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好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

喋々喃々

2018年01月02日 | 読書雑感
小川糸さんの3冊目の小説は『喋々喃々』。題名自体が未知な単語で、なんとなしに声に出した時に耳に残る印象から、蝶に関係する言葉かと勝手に解釈していたが(字が全然違うのだが)、実は、男女が打ち解けて小声で愉しそうに語り合う様を意味しているのだそうだ。例えや表現が一種独特であることに小川糸さんの魅力を感じていたが、このように未知の単語を題名に使ってくるとはね。新しい発見だった。

この小説は、以前に読んだ2作とは異なり、男に捨てられ自分を見失う中で得意なことに地道に取り組んでいくことで自分を取り戻していくという自己再生のお話ではなかった。一人の若い女性の恋の物語。過去の失った恋と、新たに進行しだした恋。新しい恋は不倫だ。

小川糸の小説に出てくる主人公の女性は、どれも地味な女性。決して強そうな性格ではないが、でも芯の強さを持っていることはお話が進行していくうちに分かってくるのはいつもの通り。

不倫の恋であっても、主人公はまっすぐに真摯に向き合う。恋に恋することなく、好きになった相手の家庭のことも考えつつ、でも自分の中で気持ちがどうしようも無くなるまで高まってくる様子が、淡々とではあるが美しい表現で綴られている。

特別な筒の中を通り抜けてきたような、クラリネットの低音に似た、聞いていて心地よい声

木ノ下さんと会うことを想像するだけで、胸にたくさんの花の蕾が詰め込まれたみたいになり、呼吸を苦しくなってしまう。落ち着いて深呼吸しないと、酸素不足で息が詰まりそうだった。


昔の恋人がどんなに好きだったかも、この一文だけで十二分に伝わってくる。なんて上手い表現なんだろう。

私は、雪道君があの日着ていたTシャツの、くたっとした肌触りや柄や色まで覚えている。

小川糸らしい表現や物の例え方は健在で、こんな言い回しがあったのかということにも改めて驚く。

最初に口の中に流れ込んできたのは、生クリームだった。柔らかい、こなれた絹のような感触。その後、ほどよい甘さの上品なミルクティがやって来る。

ドリルで地面に穴を開けるみたいに、言葉のひとつひとつが、心に突き刺さる。

外は青空なのに、季節はずれの雪が舞っている。地上の汚れを必死で白く塗り潰そうとするかのように、雪は、一生懸命に降っている。

午後になるとどんどん雲が重たくなった。空一面、グレープフルーツジュースを流し込んだみたいに白く濁り、壊れかけたアコーディオンのような不穏な音を響かせて冷たい北風が吹いている。

ひとりぼっち。
突如、そんな単語が私の胸にぽっかりと空いた穴の暗がりへ忍び寄ってくる。



『つるかめ助産院』 小川糸著

2017年12月24日 | 読書雑感
先週に引き続き、小川糸の小説を読みました。読書中に感じるホンワカとした幸福感をもっと味わいたくなって。小川糸の小説には中毒性があるのかも...

設定は前作同様に、これと言って特技があるわけではない、どちらかというと不器用な女性主人公が男に捨てられる。今回は、結婚していた相手が突然蒸発してしまうというピンチだ。蒸発した理由は全く分からず、途方にくれるままに、結婚前に二人で訪れた離島に旅立つ。ひょっとしたら、相手がいるかもしれないなどと、根拠のない勝手な一縷の望みを抱きながら。もちろん蒸発した夫がいる訳もなく、彷徨ううちに島で唯一の助産院を営む助産婦から声を掛けられ、島で過ごすようになる。ここから島での生活をおくるうちに、マッサージが得意なことを発見し、人に役立つ自分を見つけることで、世の中での自分の居場所が確立される。この知らず知らずの自分探しが、小川糸の小説の第二の特徴だね。『食堂かたつむり』では料理で人を癒す能力に開花してたし。

回りの人たちとの暖かな交流が進も、自分が至らなかったことや足りなかったことに気付く。そして、月が進み、出産となった時(そうなのだ、主人公は妊娠していた)、蒸発していた夫が帰ってくるというハッピーエンド。自分が失っていたものを取り返すというのが第三の特徴。『食堂かたつむり』では、うしなった声が戻ってきたし。

人間の優しさや思いやりが満ち溢れているがために、読んでいて幸せな気持ちになれるのだが、それにしても文章がすばらしい。ものの例えが普通ではない。たとえば、

海は、何か青くなる薬を人工的に加えて混ぜたような、不自然なまでの青さだ。

バラの花びらが舞い降りてきそうな夕暮れの空だ。夕日に照らされ、海が一面ピンク色に染まって見える。遠くから眺めるだけの海は、本当に美しかった。

もう何十年もあけたことのないお蔵の戸を、無理やりこじ開けた瞬間みたいに、私という暗闇へ強引に光が差し込んでくる。

心拍は、真夜中に光る灯台のようだ。赤ちゃんが、ここにいるよ!と大声で知らせてくれているようで心強い。

なんて気持ちのいいお天気だろう体中の細胞が、両手を伸ばして万歳をする。すべての景色が光っている。島中の緑という緑が、歓声を上げているようだ。


ちょっと間違えると大袈裟でワザとらしい表現に堕ちてしまうところだが、寸前で止めることがコツなのだろう。そして前回も書いたが、主人公の感情をストレートに言葉にして書き出していることで、こころの動きが直に伝わってきて、読んでいるこちらの心が鷲掴みされる。

さて、次は何にしようか...

食堂かたつむり 小川糸著

2017年12月13日 | 読書雑感
読んでいるうちに、なぜか幸せな気分になる。周りの空気がなんだか微かにピンクがかって、ほんわかした幸福感が自分を包んでいるような、一種の高揚感と言ってもよい不思議な心地よさに満たされるという不思議な感覚を味わせてくれる上質な物語だった。

小川糸著の『食堂カタツムリ』

恋人に捨てられ全財産持ち逃げされた主人公が、不仲の母親が住む生まれ故郷に出戻り、そこで自分に残された唯一の特技である料理をなりわいにしながら、自分を取り戻すとともに、回りの人々を幸せにしていくという、これだけ語ると何の変哲もないストーリーなのだが、これが見事な自己再生(こんな言葉では陳腐すぎて適さないが)の一大絵巻となっている。一人称で語られる物語は、フィクションでありながらも、主人公(倫子)の人間としての活力と自信、他人に対する愛情を取り戻す一大ドキュメンタリーであるかのような素晴らしい出来栄えとなっている。

何よりも文章がキラキラ煌き、上質の酒を飲んだ後の余韻のような心地よさが押し寄せてくる。その心地よさに浸っていたいがために、物語の先が気になりつつも先に進みたくないという矛盾した感情の中で、読書したのは初めての経験だった。

著者の小川糸の文章には、スケールの大きな比喩と色彩感覚あふれる言葉遣いがあふれている。


暗闇の中にうっすらと映る自分の『目を見つめたまま、思いっきり大きく口を開けてみる。まるで、一口で大量の魚を呑むザトウクジラみたいに、モノクロームの景色を続々と飲み込んでいく。

その時、虹色の色彩をまとった若かりし日のお妾さんの残像に、ほんの一瞬だけれど、触れたような気がした。

私はまだ前日の闇の匂いが色濃く残る時間に起き出して、準備を進めた。



そして、主人公の感情を衒いも無くストレートに書き出すことで、小説ではない別物であるかのような印象が強くなっていく。

幸せだった。
幸せすぎて胸がつまり、呼吸困難になって死んでしまいそうなほど、幸せだった。

私にとって、料理とは祈りそのものだ。(中略)私はこの時ほど、無上の喜びを感じたことはない。




『キャスターという仕事』  国谷裕子著

2017年08月20日 | 読書雑感
20年以上の長きに渡り、日本のジャーナリズムのトップを走り続け、降板時には色々な噂があった「クローズアップ現代」のキャスターの国谷裕子さんが、自分のキャスター時代を振り返りつつ、自分とジャーナリズム、そしてその時代の日本という国の歩んできた道を見返している。

新しい情報番組「クローズアップ現代」のキャスターとして、に大抜擢された著者は、以前のキャスターとしての失敗という傷を持ちながらも、キャスターとは何をする仕事なのかを問い続けた。その結果が、

「想像力」「常に全体から俯瞰する力」ものごとの後ろに隠れている事実を洞察する力」、そうした力を持つことの大切さ、映像では見えない部分への想像力を言葉の力で喚起することを大事にしながら、日々番組を伝え続けることになった

として仕事をスタートし、更には

時代感覚を言葉にする力(コメント力)と、ゲストに向き合える力(インタビュー力、聞く力)を研ぎ澄ますことが、キャスターの仕事であることが見え始めてきた。

と発展し、遂には

言葉による伝達ではなく、「言葉による問いかけ」。これが23年前に抱いたキャスターというのは何をする仕事かという疑問に対する私なりの答えかもしれない

という自分なりの結論に至っている。そこに至るまでの思考の過程で、このようにも言っている。

情報を直接発信する手軽な手段を誰もが手に入れ、ややもすればジャーナリズムというものを「余計なフィルター」とみなそうとする動きさえ出てきている。(中略)質問を投げかけていくことで、その質問からかえって問題の所在、解決へのアプローチの視点など、その問題やテーマをとりまく状況を浮かび上がらせることができる。

そして、そのことはテレビ(のみならずメディア全般)が、

問題の複雑さを切り捨てて「分かりやすさ」ばかりを追い求めていないか。テレビ報道の抱える危うさを意識しながら、問いを出し続けなければならない。

ここに到達することになったのは、

「事実の豊かさを、そぎ落としてしまう」という危うさ
「視聴者に感情の共有化、一体化を促してしまう」という危うさ
「視聴者の情緒や人々の風向きに、テレビの側が寄り添ってしまう」という危うさ


というテレビ報道の3つの危うさを見抜けたのも、NHKの社員としてではない一種のアウトサイダーとして、メディアの側に身を置いていたこともあるのだろう。そして、こうも言っている:

日本の中には、多数意見と異なるものへの反発や、多数意見への同意、あるいは同調を促すう雰囲気のようなもの、いわゆる「同調圧力」と呼ばれる空気のようなものがある。(中略)流れに逆らうことなく多数に同調しなさい、同調するのが当たり前といった同調圧力は、日本では様々な場面で登場してくる。(中略)テレビ報道の待つ3つの危うさの一つとして「感情の一体化」を進めてしまうテレビ、そしてそれが進むほど、今度はその感情に寄り添おうとするテレビの持つ危うさ。こうした流れが生まれやすいことを、メディアに関わる人間は今こそ強く意識しなくてはならない。

「空気を読む」という言葉が生まれ、いまだに使われているこの社会において、確かにこの同調圧力は存在している。でも、これは別に日本だけではなかろう。例えば米国では、自分の主張をすることが美徳とされてはいるが、自分の主張を押し通すことが正義と思うあまりに、他者の意見を尊重せずに攻撃するということが恐ろしいほどに行われてきた。戦って勝たないと正義ではない、という思考に凝り固まることが却って、自分と異なる意見を認めずに過度に攻撃的になってしまう、これが行く所まで行ってしまっているのがトランプという人間を大統領に選んだ結果の混乱を引き起こしている一因であるはずだ。

最後に、柳田邦男の「危機的な日本の中で生きる若者たちに八か条」が出てくる。

1. 自分で考える習慣をつける。立ち止まって考える時間を持つ。感情に流されずに論理的に考える力をつける。
2. 政治問題、社会問題に対する情報(報道)の根底にある問題を読み解く力をつける。
3. 他者の心情や考えを理解するように努める。
4. 多様な考えがあることを知る。
5. 適切な表現を身につける。自分の考えを他者に正確に理解してもらう努力。
6. 小さなことでも自分から行動を起こし、いろいろな人と会うことが自分の内面を耕し、人生を豊かにする最善の道であることを心得、実践する。特に、ボランティア活動など、他者のためになることを実践する。社会の隠された底辺の現実が見えてくる。
7. 現場、現物、現人間(経験者、関係者)こそ自分の思考力を活性化する最高の教科書であることを胸に刻み、自分の足でそれらにアクセスすることを心掛ける。
8. 失敗や壁にぶつかって失望しても絶望することもなく、自分の考えを大切にして地道に行動を続ける。


この八か条は素晴らしい。特に、「感情に流されずに論理的に考える力」、「情報の根底にある問題を読み解く力」、そして「自分の考えを他者に正確に理解してもらう努力」が素晴らしい。すでに60過ぎとなった身ではあるが、今からでも身につけたいと思う。これを読んだ時に思い出したのは、DeNA創始者の南場智子が「日本人に求められる4つの力」として言っていた中の『自分の意見、情熱を伝えて他者に共感してもらう力』を思い出した。集団として生活せざるを得ず、他者との繋がりを絶って暮らすことが困難な人間である以上、伝えて相手を動かすことの大切さを教えてくれている。

ただ、残念なことは、311の震災後の福島の惨状についてのコメントの最後が、

先の見えない日々を送る福島の人々をこれからも伝え続けることは、メディアの大切な役割ではないだろうか。

という紋切り型であったこと。確かに、これはメディアの重要な役割であることには違いはないが、キャスターを退いた人間としてはメディアに対して責任を押し付けているだけに聞こえる。特に、インターネットという情報発信という手段が簡単に手に入る時代においては、国谷さんご自身として出来ることもあるはずであり、メディアに責任を押し付けるだけで一章を終えて欲しくなかった。