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カポーティ短篇集

2018年08月16日 | 読書雑感
アイスティーのグラスがたてる澄んだ音にも似て、心持甘く透き通って冷ややか
そして
こわれやすいカットグラスのような硬質な文体

これは、『カポーティ短篇集』の訳者があとがきに記していた文章だ。訳者の河野一郎さんにとっては思い入れの深い作家なのかもしれないが、私にとっては『ティファニーで朝食を』の著者という程度でしかなかった。そのカポーティの短篇をいくつか読んでみた。

英語と日本語の性格の違いもあるだろうが、「壊れやすいカットグラスのような硬質な文体」を感じることはできず、カポーティ独自の文体というものが私には感じられなかった。唯一思ったこととして、この作家は比喩表現にコダワリをもっていたのではないだろうか?ということ。いろいろな比喩があちらこちらに見られる。

『イスキア』
島は、永遠に錨を下ろした船のようなものだ。

暑い季節の訪れた今、午後は白い真夜中のようだ。

ぼくらは春とともにやって来た。(中略)まだ冬ざれた三月の緑の海は、六月には紺碧に変わり、ねじれた枝に灰色もわびしくまつわっていたぶどうのツタも、はじめての緑の房をたわわにぶら下げている。蝶も姿を見せ、山にはミツバチのためのごちそうがあふれている。


『スペイン縦断の旅』
まるで何人の年老いた人夫が機関車を引っ張っているように、列車はゆっくりと這うようにグラナダを出た。

『フォンターナ・ベッキア』
一月にはじまるのだ、シチリアの春は、そしてやがてすばらしい花束に、すべてが咲きそろった魔法使いの花園になる。

残念なのだが、比喩の達人と崇めるわけにはいかない。それどころか、「この比喩を使ってやろう」的な、予め考えておいた比喩を散りばめただけのような印象を受けるものが多い。ちょっと気取って、「この表現はどうだ」的な出し方で比喩を繰り出してくる。「島は永遠に錨を下ろした船のようだ」には、力を込めての一文を差し込んだ感があるくせに、前後を読むと別にこの一文が無くても全く構わないのだ。そんな不自然さをカポーティ短篇集を読みながら感じてしまった。

とは言え、列車に乗っている時に起きたちょっとした出来事を8ページの物語に仕上げたり、道に迷った自分を泊めてくれた人里離れた住処に住む親切な老婦人との一晩をノスタルジックに書き上げた短篇など、この作家は遠い昔を思い出しながら含みを持たせて物語を紡ぐことに長けている。夜に一人で読む短篇作家と言えるだろう。
コメント
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