みちのくの山野草

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「菩薩のための教え」という掛詞

2018-06-16 10:00:00 | 法華経と賢治
《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》
 ではここからは「譬喩品」に入ろう。まずは、「「菩薩のための教え」という掛詞」というタイトルの項についてである。

 著者の植木氏は「譬喩品」の解説をおおよそ次のように進めていた。
 舎利弗は方便品で釈尊の説法を聞き、「大いなる歓喜を得ました」と告げた。それに対し釈尊は、「舎利弗よ、あなたは長い歳月にわたって、私から学んだのである」が、「私がかつて菩薩であった時に加えた不思議な力(加持)によって、あなたが菩薩であるという秘密を思い出すことがないのだ」と語った。
という。そしてさらに、
 「舎利弗よ、その私は、あなたが過去において修行したこと、誓願したこと、知を覚知したことをあなたに思い出させることを欲していて、私は、この広大なる菩薩のための教えであり、すべてのブッダが把握している〝白蓮華のように最もすぐれた正しい教え〟(妙法蓮華)という経を声聞立ちに説き明かすのである」
と言ったという。そして私は初めて、妙法蓮華はまさに「白蓮華」と直結していることを知った。すなわち、泥の中に咲く蓮華の意味が込められているのか、と。

 さて、植木氏はここで、「菩薩のための教え」には、
① 声聞に菩薩の自覚をもたせるための教え
② 菩薩を〝真の菩薩〟たらしめる教え
という二重の意味が込められていると解釈し、
 こうした表現を用いることで、声聞・独覚・菩薩を全て融合させ、その対立を乗り超えようとしているのです。
と解説していた。

 つまり、この「菩薩のための教え」は掛詞であって、①と②の二つの意味を持っていると、植木氏は解釈しているのである。そう解釈すれば(あるいはこの表現によって)、三乗の対立を乗り越えることができるという論理のようだ。
 するとここで思い出すのが「三乗は一仏乗を説くための方便」であり、この掛詞はその対立を乗り越えるために釈尊が用いた「方便」だったということになりそうだ。

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