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梅木文夫と社会科学研究会

2019-01-18 12:00:00 | 賢師と賢治
《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影)

 さて、梅木について名須川は、
 盛中を中途退学させられてからは、花巻において学習会を組織し労農党に青年たちを結集させていく活動をしている。そして、宮沢賢治の羅須地人協会に集まる青年たちとも、学習会をもったりして密接な関係をもつようになった。
          〈『岩手の歴史と風土――岩手史学研究80号記念特集』(岩手史学会)470p〉
と述べていたことを私は今回新たに知ったのだが、以前に同じく名須川の「宮澤賢治とその時代」という論文で、
 その社会科学研究会は、花巻市桜の町営住宅(猫塚耕一借家)でおこなわれた。そばに刑事が見張りをしていた。時どき開かれたが梅木文夫が理論的な指導をしたようである。当時の参会者は今までに知り得たのは高橋慶吾、八重樫賢師、藤原清一、八重樫与五郎、猫塚耕一らであった。そばの町営住宅には一時的(?)だったか賢治がいたので、訪問したことなどもある。(昭和45年6月14日、猫塚耕一談)
             <『宮沢賢治 童話の宇宙』(栗原敦編、有精堂)111p>
と述べていたことも知っていたゆえに、これからの記述内容はもうこれからは無視していてはならないのだ、と私は覚った。それはこの時に、次の二つの事柄も思い出したからである。

 その一つ目は、この「社会科学研究会」に関してである。私は以前〝4265 気付かぬ振りをしていた可能性〟において、「盛岡中学社会科学研究会」というタイトルの対話を投稿したことをだ。

鈴木 ところで、上掲の写真は先に投稿した『白亞校百年史 寫真』の一枚を抜粋したものであり、
 大正12年ごろから結成され、昭和初期の軍事色濃い世相に密かに抵抗していた社会科学研究会
というキャプションが付してある。そして、その隣の左頁には
   大正から昭和へ
 昭和と改元されると、次第に軍事色が強まってきた。昭和3年、県内で陸軍特別演習が行われ、盛中生も親閲行進に加わるなど、学舎にも軍事色の影がひたひたと押し寄せていた。しかし、一方では、盛中社会科学研究会が非合法の形で活動するなど、軍事色に抵抗するグループもみられた。
という説明が述べてある。
吉田 このことに関しては、『啄木 賢治 光太郎』でも、
 学連系の社会科学研究会は、大正十五年初夏、盛岡中学内でひそかに発足した。中心は柔道部主将の五年生、和山勝治。深夜の下宿を会合場所にし、山川均の「資本主義のからくり」を入門書にしたこの研究会は、この年の秋まで全盛中を席巻した。
   盛中社会科学研究会
 当時、盛岡中学三年生だった鈴木恭平は、大正十五年夏、二年上級の渡辺勘吉(元参議院議員)を知り、彼から「資本主義のからくり」を手渡された。
     …(投稿者略)…
 これが非合法の社会科学研究会だった。発足当時のメンバーは、和山を中心に渡辺勘吉、上田重彦(石上玄一郎)、川口孝志、栃内一矢、佐藤彬らが顔を連ね、のち平賀忠一郎、中川一市、戸田俊郎ら四年生も顔を出すようになった。
     …(投稿者略)…
 テキストは山川「資本主義のからくり」が入門、続いて山川・田所輝明「マルクス主義経済」ブハーリン「史的唯物論」レーニン「帝国主義」エンゲルス「空想より科学へ」と教程が組まれており、国鉄盛岡工事局に勤めていた佐藤好文や川村尚三らが講師として顔を出すこともあった。
            <『啄木 賢治 光太郎』(読売新聞社 盛岡支局)29p~より>
などと述べられていて、前掲の写真の中に和山や渡辺、そして石上が写っているかどうかはさておき、同会にはそうそうたるメンバーが参加し、かつ活動していたであろうことがわかる。なお、例の賢治と交換授業をしたという川村尚三が同会に講師としてやって来ていたことも僕からすれば目を引くことだ。

 まず、この「社会科学研究会」のメンバーに石上玄一郞がいたことに、さらに講師の一人として川村尚三がたることを改めて知った。そうすると、梅木は盛岡中学時代からこの研究会のメンバーであった蓋然性も高いということを直感したのである。さらに想像を逞しくすると、梅木は盛岡中学を退学させられたから、出身地の花巻に戻って前掲のような「社会科学研究会」で引き続き活動していたのではなかろうか、などと勝手に思ってしまう。

 そして肝心のことだが、改めてこれらのこと等を併せて判断すれば、
 梅木文夫はかなり有能な人物でしかも熱心な労農党の活動家であったと断言してよさそうだし、その梅木と賢治の親交も深かったと言えそうだから、おのずから賢治も官憲からかなりマークされていたであろうことはほぼ間違いない。
と私は結論した。

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               電話 0198-24-9813

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