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《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影)
以前、宮澤賢治についていろいろなことをよく知っておられるある地元の方から、
「下ノ畑」の傍で賢治と二人で小屋を造っている人を見たことがある。その人は、そこに農園のようなものを開いていた鍛冶町のけんじであった。
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)149p~〉と証言している人があるということを私は教わったことがある。そして、この「鍛冶町のけんじ」とは八重樫賢師のことであると判断できる(賢師は賢治と親しかったことが知られているし、賢師の生家は鍛冶町の「麩屋さん」だったからである)。
ところが、賢師は、
昭和3年10月の「陸軍大演習」を前にして行われた警察の取り締まりから逃れるために、その8月頃に函館に奔った。そして、函館の五稜郭の近くの親戚に身を寄せたが、2年後の昭和5年8月、享年23歳で亡くなった。
〈同150p〉というようなことは、賢師の親戚の方から私は直接訊いて知っていた。
それがこの度、賢師の命日を確定できた。それは、名須川溢男の論文「近代史と宮沢賢治の活動」によってであり、
昭和五年八月二一日逝去、行年二三歳。専念寺、釈秀海滅度。
〈『岩手の歴史と風土――岩手史学研究80号記念特集』(岩手史学会)501p〉
となっていたからである(併せて、親戚の方の先の証言内容が信頼性の高いことも知った)。そしてこの度賢師の戒名も初めて知り、その戒名をじっくりと見ていると何ともはや不憫になってくる。まずは、改めて哀悼の意を表したい。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
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〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
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