みちのくの山野草

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梅木文夫(後編)

2019-01-17 16:00:00 | 賢師と賢治
《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影)

 名須川の〝 ㈡ 梅木文夫〟には、続けて、
  盛岡中学校生徒不穏文書を配布す
   聖公会内で謄写版で印刷し同級生労働者に配布す
先般来より当市に不穏文書を配布し居るものあり盛岡署にては蜜々出所を捜査して居たが二十九日午前有力な嫌疑者として市内…(投稿者略)…盛岡中学三年生梅木文夫(一六)同五年駒井某の両名を召喚して厳重取調べた結果右両人の所為と判明したが当局では尚裏面に何者か伏在せるにあらざるかと引続き取調中である。配布したビラは半絲半枚に謄写版刷り二氏太もので内容は勿論公開の出来ぬものであるが月刊雑誌「種蒔く人」の発売禁止号巻頭に掲載されてある「アンチミリタリストの立場」と題する標語を写しとったもので…(投稿者略)…  (岩手毎日新聞 大正一一年九月三〇日)
          〈『岩手の歴史と風土――岩手史学研究80号記念特集』(岩手史学会)470p〉
というようなことも書かれていたという。
 そういえば、この当時のその盛岡中学に、「大正デモクラシーを教養にしたリベラリストで生徒の人望があつかったという」英語教師平井直衛がいたが、「『種蒔く人』を初めて持ち込んだのが、この直衛なんです。思想的には特にアカというのではなかったが、昭和三年、陸軍演習を前にして〝アカ狩り〟で盛中をクビになってしまった」と、平井の弟である荒木田家寿が言っているという。あの近江小牧らが秋田の土崎で発行した『種蒔く人』がここ盛岡へも強い影響を与えていたということを改めて知った。

 さらに梅木について名須川はこう続けていた。
 盛中を中途退学させられてからは、花巻において学習会を組織し労農党に青年たちを結集させていく活動をしている。そして、宮沢賢治の羅須地人協会に集まる青年たちとも、学習会をもったりして密接な関係をもつようになった。労農党員で書記であった。…(投稿者略)…
 昭和二年六月三日から労農党県支部連合会第三回執行委員会が花巻花陽館・山屋旅館で開かれたが、この時にも梅木文夫は書記をつとめている。…(投稿者略)…協会と労農党を梅木は結びつけていたからこそ両方とも弾圧された。まもなく昭和二年一二月二四日、激しい活動から病にかかり二四才にて急逝す。円城寺。「文山活動禅居士」。
           〈同470p~〉
 ということは、梅木文夫も八重樫賢師同様に、熱心で有能な労農党の活動家でしかも賢治と親交があったのだが、それぞれ24才、23才で夭折してしまったと言える。さぞかし無念であったであろう。ご冥福を祈りたい。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
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 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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