年後に、宮澤が言つた事が眞理かどうかを批判してくれ。今はこの宮澤を信じて、實行してくれ」と、懇々と説諭して下さつた。私共は先覺の師、宮澤先生をたゞたゞ信じ切つた。
             <『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)一頁~より>

 私はこの「訓へ」を初めて読み、その内容を知った時に、さぞかし賢治は熱く語り、甚次郎はその迫力に応えたのであろうと、二人のいわば魂のやりとりに私はいたく感動したものだった。
 しかし今は少し違う。もし、賢治がこのように実際「訓へ」ていたとすれば、私はどうしても理解できない疑問を抱え、解決できずにいるからだ。

<*1:註> 「土」は「𡈽」が使われている。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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