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おわりに(テキスト形式)

2024-03-24 12:00:00 | 賢治昭和二年の上京
☆ 『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』(テキスト形式タイプ)
おわりに

 さて、通説からすれば全く荒唐無稽なことだと嗤われることは承知の上で立てた仮説「♣」だったが、私の知り得る限りの関連する証言や資料等によってここまで検証してきた結果、この仮説を裏付けているものこそあれ反例となるものは何一つなかった。したがって、私自身はこの仮説はほぼ歴史的事実であったと確信している。
 とはいえ、現在行方不明になっている賢治周辺の人達の日記等が見つかって、その中にはこの仮説「♣」の反例となる記載があることもあり得る。そうなるとこれまでのことが皆水泡に帰すことになるから私としては切ないところも正直ある。しかし、そのような場合でももちろん私は潔くそれを受け入れ、仮説はあっさり棄却する覚悟はしている。
 いずれ、今回展開した私見等は今後厳しい裁きを受けることであろう。
 一方で、現在の大正15年12月2日の「現通説」については、少なくとも「沢里武治氏聞書」や『宮澤賢治物語』(『岩手日報』連載)に従う限り矛盾を孕んでいると言わざるを得ない、ということも同時に私には解った。そしてどうやら、『宮澤賢治物語』の改竄の背景も私個人としては次第に見えてきたような気がする。そしてその背景としては、「羅須地人協会時代」にこの「♣」にあるような稔り少ない「3ヶ月弱」の滞京は当時の「宮澤賢治像」にとっては「不都合な真実」だから葬り去りたいという背景がありそうだということも十分考えられることを知った。
 かつての私は、賢治はそれこそ「雨ニモマケズ」にあるような営為を「羅須地人協会時代」に行っていたとばかり思っていたが、賢治自身がそう言っているように、あくまでも「サウイフモノニワタシハナリタイ」のであり、そうできなかったことを悔恨しているのだということがこの頃やっと分かってきた。
 だから仮に「♣」が真実だったとしても、これからの私はも恐れない。かえって、「羅須地人協会時代」の2年4ヶ月余を悔恨しないような賢治を私は尊敬しない。また、あの時代に「3ヶ月弱」が空白にされたままに「処理」されている賢治であることの方がはるかに悲しむべきことだと私は思う。
 それにしてもつくづく思うことは、あまりにも羅須地人協会に関しては明らかになっていないことや分からないことが多すぎるということである。
 例えば、千葉恭なる人物を知りたいとかつて思った際に、彼に関することは全くと言っていいほど調べられていなかったことに愕然とした。幸い幾つかの証言を得て、新たな資料等を見出すことができたので、それらのことを基にして千葉恭のことを先に拙書『賢治と一緒に暮らした男』においていくらか明らかにできた。
 逆に、今回取り組んだ「賢治昭和二年の上京」に関してはかなりの数の証言や資料があった。千葉恭の場合には唯一あった資料さえ間違った情報を含むものであり、それ以外には全くと言っていいほど資料がなかったことと対極的だった。
 しかし「賢治昭和二年の上京」に関しては多くの証言や資料が存在するのにもかかわらず、それらから合理的に導き出される帰結はどうも「現通説」とはかなり異なっているのではなかろうか、ということを私は本書を書き終えて今確信している。
 同時に、この「賢治昭和二年の上京」に関しては、証言の改竄を始めとして幾つかの不自然な現象が起こっていることや理不尽なことが行われていることも知った。そしてそれがために賢治の最愛の教え子澤里武治、柳原昌悦の二人がいかに心を痛めたかということは想像に難くない。そして賢治と同信の関登久也もである。なぜこのようなことが起こっていたのだろうか。思考実験はしてみたもののそれが真相だとは思いたくない。
             ‡
 さて今後であるが、どうして千葉恭が無視されてきたのかという疑問、なぜ澤里の証言が改竄されたりしたのかという疑問、そしてこれらの二つに通底しているところをさらに解明してみたいという気持ちもあるが、正直私にとってはまだまだ手強そうである。
 一方、あまりにも「羅須地人協会」や「羅須地人協会時代」に関しては明らかになっていないことや分からないことが多すぎると思っている私としては、その中でもとりわけ、千葉恭のこと、「賢治昭和二年の上京」そして高瀬露の「伝説」が気になっていた。
 そしてこの三つはそれぞれが際だった特徴があり、関連する資料が全くと言っていいほどなかった千葉恭、逆に有り余るほどと言っていいほどの資料がある「賢治昭和二年の上京」に対して、資料どころか単なる噂話に基づいて伝説を捏ち上げられたの感がある高瀬露の「伝説」という図式になっている。
 そしてこの三つのうちの二つについてはひとまず取り組みが終わったので、残された三つ目の高瀬露について今後は取り組んでみたい。残されている証言や資料、そして私の今までの取材等によれば全くそうではないはずなのに、検証もされずに噂話等だけを基にして濡れ衣を着せられてしまったと思われる高瀬露の「伝説」の真偽を明らかにできれば、「羅須地人協会」の真実がかなりの程度見えてくるのではなかろうか、ということが期待できそうだからである。
           ‡‡
 最後になりましたが、本書の出版に際しましては、ご指導やご助言、ご協力を賜りました入沢康夫氏、菊池忠二氏、澤里裕氏、岩田有史氏、伊藤和夫氏、日本現代詩歌文学館様、松本隆氏、藤原艶子氏、高橋光氏、伊藤博美氏、伊藤吉一氏、金の星社様、鈴木修氏の皆様方には深く感謝し、厚く御礼申し上げます。
平成25年2月15日 
著者
<参考文献>

『イーハトーヴォ創刊號』(宮澤賢治の會)
『イーハトーヴォ第六號』(宮澤賢治の會)
『イーハトーヴォ第一期』(菊池暁輝著、国書刊行会)
『イーハトーヴォ復刊5』(宮澤賢治の會)
『こぼれ話宮沢賢治』(白藤慈秀著、トリョーコム)
『セロを弾く賢治と嘉藤治』(佐藤泰平著、洋々社)
『チェロと宮沢賢治』(横田庄一郎著、音楽之友社)
『花咲ける孤独 評伝尾崎喜八』(重本恵津子著、河出書房)
『岩手史学研究NO.50』(岩手史学会)
『岩手日報』(昭和2年2月1日)
『岩手日報』(昭和31年2月22日)
『岩手日報』(昭和31年2月23日)
『岩手日報』(昭和50年9月30日)
『岩手日報』(平成11年11月1日)
『岩手日報』(平成15年7月29日)
『嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀男の生涯―』(中丸美繪著、新潮文庫)
『宮沢賢治 その愛と性』(儀府成一著、芸術生活社)
『宮沢賢治 第5号』(洋々社)
『宮沢賢治 童話の宇宙』(栗原敦編、有精堂)
『宮沢賢治とその周辺』(川原仁左エ門編著)
『宮沢賢治と遠野』(遠野市立博物館)
『宮沢賢治の肖像』(森荘已池著、津軽書房)
『宮澤賢治の音楽』(佐藤泰平著、筑摩書房)
『宮沢賢治の世界展』(原子郎総監修、朝日新聞社)
『宮沢賢治学会 イーハトーブセンター会報第16号●黄水晶』
『宮沢賢治全集9』(ちくま文庫)
『宮野目小史』(花巻市宮野目地域振興協議会)
『宮澤賢治』(佐藤隆房、冨山房、昭和17年)
『宮澤賢治』(佐藤隆房、冨山房、昭和26年)
『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋書店)
『宮澤賢治研究Annual Vo.15』(宮沢賢治学会イーハトーブセンター)
『宮澤賢治研究 宮澤賢治全集別巻』、筑摩書房)
『宮澤賢治全集別巻』(十字屋書店、昭和27年)
『宮澤賢治全集十一』(筑摩書房、昭和32年)
『宮澤賢治全集第十二巻』(筑摩書房、昭和44年)
『宮澤賢治素描』(關登久也著、協栄出版社)
『宮澤賢治素描』(関登久也著、眞日本社)
『續 宮澤賢治素描』(關登久也著、眞日本社)
『宮澤賢治物語(49)』(関登久也著、岩手日報社)
『宮澤賢治物語(50)』(関登久也著、岩手日報社)
『宮澤賢治物語』(関登久也著、岩手日報社)
『賢治小景』(板谷栄城著、熊谷印刷出版部)
『賢治随聞』(関登久也著、角川書店)
『賢治地理』(小沢俊郎編、學藝書林)
『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)
『校本宮澤賢治全集第十二巻(上)』(筑摩書房)
『校本宮澤賢治全集第十二巻(下)』(筑摩書房)
『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)
『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)
『校本宮澤賢治全集第十二巻(上)』(筑摩書房)
『國文學 53年2月号』(學燈社)
『国文学 解釈と鑑賞 平成三年6月号』(至文堂)
『今日の賢治先生』(佐藤司著)
『四次元7號』(宮澤賢治友の会)
『四次元9號』(宮澤賢治友の会)
『四次元 百五十号記念特集』(宮沢賢治研究会)
『修羅はよみがえった』((財)宮沢賢治記念会、ブッキング)
『昭和文学全集14 宮澤賢治集』(角川書店)
『昭和文学全集 月報第十四號』(角川書店)
『新校本宮澤賢治全集第十五巻書簡校異篇』(筑摩書房)
『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』(筑摩書房)
『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)補遺・伝記資料編』 (筑摩書房)
『新校本宮澤賢治全集別巻(補遺篇)』(筑摩書房)
『新装版 宮沢賢治物語』(関登久也著、学習研究社)
『「宮澤賢治伝」の再検証(二)―<悪女>にされた高瀬露―』(上田哲著、『七尾論叢11号』所収)
『素顔の宮澤賢治』(板谷栄城著、平凡社)
『世界の作家 宮沢賢治 エスペラントとイーハトーブ』 (佐藤竜一著、彩流社)
『月夜の蓄音機』(吉田コト、荒蝦夷)
『年譜 宮澤賢治伝』(堀尾青史著、図書新聞社)
『年譜 宮澤賢治伝』(堀尾青史著、中公文庫)
『ちくま日本文学全集 宮沢賢治』(筑摩書房)
『宮澤賢治の五十二箇月』、(佐藤成著)
『童話『銀河鉄道の夜』の舞台は矢巾・南昌山』(松本隆著、ツーワンライフ社)
『七尾論叢 第11号』(1996年12月、吉田信一編集、 七尾短期大学)
『拡がりゆく賢治宇宙』(宮沢賢治イーハトーブ館)
『私の賢治散歩(下巻)』(菊池忠二著)
『藤原嘉藤治蔵書目録』(木村東吉制作)
『図説 宮沢賢治』(上田・関山・大矢・池野共著、河出書房房新社)
『宮沢賢治から<宮沢賢治>へ』(佐藤通雅氏著、學藝書林)

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『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』の目次(改訂版)〟へ。
 〝渉猟「本当の賢治」(鈴木守の賢治関連主な著作)〟へ。
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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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